見出し画像

初のCDは高橋真梨子『SONGS』

 「もう50歳も過ぎると、初めて買ったCDなんて覚えていないのでは」と思われるかもしれないが、そうでもない。はっきり覚えているのである。

 思えばCDというメディアが登場した時、私はまだ中学生だった。CDプレーヤーも1台20万円を超えるほど高価なものだったので、私は「ふぅ~ん、そんなものもあるんだ」くらいにしか思っていなかった。

 ところが私が高校生くらいになるとどんどんCDプレーヤーの値段が下がってきて、CDもどんどん発売されるようになっていた。そうなるとアナログレコードを駆逐するのも時間の問題になってきた。幸い、アナログレコードでもCDでも1枚のアルバムの値段はそれほど変わらなかったわけなので、あとはプレーヤー次第だったのである。

 そのころの私と言えば学業成績も振るわず、パッとしない高校生活を送っていた。勉強にうるさい母の小言にイライラしながらも、こっそり隠れてダビングしたカセットテープで音楽を聴く毎日。しかしあまりの成績の悪さに堪忍袋の緒が切れた母が、私に音楽禁止を言い渡したのだ。これはたまらなかった。

 ちなみに当時の私が通う学校は1学年480人という大きな学校で、100番以内にいれば国公立の大学進学もまぁまぁいける、という感じの学校だった。そんな学校にいて私の順位は400番前後。国公立どころか大学進学すら怪しい。こりゃダメだ。ただでさえ「勉強、勉強……」「大学くらいは行け!」とうるさい母であったから、音楽禁止と言われるのも仕方がない。だが当時音楽の無い生活など考えられない私は、母に対して抵抗を試みる。どうせちょっと成績が上がったくらいでは、またすぐ禁止されることにおびえながら生活しなければならない。それならば劇的な変化をもたらした方が安心して生活できるわけだ。そこで私は思いきって、成績が100番以内に入ったらCDプレーヤーを買ってほしいと申し出たわけだ。400番前後の私が「100番以内に入ったら……」なんて言い出したものだから、母は鼻で笑って「「あんたなんか100番以内はおろか、200番以内だって無理だよ。100番以内? いいよ、やれるもんならやってみな。100番以内に入ったら買ってやろうじゃないの」と言い出したのである。ちなみに私の最高位は200番程度。あり得ないわけだ。母が鼻で笑うのも無理はない。ちなみにそんな母も無類のクラシック好き。CDというものの存在が気にならないわけでもない。あわよくば便乗してしまおう、という下心があったかどうか……今となっては定かではない。

 「じゃぁやったろうじゃねぇの。」

 そんな単純かつ不純な動機で私は勉強を始めた。そりゃもう必死ですよ。生活に音楽を取り戻すためならなんだってやったるわい、という気持ちで勉強に取り組んだ。もちろん泣きそうになるくらい英語も数学もわかんなくなっていたし、「化学?なにそれ?おいしいもの?」「古典って活用形って何個あるの?」っていうレベルなわけだから道のりは険しかった。毎日毎日勉強している間、半年間私の生活から音楽が消えていた。禁断症状もあったが、一か月も過ぎるとあまり苦にならなくなった。

 そして半年が過ぎた頃、ついにやったわけである。89位まで駆け上がった私は、ドヤ顔で母にそれを突きつけ、「CDプレーヤー、買ってもらいますよ」と宣言したわけだ。母はあんぐりと口を開けていた。ちなみにそのころになるとCDプレーヤーは1台およそ5万円くらいで買えるくらいになっていた。

