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千葉雅也『デッドライン』

 続けて第二回は野間文芸新人賞をとっている、千葉雅也の『デッドライン』。前回の『遊覧日記』と同様、この小説も情景が素晴らしい。

 最初ぱっと目を引く、この小説のユニークなところは、ある短い情景が展開して、すぐに終わって、今度は全く違う情景が展開する、という構造。ぱっと情景が切り替わるので、読者としてはなかなか入り込みづらいと思うの(それでこの小説に入れない人もいるかもしれない)だが、付き合っていくと、バラバラに思えたピースが自分の中で整っていき、情景がより生き生きと感じられるようになる(という感じで、アマゾンに書いたレヴューをなぞることになったが、まあ同じ人間が書いたんだからしょうがない)。著者のインタヴューを読むと、映画を意識して作ったという。なるほどと思う。映画と思えば、一人称の小説に三人称が混じる知子の場面なんかも理解できる。

 さて、前置きが長くなった。この小説からの抜粋はここ。

 暗闇に目が慣れてくる。ほとんど真っ暗な通路の奥へと歩いていく。左右には、やはりほとんど真っ暗な部屋、というか窪みのような、トイレの個室ほどの空間がいくつかある――蟻の巣みたいに。目が慣れてくると、パンツ一枚の男たちの顔がぼんやりとわかってくる。比較的筋肉質の若い男ばかりだ。一人の男が暗闇の奥に消えていくと、別の男がその後に付いていく。さらに別の男がその後から付いていく。男たちは連動する。車間距離を測りながら走る車のように、あるいは、群れなして回遊する魚のように。

 小説の冒頭じゃねぇーか! って。そう、その通りなんだけど、いきなしマックススピードでぶっぱなしているという感じで、もっていかれてしまう。ここの部分から8ページか9ページ目までここで読めます。この新潮社の立ち読みで冒頭を読んで、なんだこの現前性は! と思ったわけです。それで後追いでこの小説が載っている新潮を買い、あまりに好きだったので、単行本でも買った。

 読者は主人公の視点になって、主人公と一緒に真っ暗な部屋の中に踏み込んでいく。トイレの個室ほどの空間を認識し、パンツ一枚の男たちの顔を識別すると、今度は男たちの動きを追っていく。小説の空間がナチュラルに広がっていく。ここまで比喩はあっても、著者は透明な存在だ。よく小説は情景から始めるべきか、いや語りから始めてもいいんだ、という議論があるけど、こういう小説を読んで、警戒心なしにすーっと入り込めたりすると、やっぱり小説はその世界を読者に(そして著者自身に)発見させるように書くべきなんじゃないかと、僕は思う。それはともかく、小説全体でもハッテン場の場面は緊張感が高く、情景も濃密に描かれる。それは、今回この小説を読んで初めてしったけど、快楽が死(HIV)に直結するゲイの青年の切実さからきているのだろう。そういう切迫した情景の一方で、それと対照的に序盤中盤では、大学生活が牧歌的に描かれていて、そのコントラストもこの小説の魅力というか、先を読ませる推進力になっていると思う。

 と、ここまで書いたが、まだ引用権を行使していない! ので、最後に小説の107ページ、ハッテン場の情景の冒頭を引用して終わります。

 ドアを開けると鈴が鳴り、黒い目隠しのカーテンをよけて入る。外の寒さから打って変わり、暖房が効き過ぎていてまるで夏の温度だ。玄関の横にマジックミラーがあり、その向こうにはバイトが潜んでいる。こちらからは見えないが、向こうからは見えている。マジックミラーの下の隙間に千円札を出す。すると手が、ロッカーの鍵とタオルを渡す。靴を脱いで入ると公営プールのようなロッカーがあるので、鍵で指定された番号を使う。パンツ一枚になる。パンツとケツの割れ目の間に小さなローションのボトルを差し込み、パンツの脇にコンドームを二つ挟む。鍵を足首に巻く。腕の右か左だと、タチかウケかのサインになる。右がタチのことが多い。足首だとリバだ。右足首だとタチ寄りリバで、左足首だとウケ寄りリバ。僕は左足首。タバコとライターはロッカーの上に出しておく。まあ、盗まれないだろう。これで出陣。

 これだけの文章を作るのに著者はどれだけ時間をかけたんだろう。素晴らしい。

 ではまた。

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