22 父親
兎に角、父親が嫌だった。
私も如何にかこうにか自立して家庭を持ち、両親も老いて来た今となっては、私にとって父親は超えるべき存在では最早無い。それなのにも関わらず、この歳になっても未だに父親の事が嫌なのである。
ここで言う嫌だというのは、嫌いであるという事では無いし、恨み憎しみといった類いのものでも無い。
今日まで私が生きて来れた事は、父親のおかげであり、勿論感謝をしているし尊敬もしている。
嫌いなのでは無い。どうにも相容れない感じがして嫌なのだ。
父親は1962年(昭和37年)生まれで、上に歳の離れた姉が二人居る末っ子長男だ。両親は父親が小学生の頃に離婚をしているらしく、その後は母子家庭として育った。
私は接触した事が無いので詳しい事は解らないのではあるが、親類縁者に資産家の家系が居たらしく、そこの助けもあった様で、母子家庭ではあるが経済的に困窮する事も無く、比較的に豊かな状態であった事が、父親の語る当時の想い出からは想像される。
そんな父親は特に乗り物が大好きで、中学生の頃に自転車で四国一周、高校時代にはオートバイを改造して乗り回し、卒業後には自動車整備士の専門学校へ進み、自動車ディーラーの整備士として就職して働き、後にトラック運転手へと転職した。
父親が若い頃の想い出として語るのは、常に車遊びとディスコの話だ。彼の口から、若い頃の苦労話というのを聴いた記憶は残っていない。語られるのはいつも軽薄で楽しそうな話ばかりだった。
口を開けば車、バイク、自転車、釣り、ゴルフ、マラソン、映画、酒。私から見て父親を一言で表すならば、それは趣味人である。
ギャンブルこそやらないが、家庭があって、子供が居ようとも、自分の趣味が人生の中心。取り立てて厳しい訳でも優しい訳でも無く、自己中心的で我儘な人。私には父親がそんな風に見えていた。
そんな父親からの影響を受けて育った訳で、私も似た様な道を通る事になるのだが、父親と同じ趣味嗜好を引き継ぐ事に、何か掌で踊らされている様な気がしてならず、心の何処かでいつしか抗っている自分が居るのである。
周囲の人がどういう状況であろうが、あまり顧みる事をせず、自分の興味が赴くままに楽しめていれば世は事もなし。父親のそんなスタンスが、あまりにも自分勝手で浅はかに感じてならなかった。
そんな父親も数年前に還暦を迎えた訳ではあるが、相も変わらず即物的な享楽主義を突き進んでいる様に私からは見える。
今の私には義父という、もう一人父親の存在が在る訳だが、義父は正反対の家庭的で自己犠牲の強いタイプの人間だ。
その義父と十年間、近くで暮らしているうちに、はたして私の父親の生き方は幸せなのであろうかと次第に疑念を抱く様になった。
生き方なんてモノは人それぞれだとは思うし、各人が思うように生きて死ねばそれで良いとも思っている。
それでも家族や介護に全力で生きて来た人と、享楽的で我儘に生きて来た人の最期と、どちらが人として幸せを感じて逝けるのであろうか。今の私はどうしても比較して考えてしまう。
今の私が在るのは、紛れもなく父親の存在のおかげである。
それでもやっぱり、なんか嫌なのだ。