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音の巡礼

レッスンと練習と奏法と・・メンタルケア

同業者に指導法について訪ねられることしばしば。

どのようにして教えているのでしょうか?
教材は何を使っていますか?
どうしたら練習するようになりますか?
要点を教えてください。

どのように・・どうしたら・・

ひと言で言えば、
「自分の中に音楽があり、それを伝えているだけです」と。
本当にそれだけなのです。

何を弾いていても、どんな教材を使用していても、関係なく、
楽譜を開き、最初の音を弾けば、そこに音の世界が広がっている。
見えた世界を聴こえた音を伝える。そこに相応しいと思う技術
(音を引き出す技術)を伝える。
そして、その世界の素晴らしさを一緒に味わいたい・・

素晴らしい音の世界を旅する・・そのための技術。
なんのために技術が必要なのか、
また今ここに必要な技術は何なのかを理解すれば、
練習は楽しいものになる。
練習は、方向性、また何が必要で、何を磨くのかがわかっていなければ、たとえ100回弾いても上手くはならないし表現に繋がらない。(料理でいえば、包丁の使い方。必要な包丁の種類、必要な切り方を伝え、また上手く切るためのちょっとしたコツを伝え、その先は各々が技術を磨く。書道でも例えられる)

具体的に例をとってみる。

ショパンの幻想即興曲。
16分音符を一音一音はっきりとマルカートのように、
重さを同じに弾いてしまっては、滑らかにも、速く軽やかにもならない。手の構え方、どこの関節を使って弾くのか、指先と軸と重心の移動。細部に渡って、何度も何度も点線をなぞって字を覚えるのと同じように、一緒に弾き、真似をし、レッスンの中でコツを掴んでもらう。コツをつかんだ瞬間は、どの生徒も「自分の指じゃないみたい」「なんでこんなに速く弾けるんだろう」と自分の手を見て不思議がっている。
レッスンの中で、速く弾こうと思わなくても、速く軽やかに動くことを知ること。身体に記憶させ落とし込む。
そうすれば、指が意のままに動くので練習は楽しい。
弾き方が変われば、ピアノから生まれる音の響きが豊かになる。
きっとそこに何かが見えるはず。

ショパンのワルツ2番
最初の♩♫♩のリズムの取り方。音はすべて同じミ♭であるが、
1拍目の4分音符と3拍目の4分音符は、同じタッチではない。
1拍目はポーンとピアノの向こうへ音が遠くへ飛んでいくように、
次の8分音符は3と2の指を横に移動して弾くのではなく、
縦に3,2と落とすようにして3拍目を1の指で着地するように。
同じ音でも違うアクションから生まれた音は、リズムが生き生きとするのがわかるだろう。生き生きしたリズムからは景色が見える・・・音の扉が開くのである。
321とタタタンと縦に落としてみると、ピアノが弾けない人でも、リズムがタタタンになっていることに驚くと思う。
(指使いは432に変えてみるとよりわかりやすい)
生きたリズムにするには、的確な動作が必要なのである。
トランポリンや陸上競技、クラシックバレエ、包丁の使い方、
自転車の乗り方(バランス)・・様々なところにヒントがある。
(バーナムをどう弾くかで技術は変わってくる)

レッスンの中で、小さな感動が毎回あること、
感動するほどのものがないときは、
弾くを面白おかしく音で表現し、笑顔にする(心をほぐす)

例えば・・
寝坊して眠たい音・・やる気なさそうな重たい音は寄り道(ミス)ばかり・・
一瞬で目が覚めるようなシャッキとした音・・こんなふうに目覚めると気持ちがいいスラスラ〜というように、自分が音に対して意識を持つと、意思を持った音が生まれる。
音とともに物語を交えると、不思議と笑顔になる。

さらに、奏法やタッチと音色の連携は、その都度、生徒の弾いている姿を見て、細かく微調整し、美しい響きになる瞬間を体感できるようにする。やがて耳を使い、その違いを聴き取ることができるようになる。

