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今を生ききるということ 金森穣×田中辰幸 『闘う舞踊団』をめぐる対話②

闘う舞踊団をめぐる金森穣さんと田中辰幸さん(ツバメコーヒー)の対話@MOYORe: 2回目。地元・新潟人として、Noismの公演動員数と観客の質のバランスが気になる田中さんが、芸術総監督の金森さんに鋭く切り込みます。

観客の数と質を考える

田中 穣さんは中学生のとき初めてニューヨークのアメリカン・バレエ・スクールに行って感動したと書かれていますが、その「感動できる」ということにも、やっぱり下地が必要だと思うんです。僕には、いいと言われているものに感動できない自分について考えざるを得ない時期があった。自分が見て面白くないものは無意味だと切り捨てられず、「世間でいいと言われているものがわからない俺ってなんなんだろう」と、悶々としました。
 昨今では、YouTubeなど数秒で人の心を掴むようなエンタメが氾濫していて、Noismのような公演をじっくり楽しもうとする人が減っていると思うのですが、舞踊家を含め、若い人たちにはどうアドバイスしますか?

金森 とりあえず「観てくれ」としか言えないかな。見やすくなるコツというのはないので。
 知名度で動くのがマスであることは承知しているし、かれらに1度でも観てもらうためには、知名度を上げることも大事かもしれないけれど、知名度優先で観にきた人が、果たして田中くんのように自己批判を含めて鑑賞し、何かを深く捉えてくれるだろうか。そう簡単には期待できないでしょう。10人中2人いればいいぐらいの話で。
 我々のやっていることがニッチな、マイナーな分野にとどまるのは、どう頑張っても避けがたいことだと思う。みんなが楽しめるものに振り切った大衆文化はこの国にもうすでにたくさんあり、公立劇場でわざわざやる必要はない。我々は細く強く続けていくしかないんじゃないかな。
 それに昨今、少子高齢化が問題視されているけれど、我々のように物事の核心に向き合う芸術家にとっては、高齢の観客が多いことは悪いことじゃないよ。高齢者の方たちは時代の流行や表面的な知名度にごまかされないし、ものをじっくり考えるとか、深い感動を得るというのは、人生経験を重ねた人のほうが得意だから。

田中 年齢が高め方のほうが理解しやすいと。

金森 そもそも若い世代は人数が減っていて、その中で劇場に行く人はさらに少ない。若い子たちを取り込む方策を練らなければいけないのは当然だし、未来の観客を育てることは大事だけれど、同時に、生身の身体にこだわりたい芸術家にとっては、今の社会の年齢構成は悪いものではないとも思う。人生経験が豊かな高齢者の方たちは色々観てきているから、基礎がどれだけしっかりしているか、どれほどのものを懸けているかといった、奥にあるものを掴めるし、だからこそごまかしが効かないからね。

左:金森穣さん、右:田中辰幸さん

芸術家と芸術監督、2つの視座を抱えて

田中 その一方で、公立劇場の専属舞踊団として、市民に支えられていることの難しさもありますよね。少数でも深く掴んでくれる方が観てくれればいいという考えも必要ですが、そう考える人自体がそもそも少ない。だから市議会で「観客動員数が少ないですね」と批判されることにもなるわけで。
 穣さんの言う、劇場と広場とカフェのある劇場文化って、やはり西洋のものだと思うんです。そのまま日本に輸入しても、なかなか根付かないのではないか。知名度で動くのが日本の土壌なのかもしれない。知名度優先で観に来るお客さんと、目の肥えたお客さん、どちらもお客さんという意味では同じですが、穣さん的にはやっぱり違う存在なのでしょうか。

金森 うーん、難しいな。芸術家としては、「自分が訴えたいこと、表現したいことを理解してくれる人が1人でもいればいい」ということに尽きるんだよね。1万人いなくても構わない。
 他方で、活動を支えてもらうためにはある種の理解が必要だし、自分が思う通りとは違う仕方で応援してくれる人たちの存在が力になることもわかる。つまり、自分発信で社会を見る芸術家としての自分と、その社会の中に入って自分を見ている芸術監督としての自分。その両方がこの18年間では必要だったのだと思う。
 それは西洋でも同様で、モーリス・ベジャールやイリ・キリアンなど歴史に名を残す偉大な芸術家たちも2つの視座を持っていたし、その間で葛藤していた。ああ、彼らもここは譲って我慢しているんだなとか、こっちでは自分をガッと出すんだな、とか、実際に大先輩たちの背中を見てきたからね。誰でもそういうものなのだと思うよ。

