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論文を読む『氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察』前編

――日本の法律には、名,氏名権,命名権についての明確な定義や規定がない――
――名前は、他人と区別するだけでなく、アイデンティティーとも深く関係している――

自己命名権に関連する論文を読んでいきます。今回は――
長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察―日本の実務と中国の指導案例 89 号 「北雁雲依」 事件, 中国民法典の人格権規定から―." 拓殖大学論集. 政治・経済・法律研究 23.2 (2021): 1-21.

Ⅱ 日本法における氏名権,親の命名権

1 日本法における氏名権概説
 日本法においては,いわゆる氏名権について,おおむね以下のように理解されている。すなわち,氏名権とは,人がその氏名について有する法律上の利益をいい,氏名は,個人を他人から識別特定する機能があるが,さらに個人の人格の形成という点からも重要な意義をもつものである,というものである(1)。関連して,氏名権を人格権の視点から考察する有力な研究もある(2)。

( 1) 椎名規子「氏名の権利[最高裁昭和 63.2.16判決,東京家裁八王子支部平成 6.1.31審判,最高裁 平成 27.12.16判決]」戸籍 969号,2019年 6月,105 116頁。
( 2) 五十嵐清『人格権法概説』有斐閣,2003年,148 162頁。

長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察"

日本法での氏名権は、

  1. 人がその氏名について有する法律上の利益

  2. 氏名は個人を他人から識別特定する機能がある

  3. 氏名は個人の人格の形成という点からも重要な意義をもつ

  4. 人格権の視点からも考察できる

とまとめることができます。1・2のように、他人と区別することで法律上の利益があるというだけでなく、3・4のように人格形成や人格権とも関係しているというのは、このアカウントで主張している「自己命名権」を裏付けるものではないかと思われます。

2 氏名と法
 もっとも,日本法では氏名権を明文で規定する条文はなく,諸外国の法律とは異なる面がある。 日本法には氏名についての一般的な規定はなく個々の場合における氏名について規定が置かれているだけである(3)。

( 3) 前掲注(1)論文,105 116頁。なお,立法例として,イタリア民法典第6条「人の名に対する権利」として,「各人は法によってその者に付与されている名に対する権利を有する。人名には洗礼名および姓が含まれる。」が紹介されている。

長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察"

日本法は氏名権について明文化されておらず、氏名についてはバラバラの規定があるだけだといいます。名前についてはこのように曖昧な状態に置かれているのですから、自己命名権がうやむやにされる素地があるといってもいいでしょう。

氏について
 まず,氏の取得・変更については,日本法においても比較的詳細な規定があり,また,婚姻制度との関連で,多数の裁判例の蓄積もある(4)。氏に関する民法と戸籍法の規定を見ると,民法では夫婦と親子関係に分けて規定されている。そして,親子関係では,実子と養子とに分かれて規定されており,すなわち実子に関する民法 790条 1項では,「嫡出である子は,父母の氏を称する。ただし,子の出生前に父母が離婚したときは,離婚の際における父母の氏を称する。」と規定する一方で,同2項では「嫡出でない子は,母の氏を称する。」と規定する。また,養子の氏については民法 810条で「養子は,養親の氏を称する。」と規定し,離縁については民法 816条 1 項で「養子は,離縁によって縁組前の氏に復する。」と規定する。
 他方で,戸籍法では,「やむをえない事由」があるときの氏の変更の規定がある(戸籍法 107 条 1項「やむを得ない事由によつて氏を変更しようとするときは,戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は,家庭裁判所の許可を得して,その旨を届け出なければならない。」)。

(4) さしあたり河上正二「「子の命名権」について 悪魔ちゃん事件をめぐって 」太田知行 荒 川重勝 生熊長幸編『民事法学への挑戦と新たな構築』創文社,2008年,839頁以下とそこに挙げられている参考文献等があるが,枚挙にいとまがない。本稿の論旨から,ここでは氏をめぐる議論には立ち入らない。

長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察"

