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自分の履歴書⑨ コンサル会社で鍛えられる

この記事は日本に帰国してコンサル会社でもがいた2年の記事です。

チームワークのありがたみを再認識

久々に人に指示されながら仕事をするということが最初はうんざりしましたが、それでもチームで仕事ができることのありがたみを再認識しました。ちょっとしたことを相談したり、間違っている部分を指摘してもらえたりするのは、孤軍奮闘していた時と比べたら本当にありがたいことです。

しかしながら、中国から日本に戻って苦労したことは、日本のきめ細やかさと細部まで行き届いたルールです。良くも悪くも雑になっていたのです。今までの日本の働き方の感覚に戻るまでは窒息しそうな息苦しさがありました。

コンサル、だけど最後まで責任を持つ

コンサルティングとは「知識の性風俗」と比喩されるように、クライアントを気持ち良くさせるのが仕事だと言われます。しかし、この会社の魅力でもあり弱点でもあるのが、制作まで請け負う点です。言い逃れができない状況は、デザイナーにとってもシビアな環境です。コンサルタントが良い話をしてきたが、実際には制作視点で実現が難しいということは多々ありました。それでも、脳みそがちぎれるくらい考えきったのか、ということはよく言われていました。

直感的か

脳みそがちぎれるくらい考えられたデザインは、結果としていたって自然に使える体験になります。世の中にある多くの物事が自然に使えるのは、実はものすごい熟慮されている、という当たり前のことに改めて気づいたのです。

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直感的かどうか。
この視点を持ってデザインを最終成果物になるまでブラッシュアップさせる作業は苦しいながらも多くのことを学びました。このような定性的なことにリソースを割くことはなかなか評価されづらいですが、確実に目標数値などにもつながります。先々のデザイナーキャリアにも大きな影響があったと思います。

マイナスからのスタート

複数の案件が走る中で、ディレクション、デザイン、コーディングと案件ごとに役割をとっかえひっかえで対応していました。
クライアント先で話がまとまらないと、会社のメンバーもお客様だと思え、とよく言われていました。会社のメンバーとうまくやれない人はクライアントともうまく行かないだろうと。
きっとそれは私が社内でもうまく行っていなかったからなのです。
よく仕事は信用の積み重ねだと言いますが、信用が築けないと何から何まで間違っているように思われるのです。こいつに仕事を任せるとやらかしそうだな、、という先入観を持たれると、正しくても間違っているように思われてしまいます。そんなマイナスからの出発となりました。

競争社会とは実質ピラミッド構造です。人生においては何度となく、ピラミッドの最下層になる時があります。それでも今振り返ると最下層にいる時こそ、多くのことを学べていた機会だったと思います。しかしながら、人は弱いもので一刻も早くそこから逃げ出したくなるものです。

どこにも辿り着けない

日々、目まぐるしく仕事をする中で、着実にスキルアップしているのは実感できました。具体的にはデザインスキルもさることながら、いかに効率よく納品まで持っていくか、という段取り力や交渉力のようなスキルも身についたと思っています。しかし、区切りをつけなければいけないと思っていました。作って納品の繰り返しで、擦り切れるばかりでどこにもたどり着ける気がしなかったのです。何より社内での信用が築けなかったので、キャリアアップという道も皆無でした。それでも今振り返ると、デザインの基礎力が鍛えられた期間だったと思っています。

退職はメールで上司に告げましたが、特に引き止められることもありませんでした。同じタイミングで退職する人が自分以外にもいたのですが、退職日当日に知るという状態で、いかに私は会社に打ち解けていなかったのか、、と実感しました。
そして、退職してから数カ月後、このコンサル会社が上場廃止になったことを耳にしたのでした。

退職して中国を放浪する

30代前半にも関わらず、次を何も決めずに退職。そして実家暮らし。人生が何も前進していない気がしました。
時間的にも金銭的にも余裕があったので、中国で行きそびれていた場所を周ることにしました。おおよそ一ヶ月で、北京→平遥→磧口→西安→チベット→重慶→鳳凰→開平→香港を周ることにしました。
ところがチベットに行くあたりから体調を崩してしまい、旅行ができないくらい悪化したため途中の重慶を最後に日本に帰国しました。帰国後に病院に行くと咳喘息にかかっており、あと一歩で喘息になるところだったようです。
中国の秘境については違う記事で詳細を書こうと思いますが、あまり知られていない独特な世界観の場所がたくさんあります。

再就職がすぐに決まる

旅行から帰国してからほどなくして東北大震災が発生しました。震災が起きた時は、お恥ずかしながらのんきに鎌倉を観光していました。
就職活動に影響があるのではないかと不安な中、転職エージェントから紹介された大手IT企業への転職が決まりました。今までのデザイナーキャリアの中で常に目標としていて、かつデザインの参考にもしていた企業だったため、本当に嬉しかったです。実は過去にも応募したのですが面接落ちで、今回が2度目のチャレンジでした。

社会人30代中盤その1へ続きます

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