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自分の履歴書⑧ 日本で再起する

この記事は北京から日本に帰国して、再就職するまでの記事です。

誰にも言わずにひっそりと帰国

お客様には今の事業を辞めることを告げて、ひっそりと帰国。いざ帰国すると何も結果を残せなかったという無力感と、後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。
そして、日本から北京オリンピックが無事に開催されている光景をテレビ越しで観ながら、テロに巻き込まれてでも居座ってやるぐらいの覚悟で北京に留まるべきだった、、と強く後悔しました。

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尊敬する上司に怒られる

帰国したことは前職の上司にだけは伝えました。久々に会って食事をした際に、何故帰ってきたのか、と言われました。やりたい事が見つからないなら現地で就職するなり、もっとしがみつけば良いのにと。貪欲さが足りないと。脳みそに冷水をかけられたような気持ちでした。フリーランスでいると、間違えていても誰も指摘してくれないので、自分で軌道修正しないといけないのです。久々に強い指摘をされて自分の判断がいかに誤っていたかを実感しました。
実は一度日本に帰国した際に、上司から仕事をもらって一時的に社内アルバイトをさせてもらったこともありました。そのような陰ながらの応援に応えられなかったことも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そうは言っても、当時は中国がこれから成長するとは思えなかったのです。メディアが大袈裟に中国を評価しているだけだと。実際、私が現地で感じたのもスピードは早いが適当で抜けが多く、経済大国なんてほど遠いと結論付けていましたが、大きな誤算でした。今や経済でもITでも大国となっている訳ですから。

しかしながら、ビジネス的な視点での誤算がどうこうよりも中国の文化を知ることができたこと、少ないながらも中国人の友達ができたこと、日本と中国は政治的には対立関係にありますが、その垣根を超えて理解し合えたことは一生の財産だと思っています。ビジネスでは答えを見いだせませんでしたが、機会があればいつでも再チャレンジするつもりです。

特異な経歴が足手まといになる

帰国後は、ストックオプションの資産もだいぶ使ってしまい貯金が少ない状態でした。一旦実家に帰ったものの、無職の状態で肩身が狭く就職を急ぎました。

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転職エージェントに登録していて担当者からまず言われたのが、中国でのフリーランス経験がネガティブに捉えられる可能性が高いということでした。その指摘通り、書類落ちが多かったです。面接にこぎつけても、レールから外れ、しかも中途半端で結果を残せていないと言われることが多かったです。
応募した企業は主に2種類、医療とセキュリティ関連です。医療は当時まだまだITが入り込んでなかった点、セキュリティは今後需要が増えることと、価値が低下しづらい点が良いと思っていました。そして、いずれの業界もデザインで解決できる課題がとても多いと思っていました。
しかしながら、不採用が続きだんだんとメンタル的にも疲弊してきました。

何がしたいか、ではなく何が足りないか

次のキャリアで何をするべきか。求人情報を見ながら自分自身に問いました。自分自身の弱みに真摯に向き合った時、インハウスデザイナーでサービスを成長させたいという自分のやりたいことよりも前に、そもそものデザインの質を上げること、論理的に裏付けられたデザインができないとダメだと思いました。実際のところ、きちんとデザイン専門の仕事をしたのは、大学を卒業した直後のバイトだけだったのです。
方針を変えて制作会社、コンサル会社などに応募し、やっとのことで金融系のコンサル会社へ仕事が決まりました。金融系に決まったのは、デザイナーでありながら株取引などの知見があったのが評価されたからです。

社会人30代前半その2へ続きます

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