●氏についての 規定

民法
 ・夫婦
 ・親子関係
   ・実子
   ・養子/離縁
戸籍法
 ・やむを得ない事由があるときの氏の変更 

名について
 これに対して,名についての規定は少ない。これは,「名」というものが,当然・自明のものとして常識的な理解ないし想定がされており,所与の前提として議論されるところから,この常識的な理解ないし想定が常識の分野と法の分野との両方に足を踏み込んでしまっていることも一 因とされる。そのため,「名」には,常識的な意味からの「名」と法的な意味からの「名」が存することとなり,法的な意味からの「名」は,一般法上の「名」と戸籍法上の「名」に分類して考察すべきであるという指摘がある(5)。  (中略)
 そして,名の取得・変更については,民法には規定がなく,戸籍法に規定があるだけである。 すなわち,子の名の出生の届出に関する規定として,戸籍法13条で戸籍内の各人に氏名を記載するよう求めるほか,同50条1項では「子の名には,常用平易な文字を用いなければならない。」と規定する。また,正当な事由があるときの改名として,戸籍法107条の2では「正当な事由によつて名を変更しようとする者は,家庭裁判所の許可を得て,その旨を届け出なければならない。」と規定する程度である。なお,同 57条 2項に棄児の命名権者を市町村長と定める関連規定がある。
 このように日本法は,民法および戸籍法にいくつか氏名についての規定を置いているものの,名,氏名権,命名権やその法的保護についての明確な定義規定はないといえる。そのため,関連する裁判例等の実務を見る必要がある。


( 5) 山川一陽「「名」の意義とその機能 裁判例と先例を通して 」同『戸籍実務の理論と家族法』 日本加除出版,2013年,236頁。

長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察"

「名,氏名権,命名権やその法的保護についての明確な定義規定はない」というのが、名前についての日本の法律の欠陥を示しています。

3 命名権の理論と実務

名について(8)
 
名については,穂積陳重によれば「人名の起源は,識別指称の必要上,声音に依る人の符号を設くるに始まりたるもの」であり,「名は声音に依る人の符号にして,識別指称の為めに,出生当時より其人の本号として定着せしめたるもの」と定義されている(9)。また,山主政幸は,英法における氏名の定義を参考にして,名を「ある特定の個人を,他の個人から弁別するもの」であるとする定義を紹介している(10)。裁判例においては,「名はその人を特定する公の呼称である(11)」 や「名は氏と共に人の同一性を示す称号(12)」などとされている。
 このように,名は個人を表象するものであるが,その表象の手段は時代の変遷によって変わっ てきたものとされている。そして,古くは音声によって表象されてきたものが,文字に記載されるようになると,音声名と文字名の関係が問題となり,その過程で,呼称としての音声名から文字名が独立した地位を占めるにいたったとされる(13)。つまり,法的な命名権を考えるうえで重要になる戸籍名は,名のうちの文字名であり,国の公簿である戸籍簿に記載され,それによって個人を表象するものであるとされる(14)。


(8) 命名については,氏と名の双方に関わり得るが,前述のように,氏には固有の議論があり,その結果として,日本法では「氏を命名する」という余地は制限されているため,ここでは立ち入らない。
(9) 穂積陳重『実名敬避俗研究』刀江書院,1926年,19頁,33頁。なお,同書の校訂本として穂積陳重著,穂積重行校訂『忌み名の研究』講談社(講談社学術文庫),1992年も参照。
(10) 山主政幸『家族法論集』法律文化社,1962年,24頁。なお,山主は,日本においては,名については同様であるとしても,氏はこのようなものではないことも指摘している。
(11) 名古屋高決昭和 38・11・9家月 16巻 3号 107頁。
(12) 東京家審昭和 35・1・19家月 12巻 5号 141頁。
(13) 前掲注(5)書,239 240頁参照。
(14) 前掲注(5)書,240頁。

長友昭. "氏名権, 親の命名権をめぐる比較法的考察"
  • 名前とはもともと他人と区別するためのもの

  • 最初は音声名だけだった

  • やがて音声名と文字名の関係が問題になった

  • 戸籍名は文字名である

ただし、現在、戸籍名に読み仮名を付けるということになった現在、戸籍名は音声名と文字名の双方を支配することになったといえそうです。

中編では、いよいよ「命名権」についての記述を見ていきます。
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