弟の君の名はストーリー
5歳歳下1970年生まれの弟ヒデキ。
大器晩成型で、マイペースな職人気質。
子供の頃から器用だったので、高校卒業後、東京のギター製作専門学校に進学。
プレイの腕もなかなからしく、オリジナル曲もあり、仲間内ではかなり評価されてるらしい。
で。
私がオーストラリアに住んでた頃。
沖縄は、あんまり好きじゃなかった母も、オーストラリアなら、気にいるかも?と、遊びに来ない?と誘ったら。
年老いた自分が行くより、経験のためにヒデキに行かせたい!と言う。
で、母の希望で、弟がワーホリで来たのだけど。
元々オーストラリアに興味なかったみたいで。
なんとなく来ちゃった弟。
私もそんな弟にイライラしちゃって、ギクシャク。
英語ができなかったので、日本食レストランのバイトの面接に行ったけど、合わなかったみたいで、文句タラタラ。(まあ、サーファーズパラダイスのジャパレスなんか、私も絶対ムリそうだけど。😅)
で、詳しいことは忘れちゃったけど、大ゲンカして「もう知らん」と、サーファーズパラダイスに弟を置き去りにしちゃったのでした。あはは。😅
どんだけスパルタ!
まあ、男の子だし、サーファーズだったら、いくらでも日本語通じるし、帰国したければ帰国すればいい、弟の経験のためにも過保護な甘ちゃんには、いいんじゃあないかな?と思った自立心旺盛過ぎる姉。笑
結局、弟は、すぐに帰国し、実家の母の元に帰ったらしい。
母を招待したかったのに、母のエゴで、弟が来て、みんなの計画、めちゃくちゃになっちゃったのもあり、母ともその後、疎遠。
で、その後、ラクエン売れた時に、母と北海道旅行した時。昔私が言った一言を弟がずっと気にしてるみたい~と母から聞き。
あ~あるよね~そういうの。
私も昔、母の言った一言がすごくショックだったけど。
何年もしてから「こんなこと言ったよね」と聞いたら、え?そうだっけ?ごめん、ごめん~って言われたことがあった。
で、母は母で、母の母(祖母)に、昔言われた一言がショックで、聞いたら忘れられてた経験があったらしく。
結局、そうやってこだわってた自分が損!みたいな親子の結論に至ったのでした。
ってことで、何を言ったか忘れちゃったけど、こだわってる弟がふびんだったのと。
確かに置き去りは、スパルタ過ぎだったかな?という反省も込めて、弟の引越し資金を出したのでした。
長年日当たりの悪い暗い部屋に住んで、運気もイマイチだったみたい。
で、引っ越した先は、明るくて快適なマンションらしく、私へのこだわりもなくなり、素直にありがとう~と感謝され、めでたしめでたし!だったのでした。
で。その後、母から、ヒデキに彼女できたってよ~と聞き。
なんと!
内装の仕事で入ってたビルで。
給湯室に行ったら、女性が3名おしゃべりしてたらしく。
そのうちの一人が「私の名前、当ててみて!」といきなり声をかけてきたらしく。
弟が「〇〇さん?」と聞くと「え~それ、私の母の名前!」
「じゃあ、△△さん?」と聞くと「え~それ、私の妹!」
「じゃあ、ミチコさん?」と聞いたら「うわ~それアタシ!」ってなって、付き合い出したそうです。
まさに「君の名は」が流行ってた時期の「君の名は」ストーリー。
恋人居ない歴20年越えの弟、最後にバシッと決めてくれました。💕
もちろん、今もラブラブなふたり。
姉ちゃんのおかげで引っ越しできて、運気上がって伴侶にも出逢えてありがとう!と大喜びの弟なのであった!
めでたしめでたし!🤗
☆ 昔、弟が東京に出てきた頃撮った写真。