 さて、プレーヤーはいいが、CDはどうする?となった。プレーヤー欲しさに勉強していたものの、いざプレーヤーが手に入るとなった時に最初にかけるべきCDを考えていなかったのだ。とはいえ、最初のCDを何にするか決めるのにそれほど時間はかからなかった。当時の私はジャズ・フュージョンや洋楽の洗礼を受けてはいたものの、その一方でFMラジオで知った高橋真梨子の歌が好きで、地方公演にやってきた高橋真梨子のコンサートに学生服姿で行くほどだったのだ(学校帰りに行くしかなかったので)。どうせならあの「桃色吐息」の前奏をCDで聴いてみたい、そう思ったのである。当時「桃色吐息」はヒットしていたのでテレビの歌番組で見る(聴く)ことはあったのだが、テレビで聴く前奏はしょぼいテレビのせいでどうしても音が良くなかった。しかしあの前奏は、条件が整えば絶対かっこいいはずだと思っていた。ならば「桃色吐息」が入っているCDをCDプレーヤーと一緒に買ってしまえ、と、ベスト盤の『SONGS』を買ったわけである。それが「はじめて買ったCD」ということになる。しかも1曲目が「桃色吐息」ではないか。人生初のCDの一発目のインパクトとしては申し分ない。

 母からもらったお金で買ったCDプレーヤーを持ち帰り、返しもらったオーディオにつなげ、いよいよ再生しようと思った時、母が部屋に入ってきて「私にも聴かせてよ」と言うではないか。うん、そりゃぁそうだ。母にとっても初めてのCD。高橋真梨子のことも母は嫌いじゃない。で、私と母は並んで腰かけて、ついに再生のボタンを押した。

 「ぉうわぁ~!」

と、二人でほぼ同じリアクションをした。そのクリアーかつダイナミックな音に身震いをしたのだ。それまでと言えば、アナログレコードに針を落とした直後の「プチッ……プチッ……」というノイズで気持ちを整えていたのが、いきなりガツンとやられるわけだから、そりゃぁびっくりである。1曲終わるまで二人とも無言だった。「桃色吐息」の再生が終わると、

「いい音だねぇ~」

と母がしみじみ言った。まぁアナログレコードの良さを再び知るのはこれよりずっと後のことになるわけで、この時はCDの可能性の方がはるかに勝っていた。そしてもう1曲聴きたい曲があった。「for you...」である。この曲は私が高橋真梨子を知ったきっかけとなる曲でもあり、FMからエア・チェックしていたものを何度も聴いているうちに、テープが伸びてしまっていた。だからぜひCDのクリアーな音で聴きたかったのだ。私が買った『SONGS』は「桃色吐息」と「for you...」の両方が入っていたため、初めてのCDとしては申し分なかったわけである。あのサビの部分をいつかCDで聴きたいものだと何年も思っていたことが現実になったことになる。

 母の世代からすればペドロ&カプリシャス時代の「五番街のマリーへ」とか「ジョニーへの伝言」が身近なわけであるから、そういう曲も入っているCDを選んだのは母への忖度だったと思う。「まぁスポンサーみたいなものだから、それはしょうがない」という何とも「スレた」高校生だった私である。

 というわけで、私のにとっての初めてのCDは、初めてのCDプレーヤーとともに私のところにやってきたのである。

 あれから時は流れ、今私の家にはCDがおよそ8000枚ほどある。全部MP3にしてしまっているのであんまり聴かないCDは捨ててしまうか売ってしまうかしても構わないわけで、何度かそうしようかと思ったことがある。しかし、そのたびに高橋真梨子の『SONGS』を手に取って思いとどまってしまうのである。いやはや初めて買ったCDの影響力は大きい。

 私にとっての初めてのCDプレーヤーを買ってくれた母も今年の1月に他界した。最後まで音楽を愛していた。入院中も携帯音楽プレーヤーで音楽を聴いていた。母が亡くなった後、しばらく音楽も聴く気が起きなかったが、一か月ほどして久しぶりに音楽でも聴こうかと思った時、CDライブラリーの中にある高橋真梨子の『SONGS』が目に入ったので手に取ってみた。もう何年も、いや、十年以上も再生していなかった。特に感傷に浸るつもりもなかったのだが、プレーヤーに入れて再生ボタンを押してみた。音量設定を少し間違えていたのか、ちょっと大きめの音で「桃色吐息」の前奏が流れた。

 「ぉうわぁ~!」

 そのリアクションは当時のままだったかもしれない。

#はじめて買ったCD

この記事が参加している募集

#はじめて買ったCD

3,422件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?