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司馬遼太郎の短編を読んでいるかのような面白さ 『鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮』

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。413冊目。

36年前の1984年に刊行され、1991年に文庫化されたもの。

内容としては、かつての日本(徳川時代)はなぜ軍縮が出来たのか? その理由を明らかにすることで、ゼロ成長のなかでも文化的な生活をする為のヒントが得られるのではないか考えてみよう、というものだ。

デクロワサンス(脱成長)的な話かな? 堅苦しいかな? という印象をもって読み始めたけど、そんな事はなかった。文章は平坦で読みやすい。内容もライトだ。著者もこれは学術書ではないと言っているが、全くそのとおりで、どちらかというと鉄砲伝来から利用が広まるまでの紹介は、司馬遼太郎の短編のようで面白い。

話は、種子島に鉄砲が届くところから始まる。皆が知る通り、種子島に銃が伝えられてからというもの、江戸幕府が開かれるまでのあいだ、日本では銃が大いに利用され、あらゆる合戦で勝敗を決定的に分ける武器となった。

そんな重要な兵器である鉄砲が、徳川の時代になり下火になり、ほぼ放棄された状態になった。その間、日本は衰退していたのかというとそんなことはなく、著者曰く、ペリーが訪れるまでの日本は、夢のような平和で豊かな国であった。

同時代のヨーロッパが急速に火器を発達させてきたのに、なぜ日本は火器に背を向け、刀の時代にもどったのか。様々な資料を参考に、その理由を紐解いている。でもね、でもね、割と推論が多い印象でどこまで信じて良いものか不安になる。

さらに気になる点は、目立ってしょうがない日本礼賛だ。昔の日本人スゲー、江戸時代スゲーというエピソードがこれでもかと紹介されるので、読んでいる私もテレて頬を赤らめてしまうほど。

あんまり褒めすぎて、訳者が注釈で言い過ぎ、褒め過ぎを抑え、明らかな誤りを訂正してくるほど。この手の話題が好きな人は、これだけでご飯がいけるほどの内容。

冒頭にもあるとおり、著者も学術書ではないと言っているし、歴史おもしろ読本的な楽しみ方をするのがよかろうと思います。

かつての日本の姿を参考にすることで、武器開発の歩みを止め、反戦、反核につなげることが出来るのか? 著者は、それが可能だと強く信じている事が読み取れます。でも私は本書を読んでも、そんな楽観的な気持ちにはなれない。かつての日本がなぜ火器を放棄できたのか、それはやっぱり鎖国が上手く出来たから、ということなのかなと。鎖国というのは、他の国との戦争を放棄することでもあるので。

現在の情勢では、だれかが抜け駆けをしたらまるっきり成立しないでしょ。いつまでたっても核兵器が無くならないことからも見て取れるし。

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