田中 葛藤の中では妥協もするということですね。でも若い頃の穣さんは、一切妥協せず、すぐカンパニーを辞めていましたよね(笑)。

金森 いやいや、そんなことはないよ!(笑)

田中 「俺にとっての1年がどれだけ長いかわかってんのか」と言って、辞めてるじゃないですか。世の中には席が空くのを10年待っている人、ざらにいるんですよ。1年も待てないほどの切実な時間感覚を持つ人は、そういない。金森さんは特別だ、と言われてしまうのも必然じゃないかと思ってしまいます。

金森 「自分は4年でも5年でも待つ」と言う同僚たちを俺自身も横で見てきたよ。彼らの中に情熱がないわけではない。これは選択肢の問題だと思うのね。
 そういう道を選んだ人たちの背中が、なりたい背中じゃなかったから「俺は別の道を行く」と思っただけの話で。俺が憧れた偉大な先輩や、本や映像で触れて憧れていた人たちはそうじゃなかったし。あれから20年以上が経った今、そういうふうに待ってNDT1に入った子たちはその後、30代後半で腹が出てきて、結局40歳になる前に引退しているから、俺はあの選択をしてよかったなと改めて思うけどね。

舞踊家で生きていく厳しさとともに育った

田中 しかし穣さんの場合、お父さんも舞踊家で家がダンススクールだった。その意味ではやっぱりエリート中のエリートなわけですよ。

金森 そうは言うけどさ、父親だって正規の舞踊教育は受けていない。伊豆大島の貧しい家から単身東京に渡り、牛乳配達や新聞配達をしながら夜学に通っていたとき、映画「ウエストサイド・ストーリー」に感激して踊り出したような人で、エリートでも代々続く舞踊一家でもない。
 それに芸能人になったとはいえ、芸能界は所詮水もの。家族を養うために地域の人たちに教える教室を作っていたわけで。俺はエリートどころか、この国で舞踊家として生きていくことの厳しさを生まれながらに学んだに過ぎないんだよ。

田中 うまく行っていた父でさえも、教室で教えざるを得ないんだ、と。限界のようなものを知ったわけですね。

金森 そう。サラリーマンじゃないから退職金はないし、老後の生活保障があるわけでもない。やっぱり大変なのよ、舞踊家としてこの国で生きるというのは。
 俺の場合は、踊りを始めた瞬間に「ああこれは自分のやりたいことだ」と思ったし、やっていると周りの大人も褒めてくれた。そういう作用があったから続けていけたのだと思う。

(③に続く)
写真(1、2枚目):高橋トオル  協力:MOYORe:

[プロフィール]
金森 穣 かなもり・じょう
演出振付家、舞踊家。Noism Company Niigata 芸術総監督。
1974年、神奈川県横浜市生まれ。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ在学中から創作を始め、NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家、演出振付家として活躍したのち帰国。03年、初のセルフ・プロデュース公演《no・mad・ic project—7 fragments in memory》で朝日舞台芸術賞を受賞。
04年4月、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督に就任し、日本初となる公共劇場専属舞踊団Noism を立ち上げる。革新的な創造性に満ちたカンパニー活動は国内外から高い評価を得ている。
平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞など、受賞歴多数。令和3年紫綬褒章。
www.jokanamori.com

田中辰幸 たなか・よしゆき
ツバメコーヒー店主。
1978年新潟県燕市(旧吉田町)生まれ。2012年11月に美容室パリスラヴィサントに併設するかたちで「ツバメコーヒー」をオープン。2016年に世界最速の芸術鑑賞「現美新幹線」のカフェメニュー監修、2017年12月に「ツバメコーヒーSTAND」を新潟市中央区万代にオープン(2020年4月に閉店)。2021年12月にブックショップ「WASH AND BOOKS」をオープンし、2022年10月には、いくつかの文章を寄稿し、全体の編集に関わった『俗物』を刊行している。

▶︎金森穣著 『闘う舞踊団』 はこちらから

▶︎Noismを観るなら、こちら。新作公演が予定されています。

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