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【書評】 基礎科学の重要性を説く 『「役に立たない」科学が役に立つ』

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。384冊目。

私が小学生のころの話。というと、80年代になるのですが、そのころは、学研の学習雑誌「科学」か「学習」のどちらかを取るというのが小学生にとってのステータスになっていました。

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なつかしい!

今じゃ想像つかないと思いますが、当時の子どもたちの大半は学研の学習雑誌を取っていたのではないかな。

これ、書店で買うのではなくて、契約をすると「学研のおばちゃん」という人々が、直接自宅まで持ってきてくれる仕組みでした。

TVのCMもバンバン流れていて、母親に必死にお願いしたのを思い出します。なんと最盛期には670万部も出ていたとか。これ、全盛期の少年ジャンプ(95年の653万部が最高)よりも多い。凄いな。

CMもなつかしいな!

大抵は「学習」か「科学」のどちらかを選んで購読する事になるのだけど、人気があったのはダントツで「科学」です。

(「ダントツ」ってなんだろうと思って調べてみたら「断然トップ」の略なんですって)

「科学」には、毎号力の入った実験セットが付録としてついてくるのだけど、殆どの子供は、この付録が欲しくて「科学」を選んでいた。「学習」の方は地味で、本当に学習一辺倒な内容だった気が。取っていなかったので知らないけど。あんまり懐かしい気分になったので、「科学」の付録にはどんなものがあったのかなと検索をしてみたら、なんと学研70周年スペシャルサイトなるものがあり、そこに付録ギャラリーが!

いやぁ、懐かしい。何一つ覚えていないけど、懐かしい。

昆虫やプランクトンを育てたり、電子工作的な事をしたり、磁力や空気の力を目に見えるようにしたり。今思えば、子供の好奇心を刺激する良いコンテンツだったなと思う。学校の勉強には一切役に立たなかったけど、おかげでサイエンスへの興味を強く持ち続ける事になり、学研の学習雑誌以外にも、子供向けの科学読本や同じく学研からでていた「ひみつシリーズ」のような学習漫画を読み、「コペル21」といったような子供向けの科学雑誌などを愛読するようになった。

そんな子供の頃からの体験は、大人になった今にも影響を遺していて、選ぶ本などに強く反映されているようです。子供のときから今現在まで、特にワクワクするのは、まるで役に立たない基礎科学の分野。新しいアイディアに満ちた応用化学の分野はエキサイティングで面白いけど、やっぱりワクワクするのは基礎科学のほうだ。最近ならスーパーカミオカンデで行われていたニュートリノの検出だとか、最近話題になった重力派の検出など、宇宙や理論物理学のトピックなどが大好物です。本当に面白いと思うし、新しい発見にワクワクし続けたいから、そのために長生きしたい位。

しかし、最近はそういった基礎科学に予算があつまりにくいのが問題だ、なんて話がよく話題にあがるようになった。目先の利益を求め、基礎科学への投資が減っており嘆かわしいという。このままでは日本の未来は暗いとまで言っている。本当のところはどうなのか、私にはさっぱりわからないけど、今日ご紹介する『「役に立たない」科学が役に立つ』を読んでみると、程度の差はあれ、同じ様な課題は何十年も前から言われていたようだ。

本書は下記の2本の短いエッセーで構成されている。(そして、これらエッセーの合間に大量のコラム記事がはさまれていて、さらに巻末には本書に登場した科学者一覧がつく)

『明日の世界』(ロベルト・ダイクラーフ)
『役に立たない知識の有用性』(エイブラハム・フレクスナー)

プリンストン高等研究所の初代所長を勤めていたフレクスナーによる『役に立たない知識の有用性』では、短期で成果を得やすく、スグにビジネスになるような応用研究に比重が移りすぎ、基礎研究がおろそかになってしまうことへの危惧を明らかにしているのだけど、このエッセーが書かれたのは、なんと1939年だ。

フレクスナーはプリンストン高等研究所を立ち上げ、初期の研究者としてアインシュタイン(言わずと知れた大天才)やフォン・ノイマン(異次元レベルの天才でコンピューターの父)を招き入れ「役に立たない知識を誰も邪魔されずに探求する」ことを目的として掲げた。フレクスナーは基礎研究がいかに重要なのかを説き「役に立たない知識は有益だ」だという。これが、80年前の話だ。

現プリンストン高等研究所所長であるダイクラーフによる『明日の世界』では、基礎研究により明らかになった知識が、長い長い時間をかけて人類の発展に貢献してきたことを強調する。また、逆に人類にとって良くない結果ものこしてきたこと(原爆投下による民間人の虐殺など)もあり、それらもふくめ、基礎科学が人類にもたらしてきた事の歴史が丁寧に紹介されている。

そのうえで、フレクスナーの「役に立たない知識は有益だ」の重要さはかわらないどころかますます大きな意味を持つようになっているとして。そして、その理由として5つの効果・効能を挙げている。それは、
(1)基礎研究による知識の向上であり、
(2)新しいツールや技術(コンピューター、原子力、インターネットなど)を生み出すことであり、
(3)好奇心を原動力とする世界レベルの研究者を惹きつけ、
(4)知識の大半が共有されることにより社会の為となり、
(5)なんてったってスタートアップ企業が元気よくにょきにょきと生えてくる
ことだ。まさにGAFAやマイクロソフトなどの1兆ドルクラブは、基礎研究がもたらした技術の恩恵を受け、大きく発展したとしている。

ダイクラーフは『明日の世界』で、基礎科学には支援に値する価値があることを明らかにした。そして、最も重要な主張として、その価値を広く知らせるのに最適な立場にあるのは、研究をおこなっている科学者自身であるということ。科学者自らが、自身が感じているスリルと興奮をつたえ、いかにエキサイティングか伝えろという。

アインシュタインはその事に積極的だった人物で

「科学がその使命をまっとうしようとするのであれば、芸術がそうであるように、その成果は人々の意識の表層だけではなく、深部へと浸透していかなければなりません」

と大衆に向けて積極的に科学の魅力を伝えてきた。

これは「科学と社会の幅広い対話」という言葉で説明されていて、若者の心を引きつけ研究に参加させ、知識の蓄積が行われ、結果として市民の教養が豊かになり、

科学知識に通じた教養豊な市民は、気候変動、原子力、予防接種、遺伝子組み換え食品といった「厄介な問題」に直面したときに、より責任ある選択ができるだろう。(P57)

という。これは、危機意識なのだろうなと思う。日本に限定しても、非科学的な反ワクチン運動などを見ていると暗澹たる思いにかられる。

政治や社会の「役に立たない知識の軽視」はこの先も続くかもしれない、しかし、一人でも多くの人がその事に意識的であれば、それは避けられ、社会全体がフレクスナーのいう「役に立たない知識を誰も邪魔されずに探求する」社会になれば良いなと思う。おすすめです。

それにしても、途中にはさまるコラムが読書を分断させるので非常に読みにくいのはなんとかならんのかと。性格的に途中飛ばしてあとから読むとか出来ないので、どうしてもこのコラム枠を拾っちゃう。そして、どこまで読んだっけ? なんて思いながら、もう一度同じところを読むことになったりしてちと辛かった。

そこで、コラムを無視して読み直してみたら、とても読みやすくなり、スルスルと読めて、書いてあることも頭に入ってきた。本文とコラムは別ものとして楽しむのが良いかと思います。

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