技術とは、道具のようなもの。
感情で技術が磨かれ表現豊かになるわけではない。
ピアノの場合、スケール、アルペジオ、オクターブ、半音階、トリル、連打、和音・・・
道具を揃え、道具を磨き、いつでも使えるように、
一つの道具を何通りにも使いこなせるように、
料理人のように、あらゆる食材や道具を的確に適切に使えること、
またその素材を見極める目(耳)を育てること、
素材と適切な道具と使い方、そこに必要なものが揃えば、
美しい響きがピアノから生まれるのである。
素晴らしい音の世界は音の響きにかかっている。
どこまでも広がる響きは、
自分の感情やイメージといった小さな籠に収めた音楽ではなく、
自分の想像を超えた壮大な世界を音が教えてくれるのである。
こんなふうに「感動する」を体感できるピアノを練習せずにはいられない。感動があるから練習する。練習すればするほど世界が広がるという練習のループ。結果練習の質が上がり技術が磨かれ上手くなる。

最後にメンタル。
やはり難しい、難関はつきもの・・気が乗らない日もある。
また本当に進歩しているのだろうか・・自身で変化を感じられない・・負のループの始まり。
そんなときは、とりあえず休憩する。
おそらく、脳も指も身体も心も疲労しているので、休息、息抜き、ときにサボる。弾きたいと心から思えない日が数ヶ月続く場合は、
思い切ってピアノを弾かない。ピアノを見ない、音を聽かない。という具合に距離を置いてみる。
たぶん恋しくなる日が来る。私もそうだったから・・・
復帰したときは、前以上にピアノ愛で溢れている。と思う。

また練習の方向性や奏法が原因になっている場合は、
ピアノが嫌いになる前に、思い切って他の先生の指導を受けてみるのもいい。思わぬところで、糸口が見つかるかもしれない。
練習法も先生も一つ(一人)ではないのだから、気軽に。

本番のメンタルは、上手く弾こうとしないこと。
呼吸を整えてから舞台へ。響きに集中して、響きを味わうこと。

ミスも今の自分の一部であると受け入れておく、暗譜が飛んで、
どうにもならないときは、目を綴じ呼吸を整え、全てをなかったことにして、始めから弾く。ミスを振り切り、開き直り、今までの努力を無駄にしないこと。ミスは恥ずかしいことではない。小石につまずいただけ。「何か問題でも?」と客席にいえるくらいの度胸を持とう。
また後でミスを笑うものがいたら「今度弾いてみない?」と誘ってみるといい。舞台の怖さ、一人で乗り切るとは、どれだけ勇気がいることか経験できる。

先生は、音を聴いているので、
どんなときでも、どんなアクシデントがあっても、ミス云々で評価はしない。
音の世界を旅してほしい。どんな旅であっても、後悔しないように、この舞台での音の響きを堪能してほしい・・と思っていることを事前に伝えておく。
心の中にお守りがあると、のびのびと演奏できると思っている。

楽譜から作品の意図を読み取る力をつけることは、
楽しい練習に繋がる。
ピアノは人の評価を気にして上手くミスなくを目指したり、
また自分の感情(エゴ)で弾いていると、
いずれ樹海の迷路から抜け出せなくなり、練習が苦痛になってくると思う。

響きに耳を傾けられるように、響きの変化を聴き取れるように、
響きの世界の素晴らしさを知り、音の世界を旅できるように・・
そう思うと、ワンフレーズ、一音ごと、納得いくまで細かな導きが必要で、日々100%のエネルギーで、全力疾走ぎみのレッスンに
なってしまっている。いいのかどうか・・・

ピアノを弾く(練習とは)・・・究極ではあるけれど「何もしない」に辿りつくこと。(弾いているけど弾いていない感覚になること)
ひとたび弾き始めれば、そこに音楽あり。ここに音楽あり。
響きの中に作曲家を感じ、世界を感じ、映像を観るようで、旅のようでもあり、技術を磨いた者への練習した者へのギフトのようなもの・・言い尽くせないほどの喜びがそこにあるよ、時間はかかるけどね、と・・生徒たちには伝えている。

音と向き合うとか、自分と向い合うとか、様々な言葉を耳みするが、向き合うこととはどういうことなのか、向き合うことができるようになるにはどうしたいいのかわからない人は多い。
練習の方向性、何に趣をおくのか、弾く目的は何なのか、
など自問自答してみるといい。
技術はひけらかすものではなく、また音楽は人と比べるものでもない。音の巡礼・・といったところなのかな・・

補足
音色には心の経験値(心の色)が現れると私は思っている。