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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から・14

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉上司から頼まれた仕事を断れない
私の目下の悩みは「仕事を断れないこと」です。そのせいで、少しずつ仕事量が増えていっています。以前過労で体を壊してしまったことがあり、家族からも「このままでは、また倒れてしまうのではないか」と心配されています。
なぜ断れないのか。それは、以前頼まれた仕事を断ったら上司から強い言葉で諫められた記憶が蘇るからです。また同じように言われたらと思うと、怖くて断ることができません。
自分にとって最も大切なのは家族との関係です。どうすれば、オーバーワークにならないよう仕事量を調整したいと、厳しい上司にはっきり伝えられるでしょうか?
(エム・女性・50代)

◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『呪いの言葉の解きかた』

上西充子著 晶文社

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呪いの言葉から解き放たれるには

今回のご相談内容を読んで、まずはこの本をおすすめしたいな、と思いました。
現代社会には、私たちの思考や行動を無意識のうちに縛っている「呪いの言葉」がたくさんあります。私たちがそれらの言葉の呪縛から解放され、のびやかさを取り戻すためにはどうしたらいいのか。本書は「呪い」の構造を徹底的に紐解き、そのヒントをくれる本です。

本書に登場する「呪いの言葉」の典型例に、「嫌なら辞めればいい」があります。
会社での働き方に満足していない人に向けられることが多いこの言葉の問題は、選択肢が「すべてを我慢して働き続ける」と「我慢できずに仕事を辞める」の2つしかなく、そこに追い込まれてしまうことにあるのではないかと思います。

本来、働き方というのは「同じことを続ける」か「辞める」かの二択ではないはずです。
「嫌なら辞めればいい」の「嫌」のポイントが仕事の納期なのだとしたら、「心身をすり減らさずにできるよう、もう少し余裕を持たせた納期を設定する」という第3の選択肢があっていいはずなのに、別の選択肢を提案する余裕さえも奪われてしまっている。
著者の上西さんは、「嫌なら辞めればいい」という呪いの言葉には、無理な条件で働き続けられないのなら辞めるしかない、という発想しか浮かばない状態に人を縛る作用があると指摘しています。

エムさんの場合も、上司の頼みを断って怒られるか、全部を引き受けるかの二択に追い込まれているように感じます。考えてみると、上司が一人の部下に直接仕事を頼むというのは、どうしたって二択に追い込まれやすい状況です。仕事の調整は、全員ミーティングの場など、第三の選択肢が出しやすい環境で行うことが必要かもしれません。
「その仕事は1人でやるには分量が多すぎるので、この人と2人でなら引き受けられます」とか「○月×日までは業務が詰まっているので、それ以降に手が空いたら取り組みます」など、バッサリ断るのではなく、こちらの事情も伝えながら条件をつけて引き受けるのです。

「嫌なら辞めればいい」の呪いに惑わされず、単に断って怒られるのか、すべてを言われるままに引き受けてオーバーワークに陥るのかの二択から、何とか抜け出していただけたらと思います。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『ワインズバーグ、オハイオ』

シャーウッド・アンダーソン著  上岡伸雄訳 新潮文庫

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上司の怒りとあなたの行動に関係がないとしたら

「頼まれた仕事を断ったら上司から強い言葉で諫められた」——ご相談の文面のこの箇所を読んで、思い出したのが本書です。
部下に仕事を断られただけで怒るというのは、第三者からするとずいぶん唐突な感じがします。

シャーウッド・アンダーソンは、アメリカ文学において19世紀の土着的作風とヘミングウェイらのモダニズムの橋渡しをしたされる作家で、本作には全体を通して、アメリカ人の孤独が色濃く漂っています。
多様なルーツを持つ移民によって構成されるアメリカでは、共通する宗教や素朴な国土愛といった、他の国にはある情熱が人々の間に存在しません。この短編集には、あてどなく漂うかのような独特の孤独感を抱えた人々が、経済発展から取り残されたワインズバーグという架空の街に暮らす様子が描かれているのです。

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なかでも私は、「手」と題された作品に、部下に仕事を断られただけで怒ってしまうエムさんの上司を理解する手がかりがあるのではないかと感じました。

「手」の主人公、ウィング・ヴィドルボームは、過去にある疑惑で人々から激しい糾弾を受けたことがあり、年老いた今もなおどこか怯えた表情が消えない小男です。
その疑惑というのは、実のところ真実かどうかさえ怪しいものなのですが、当時のペンシルベニアでは、彼に怒りをぶつけることが人々の間で共通の情熱になってしまっていました。ヴィドルボームは、みんなの鬱屈が向かう先になってしまい、ワインズバーグに逃げ延びることになったのです。
このように、その場で噴出する怒りが必ずしも目の前の相手と一対一の関係ではないことというのは、結構あるのではないでしょうか。あのときヴィドルボームはどうすればよかったのかと考えても、たまたま彼が標的になっただけで、彼自身にはどうしようもなかったことだったのだと思います。

