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花のかげ

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母を介護した時の記録です。脳腫瘍を患い、手術、治療をしましたが、認知症が進行し、病気も再発して、2021年1月8日に亡くなりました。母を介護した時の記録とその時その時の思いをまと…
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#放射線治療

花のかげ~第3章 彷徨(5)

五.抗がん剤の再開  七月は比較的穏やかに過ぎていった。思えば私も妻も一番仕事に集中でき…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第3章 彷徨(4)

四.一時的な回復  六月下旬、母の定期通院があって、その時は妻が帯同した。その時もベッド…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第3章 彷徨(3)

三.放射線の反動  ショートステイを終えた後、徐々に母の体調が思わしくなくなってきた。す…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第2章 動き出す(9)

九.認知症が現れ始める  最初の一週間は母に大きな変化は見られなかった。土曜日に迎えに行…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第3章 彷徨(2)

二.衝突と和解  認知症の介護というのは初めての経験であるわけで、私と妻の介護も手探りの…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第3章 彷徨(1)

一.デイサービスの開始  五月も下旬になると、コロナウィルスの感染者数が減ってきたことも…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第2章 動き出す(8)

八.放射線治療  外来受診は五月二十一日の午後になっていた。散歩のかいもあってか母の足取りはしっかりしてきており、若干ふらつくことがあるとはいえ機能回復は順調のように思われた。  この日は私一人で母を病院に連れてきた。母は以前は把握していた病院の構造がまったく理解できなくなっていた。「こっちだっけ? 上だっけ? 下だっけ?」といちいちたずねながら私に手を引かれて脳外科までやってきた。  今川医師の、 「せんせー、だぁれだ」 に対して、母が、 「イマガワせんせー」 と言うのが