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⑦ 何でもいいし、まあいいか。

人生というものは思い通りに行かないものだとつくづく思う。

今日も今日とて早く終わる予定だった仕事内容が朝から変更になり、長くて単調な苦役に辟易しながら従事している。

仕方ないと諦め、割り切っているつもりではあるが、本当ならさっさと終わってサウナに行くつもりだった私の楽しみにしていた気持ちをどうしてくれようという、モヤモヤとしたやりきれない怒りの感情が腹の底で渦巻いているのも事実である。

予定が狂う事なんぞ日常茶飯事で当たり前の事だ。なんせ予定は予定でしか無いのだから。そんな前提を頭で解っているにも拘らず、予定をアテにして勝手に期待する自分が悪いのも自明の理である。

期待するから裏切られる。さすがにいい歳こいて来た為にそんな事は重々承知であり、期待が外れた事に覚える自分勝手な憤りにいつまでも振り回される事はそれ程多くは無いのだが、それでも期待するという事を止められないのには人間の業の深さというものを改めて感じさせられてしまう次第である。

一刻も早く期待に苦しめられてしまう自らの業から解き放たれたいと願って止まないのではあるが、そう思った側から今日の昼食のメニューはなにかなと期待に胸を膨らませている自分が居る事に気付き、これはもうどうしようもない事だと悟る。

そもそも期待しない人間になる事を期待している訳であり最初から矛盾が生じている。どうにも期待を捨てる事は出来ない様で、この苦しみから根本的に逃れる事は不可能だという結論に達する。成る程、一切皆苦とはまさにこの事である。

しかしながら、純真無垢な子供の如く期待に夢を膨らませては現実に嘆き苦しんで生きていく事も中々キツい為に、落とし所として物事に対しては「何でもいい」と思って向き合う事を自分の基本スタンスとして採用する事にしている。

「何でもいい」とさえ思う事が出来れば、この世のありとあらゆる事象をありのままに受け入れる事が出来る筈なのである。

この「何でもいい」という心構えだけでは消化しきれない様な理不尽であったり不都合な結果に対しては、「まあいいか」で済ます。

この「何でもいい」と「まあいいか」の二段構えこそが、齢三十七にして私がこの世知辛い世の中を生き抜く上で辿り着いた処世術の極意と言っても過言では無い。

私はこの身に起こる全ての事象に対して「何でもいい」と全て受け止めて、「まあいいか」で軽く流す。そうやってしなやかに生きていこうと心掛けながら日々暮らしているつもりである。

そんな自分の基本スタンスを立ち返って確認しつつも、やっぱりサウナには行きたいのでワンチャン早く仕事終わらないかなと期待している自分が居る訳で、改めて人間の業というものの深さを窺い知るに過ぎないのだ。

やっぱり人生は思い通りに行かないものだと感じる今日この頃。






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