マガジンのカバー画像

開発ワーカーの胸の内

23
途上国を転々として、相手国政府に技術支援する「開発ワーカー」なる仕事。 何してどんなことを考えているのか、たまにご紹介。
運営しているクリエイター

#海外生活

「普通じゃない」転職観。

「普通じゃない」転職観。

今の仕事のためにパキスタンに来て1年と1カ月。 残りの任期は7カ月を切りました。 あと半年ちょっとで無職になる開発ワーカー、そろそろ次の仕事を探さなくてはなりません。 国連での仕事を考えるなら、現在出ている空席公募ポストで業務を開始できるのは早くても半年後なので、現在の契約期間終了から半年~1年前には次のポストを探していて当然の世界です。

という話を違う業種の転職未経験な友人にしていたら、2~3

もっとみる
なぜ、そこに生きるのか。

なぜ、そこに生きるのか。

出張でパキスタン北東部、ヒマラヤ山脈の西端に連なる標高2400~2700m辺りの地に行ってきました。 電気も水道もなければ、携帯もつながらない山の中にも小さな集落が点在していて、雪で閉ざされていない4月~10月だけ人々がこの地で生活しています。 最寄りの学校も簡易医療施設も40㎞ほど先で、車を持つごく少数の家を除き、住民は公的サービスからほぼ切り離されていると言っても過言ではない「果て」の地。

もっとみる
人は生まれる場所を選べない。

人は生まれる場所を選べない。

途上国で生活・仕事をしていると、しょっちゅう「人生というのは不公平だ」と思います。その不公平を是正するために社会開発分野で働いている私が言うべきことではないのですが、まあ事実だから仕方ない。

先月、パキスタンの北部にある小さな町の、とある保健施設に行ってきました。日本で言うところの県立病院、ある程度の手術や分娩まで行う地域中核病院ですが、上の写真が分娩室。

カビだらけの壁
停電中の部屋
分娩台

もっとみる
運命、信じますか?

運命、信じますか?

同業者である開発ワーカーたちと話していると、どうやら運命だのご縁だのカルマだのを信じている人が多いことを感じます。私から見ると、皆さん運命なんかに翻弄されているのではなく、何かを信じて自分たちで道を切り拓いているような方が多いので、ご縁もへったくれもあったものじゃないと思うのですが、何だかちょっとスピリチュアルな話で盛り上がることも多い業界のような気が。占いにむちゃくちゃ詳しい人もあちこちにいます

もっとみる
遺書を書こう。

遺書を書こう。

途上国で暮らし始めた2000年から、毎年お正月に遺書を更新しています。

当時20代だった私が「遺書」を書いているというと、たいていは縁起でもない…という反応でした。 

でも海外在住中に私が死んだら。。。
日本語の通じない組織から、給与を国外にある口座に得ていて、私に何かあったときにちゃんと口座の中にあるお金を日本の家族が相続できる?
国連から業務中の死亡時の各種給付金をきちんと受け取る書類書け

もっとみる
初志リターンズ。

初志リターンズ。

たまたま1.5カ月前のNewsweek日本版を読み直していたら、見過ごしていた最終頁にびっくりする記事を見つけました。(海外にいる間、日本語の雑誌は私の精神安定剤みたいなもので、隅から隅まで、何度も読みます。)

この記事で取り上げられている1989年7月のNewsweek(英語版)、交換留学に旅立つ直前の高校生だった私が、記事を何度読んでみても内容を全く理解できず、悔しくて、もうすぐ始まるアメリ

もっとみる
一番続いている仏語学習法。

一番続いている仏語学習法。

開発ワーカーたるもの、数か国語が話せて当たり前、と思われがちです。そういう同業者たちもわんさかいますが、残念ながら、私は英語の他にはフランス語で新聞の半分ぐらいを理解するのと日常会話対応しかできません。(4年も仏語圏スイスに住んでいたのに、、、恥ずかしいこと限りなき。)

この仕事に就いて20年、私は英語をネイティブ並みに書けるようになることを優先させてきたので、駐在した国の言葉ではご挨拶と自己紹

もっとみる
定期的に、もがく。

定期的に、もがく。

海外暮らし歴も、もうすぐ20年。 インターネットのおかげで昔とは日本と繋がることも比べ物にならないくらい簡単になったせいか、ホームシックになることはもうほぼなくなりました。 そもそも自称しているほど日本がもう「ホーム」ではないので、家族や友達に会いたいという思いがSkypeやSNSで満たされていると、どうしても日本に帰らなくてはならない理由もなくなってきたようです。(四谷の、神楽坂の、銀座のあの店

もっとみる