エムさんの場合も、これに似たことが起きているかもしれません。
もし上司が個人的に別の問題を抱えているのだとしたら、部下のあなたが職場でいくら頑張って収めようとしても、上司自身が問題に向き合わない限り、根本的な解決にはなりません。そう考えると、上司の怒りと、あなたが仕事を断ることは分けて考えたほうがいいように思います。
オーバーワークになりながら無理に仕事を引き受けても、上司はまた別のことで怒り出す可能性があるし、上司自身、自分の提案が断られる=自分への人格否定と誤認している可能性もある。そうなると、もはやエムさんがどうにかしてあげられるものではないでしょう。

怒られるのは自分のせいだと思いつめず、一度上司の怒りと自分の行動を切り離して考えてみる。この短編はその必要性を、ショッキングな事件を通して実感させてくれます。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

『人権宣言集』

高木八尺、末延三次、宮沢俊義編 岩波文庫

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あなたには財産を守る権利があります。

ご相談を読む限り、この上司の方は、エムさんに体調よりも仕事を優先させろ、と言っているように感じます。そこでご紹介したいのが、世界の人権宣言を集めた本書です。

本書はまず1215年、イギリスで当時の国王ジョンに対して出された「マグナ・カルタ」から始まります。人は皆平等であり、何人も犯すことのできない権利を持っているというのが近代的な人権の概念ですが、13世紀のイギリスにはそうした概念はまだありませんでした。「マグナ・カルタ」が定めたのは、王様の勝手な事情で自分たちの身体や所有物を勝手に持っていくな、ということ。これが人権宣言の始祖となったわけです。

ぼくはエムさんのご相談を読んで、この上司はジョン王みたいだな、と思いました。
エムさんの上司は、エムさんの身体や家族といった「財産」を勝手に奪っていると言っても過言ではないからです。

ゲルマン人の慣習法において、最強の戦士である王に従うのは当然でした。そんな中でなぜ議会を構成する貴族や商人たちは、ジョン王に反旗を翻したのか。それを理解するには、イギリスの歴史を繙く必要があります。
1066年、イギリスは、フランスのノルマンディ地方を「本拠地」とするノルマン人に征服されます。ノルマンディに土地を持つノルマンディ公がイギリスを征服したということはすなわち、イギリス王=ノルマンディ公になったことを意味します。ノルマンディ公は、フランス王と主従関係にありました。つまり、イギリス王は「王」という格ではフランス王と同等ですが、ノルマンディ公という立場ではフランス王よりも格下だったんです。さらに、ノルマン人たちの本拠地はあくまでノルマンディですから、ノルマンディ公であるイギリス王はフランス語を話し、ノルマンディにいる時間のほうが長かったのです。

「マグナ・カルタ」を突きつけられてしまったジョン王も、この構造の中にいました。ジョンはイギリス王ではあるけれど、ノルマンディのほうが大事。はっきり言って、イギリスのことは二の次なわけです。当時のイギリスはフランスよりずっと格下。文化的にもフランスのほうが進んでいたし、イギリスの片田舎で羊毛を作っているより、ノルマンディ地方に近いボルドーでワインを作ったほうが儲かる。ジョン王の目がフランスに向いていたのは当然のことでした。

さらにややこしいのが、ジョン王がヘンリー2世の息子だったことです。
ヘンリー2世はフランス王に匹敵するほどの力を持つ強い王様でした。ヘンリー2世には多くの子どもがおり、ジョンは一番下の五男でした。ノルマンディやアンジューなどフランス西部全体を所有していたヘンリー2世は息子たちに土地を分配するのですが、幼かったジョンにだけは分配されず、そのせいで「欠地王ジョン」と呼ばれてしまいます。しかしその後、急にジョンにも土地が与えられることになったため、怒った兄弟らが反乱を起こし、ヘンリー2世の死後、ジョン王はフランスの土地をすべて奪われてしまいます。
土地を失ったジョン王はイギリスに戻るのですが、やっぱりフランスの土地を取り戻したい。そこでイギリス貴族たちの財産をぶんどって、フランスの領土を手に入れようと試みます。
イギリス人からしたら「いや、知らんがな。お前の事情で俺たちの財産を奪うんじゃない」となりますよね。「マグナ・カルタ」はこうして生まれたというわけです。

エムさんの職場に話を戻しましょう。
上司が自分のことしか考えず、部下に無理な仕事を押しつける。エムさんが今置かれているのは、同僚たちと結託して「ふざけるな!」と「マグナ・カルタ」を提出できるような状況です。次に仕事を押しつけられるのは同僚のほうかもしれないのです。職場全体で上司の権限を制限するような宣言を出すことも考えていいでしょう。

本書には「マグナ・カルタ」に始まり、権利の誓願や日本国憲法、世界人権宣言など、世界各国の人権宣言が収録されていて、「権力からどう身を守るか」の知恵が詰まっています。
個人は誰もが平等で、他人に譲り渡すことのできない固有の権利を持っている。そのことを謳った条文を繰り返し読むと、やっぱり元気が出るんですよね。
部下の立場とは弱いもので、自分の身体よりも上司の命令のほうが大事だと思ってしまいがち。自分には固有の権利があるのだというところに立ち戻らせてくれるのが、この本なのです。

放っておけば、権力は増殖してしまうものです。ぜひ本書を読んで、権力との付き合い方や、ご自分の権利を損なわない仕事との向き合い方の参考にしていただければと思います。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』『山學ノオト2』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信1」(在庫僅少)が、『山學ノオト』『山學ノオト2』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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