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ショートミステリー|珍しい虫

珍しい虫を見つけた。

その日も誰でも代わりになれるような、つまらない仕事を終えて、高円寺の6帖一間の部屋に帰る途中だった。
駅前北口の飲み屋は、金曜日の夜ということもあり、通りがかりに覗いてみると真夏のセミの様なけたたましさで賑わっていた。
それに反し、季節は冬だ。身も心も財布も寒い給料日前。
割引になった弁当を買うためにいつものスーパーに入る。
大学生らしき店員が気だるそうに商品を並べながら、「いらっしゃいませ」と聞こえるような聞こえないような言語を発した。
就職してから3年。ほとんど毎日外食で、とりわけそのほとんどをこの手狭なスーパーの弁当ですませていた。
そして、いつも「早く食える」という理由で丼ものしか食べない。
今日は親子丼を手に取り、レジに並ぶ。
前に並んでいる女はずっとスマホで話しており、今から飲みに来ないかとしつこく誘われているらしく、「でも~だし」「明日~だから」と遠回しで断ろうとしているようだった。無論、俺にはノミほど関係がない。

帰りがけも「ありがとうございました」と聞こえるような聞こえないような言語を背中に受けて、店を出た。
ふと、駐車場の真ん中あたりに、妙にきらりと光るものがあった。
近づいてみると、灯りを受けて虹色に背中を光らせた小さな虫だった。

見たことのない美しい虫だ。
大きさは5センチくらい、触角は長く、目も黒く大きい。
しばらく見ていたが、動かないので「死んでいる」と判断し、
そのままにして家路を急いだ。

アパートは6帖一間で築30年。ユニットバスで風呂とトイレはあるが、とにかく狭い。
玄関のごみ袋を跨いでリビングに上がり、スーツを脱ぎながら冷蔵庫から発泡酒を取り出した。
3分の1ほど一気に飲んだ。今日は顧客に厭味ったらしく咎められ、その顔を思い出しながら飲んだ。客の顔もろとも喉元を流れ落ちる。
たばこに火をつけ、ため息を換気扇に吐き出す。

ふと、足元の床を見て、俺は驚いて思いっきり飛び跳ねた。
さっき駐車場で見た虫が、もぞもぞと俺の足に登ろうとしていたのだ。
普通であればここで咄嗟に丸めた新聞紙、または靴底で叩いてTHE ENDとなるが、その虫はとても綺麗だったし、佇まいも申し訳なさそうに感じた。

俺はなんとなく飼ってみることにした。

といっても虫かごがない。
ふと部屋の隅を見ると、先日実家から送られてきた荷物が入った段ボールがあったので、俺は中身をガサっと床に出して、その中に虫を入れてやった。
小さな虫に対して、段ボールは1m四方くらいなので大きすぎる気がしたが、大は小を兼ねるということでその段ボールで飼うことにした。
虫を段ボールに入れたところで、非常に腹が減ってきた。
買ってきた弁当を食べ、虫を眺め、テレビを見た。見れば見るほど珍しく、美しい虫だ。俺は非常に気に入った。

眠くなる前に風呂に入って、髪の毛を乾かしているとき、そういえばエサをあげていないことに気がついた。
その日は適当に冷蔵庫にあったゼリーときゅうりを入れて、ソファで寝てしまった。

次の日の朝、ゼリーもきゅうりも食べた後のようで齧った痕があった。
エサはこれで間違ってないらしい。

その次の日は日曜で雨だったので、虫を眺めながら一日を過ごした。
虫は生きているようだが、餌を食べる以外あまり動かない。
しかし、見るたびに光り方と色合いが異なり、俺はあまり動かない虫を見飽きることなく眺めた。
気づくと昼寝をしてしまったらしく、夕方になっていた。
ゼリーときゅうりを買うためにスーパーに行き、アパートに着くと、外側のドアノブに白いビニール袋がかかっていた。

怪しいと思ったが、おそるおそる中を見てみると、弁当が入っている。
それも、かつ丼弁当で、製造年月日は今日の正午だった。例のスーパーで買われたらしかった。
左右の隣の家をきょろきょろ見回してみたが、人がいる気配はしなかった。
俺は腹も減っていたので、その弁当を家の中に持って入り、
ビールを飲みながらいただくことにした。
味はもちろんいつも食べる丼ものと同じである。
もしかしたら母親が近くまで来て、置いていってくれたのかもしれない。
というか、彼女も友達もいないのだから、それ以外にない。
とにかくありがたい話だ。
段ボールの虫かごを覗くと、いつもと同じ真ん中あたりでもぞもぞしているようだった。
買ってきたゼリーときゅうりを入れてやると、ゆっくりその方向へだけ移動した。

次の日は平日だったので、帰りが遅くなった。
アパートに着いてドアを見ると、また白い袋がかかっている。
中を見るとステーキ丼だった。
遠くで今頃は眠ってしまっているであろう母に感謝の念を送り、また家の中で食べた。

その次の日は海鮮丼、その次の日は中華丼、その次の日は天丼
というように、家に帰ると弁当が待ち構えていた。

そんな生活を一週間ほどした時に、母親から電話がかかってきた。
いつものこと。彼女はできたかとか、仕事はどうだとか。
そして飯をちゃんと食っているか聞かれたので、
俺は、母ちゃんが弁当をいつも買っておいててくれるから、ありがたいよと言った。
すると、母親からは意外な返答が返ってきた。

そんな弁当は知らないというのだ。

俺はぎょっとした。
じゃあ、今まで食っていた弁当は誰がくれていたのだ?
胃が小さくなるようにキュッと鳴った。

次の日は日曜だったが、ずっと家の中にいた。
相変わらず、虫はゼリーときゅうりの周りをモゾモゾと動くだけだ。
そこで、ふと、ある考えが浮かんだ。
「この虫は、自分が捕まっていることに気づいていないのではないか」と。
確かに、この大きな段ボールの真ん中あたりにずっとおり、端の壁までいったこともない。
ましてや、段ボールの上は常に空いているのに、飛んで逃げることもしないのだ。

ぼんやり考えていると、玄関のドアの外でドサっと音がした。
誰かがいつものように弁当をノブにかけたのだ。
俺は急いで玄関に走っていき、ドアの覗き穴から外を見たが、そこには誰もいなかった。
そしてノブには、鉄火丼弁当がきちんとかかっていた。

俺はそれを持って部屋の中に入った。

美しい虫が、ゼリーに頭を突っ込んで、もぞもぞと食うのを横目に、俺は弁当の蓋を開けた。

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