旨い寿司がある、寿司の旨さという様ものはない『すしの薀蓄 旨さの秘密』
日曜日は父の日であった。私は二児の父なので、私の日だった。父が輝く珍しい日なので、たまにはパパの晩ごはんリクエストを聞いてやろうということになったので、迷いなく「寿司」をリクエストした。
とはいっても、まだまだ子ども達は小さいので、握りではなく手巻き寿司にしようという事になり、近所のスーパーで刺身を仕入れ、マグロの半分は漬けにして子どもたちの好みの味にするなど、あれこれと用意をした。
子どもたちは自分達の食べたいものを指示し、私がそれを手巻きにして渡す、というものであったが、調子に乗って刺身に奮発したので、よく食べてくれた。子どもたちがモリモリ食べる姿を見るのは実に楽しい。
せっせと子どもたちの口に手巻き寿司を運びながらワイワイとやっていたら、長女が「なんでパパは寿司がすきなの?」と聞いてきた。
普段から、外食チョイスタイムでは真っ先に「寿司!」と叫び、食い気味に妻から「却下」とやられるのが恒例になっているし、何かというと寿司に例えて話をするので、子どもたちは「パパは寿司が好きすぎて面倒だ」と認識しているようだ。
しかし、改めて聞かれると答えに窮してしまう。なぜだろう、美味いからなのはもちろんなのだけど、なぜこれほど美味いと感じるのか。なんと上手く説明ができないので「魚が好きだから」とだけ答えてその場はお茶を濁した。教育者失格である。
ということで、次のチャンスにはもっと寿司の魅力を伝えよう! ということで、本書を取り出して改めて読んでみた。勉強だ。
本書は、古書店で見つけたのだけど、パラパラと立ち読みをしてみると、2003年に出版された本にしては古さを感じない内容だったので、買ってきたものだ。
寿司についての薀蓄がこれでもかと詰まっているのだけど、ネタの紹介に力が入っているのは当然として、シャリにもしっかりと光を当てているところが良いね。しかも、光を当てるどころか、MRIで磁気もあてているし。
そして、読みながらひらめいたのだけど、私は何故「刺し身」ではなくて「寿司」が好きなのかというと、このシャリがあるからだと気がついた。
もちろん、ネタの重要性もわかっている。ただの刺身とは違い、素材に素晴らしい仕事をして、かけがえのない宝石のようなネタにしているのは理解している。それでも、ネタの味を引き立てつつ、味や食感の調和を作っている裏方としてのシャリの重要性は揺るぎない。
本書を読めばわかるが、シャリにも寿司職人達が連綿と伝えてきたわざと技術が生きている。これは気になるなぁ。とりあえず、明日はちゃんと酢飯をつくってみよう。そして、海鮮丼にしてみよう。
ああ、コロナがおちついたら、シャリをテーマに寿司屋めぐりをしてみたいな。早く、プロの握る寿司を食べたい。早く大手を振って食い歩ける日が来ないかしら。
「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。