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駅、移動、写真。 大竹昭子×鷲尾和彦 『Station』をめぐる対話② 「ステーション」への渇望

長い時間をかけて到達したものではなく、運命的に遭遇した3時間で撮影した作品を写真集として発表する。大竹さんは、そこに鷲尾さんの写真家としての大きな「踏み込み」を感じると言います。
鷲尾さんの中で、一体何が起きていたのでしょう。
前回のお話(①)はこちら

旅のレポートのつもりが……

鷲尾和彦(以下、鷲尾) たしかに、最初は写真集にしようとは思っていませんでした。速報性のあるものとして、旅のレポート程度の展示でいいと思っていた。
最初に展示したのは、地元オーストリアの仮設の難民キャンプ跡地を会場にしたアートフェスティバルです。自分たちの近くに来た人たちの写真だからというのが先方の動機でした。すると、その展示を見たインド系英国人のパフォーミングアーティストから、英国でも展示をしてくれないかと連絡があって。彼らもインドからの移民にルーツがあり、「今世界で起きていることにリアクションを起こしたいのだ」と。
海外での2つの展示機会はうれしかったですが、同時に、移民や難民というテーマに関して、日本で展示するのは難しいだろうともずっと思っていましたね。でも、そこへ「やったほうがいい」と横浜・黄金町エリアマネージメントセンターのキュレーターたちが背中を押してくれて、国内での展示が実現しました。
横浜での個展では、額装した写真作品の展示は1枚も行わず、8台のスライドプロジェクターを使って、200枚ほどの写真を投影するという方法を採りました。移動する人たちの姿とその影に鑑賞者がいやが応にも巻き込まれるような空間を作りました。
これでこの作品を展示する機会は最後になるかもしれないと思っていたのですが、その会場で、ぼくの写真を長年見てくれている人が、「『極東ホテル』の15年は、この3時間のためにあったのではないか」と言ってくれたんです。

大竹昭子(以下、大竹) うん。私もまさにこれを見たときにそう思いました。

鷲尾 ああ、そうですか。この言葉にぼく自身もはっとしました。海外や国内で何年もかけて、その都度いろいろな方法で展示を行っていく中で、現場で起きていることを伝える速報性をもった写真が、ぼくの中でどんどんふるいにかけられていきました。そのうちに、彼らが難民であるかどうかも剥がれ落ちていくようにも感じてきた。
移動している人、待っている人、食べている人、家族との時間を過ごしている人……、これはまさにぼくだし、あなたかもしれない、そう思える写真しか残らなくなっていった

大竹 人間の基本的なことと、生きていく上で見せる根源的な姿。

鷲尾 そうなんです。あの時、3時間で撮影したのは600枚程度でしたが、横浜での展示を経て、30枚ぐらいでもういいなという瞬間が来ました。そのときに、展示を見てくれた方から、さっきの言葉を聞いたのです。
移動する人を見続けた十数年があったからこそ、3時間で彼らを撮ることができた——そう言われたときに、『極東ホテル』に始まった「移動する人を撮る」エッセンスのようなものが、この3時間に出ているのかもしれないと気がついて。そこで写真を見直したら、難民写真という言われ方をもうしなくてもいいんじゃないかという気がした。ここには移動する人、待つ人たちの姿がただ写っている。これは写真集にしていいんだと、そこで初めて思えました

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写真家が、反射的行為に「踏み出す」とき

大竹 鷲尾さんって、わりとシャッター押さないほうなんじゃないですか?

鷲尾 たぶんそうなのでしょうね。あまり闇雲にはシャッターを切りませんね。

大竹 でもこの3時間は、興奮して撮っているような印象があります。状況に巻き込まれて遮二無二シャッターを切っている。しかも人がたくさんいるから画角、フレーミングが一切考えられない中で撮っている。そういう体験って、これまであまりしてこなかったのではないでしょうか。でも、このときは構図を考えて撮るような状況ではなくて、体が反応して撮っているという感じがします。

鷲尾 そういうテンションは確かにあったとは思うけれど、あまり普段と変わらなかったようにも思います。古いライカを使っているから、そもそもシャカシャカはいかない。よく見て合わせる時間がやっぱり少しかかる。その間合いが、ちょうどぼくにはいいのかもしれません

大竹 ピントを合わせるその鷲尾さんの歩調、リズムのようなものは、『極東ホテル』にはすごく出ていますよね。小型で手軽なカメラだけれど、一回一回操作をしなくてはいけない。
でもウィーン西駅での体験は、そのリズム自体が揺さぶられるものだったことが写真に出ているような気がします。いつものじっくりした感じのものと、以前ならこの画角では撮らないだろうな、というものが混在してます。それは自分で起こそうと思った変化ではなくて、外側からやってきた変化であり、それが鷲尾さんという写真家を動かしたということが重要だと思うんですよ。
今どきは誰もがスマホを持っているから、こういう状況に巻き込まれたら、スマホでパパッと撮る人はいるでしょう。でもそういう人が撮るものとこの写真集は、明らかに違っている。つまりシャッターに指を載せた瞬間、その人のすべてが出るということは、それまで何を考えてどういう時間を過ごしてきたかがその人の身体を瞬発的に動かすということです。特にこういう場合、やろうと計画していたわけじゃない、ほとんど反射的な行為ですから、その反射的行為に踏み出すか踏み出さないかは、それまでの時間がものすごく大きく影響するわけで、『極東ホテル』の時間がなければ、鷲尾さんのなかでこのような動きは生まれなかったという気がします。

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ウィーン西駅には「会いたい人」が出てきていた

鷲尾 そうですね。ぼくが撮影させてもらっているホテルは部屋が約3畳とすごく狭いし、昼間も薄暗いので、フィルムカメラだと本当に限られた撮り方しかできない。非常に制限された中で、しかも同じ場所でずっと撮り続けるというのは、ほとんどの人は嫌気がさす状況かもしれません(笑)。
でもぼくはそれを自分に強いてきたところがあって。というのも、ぼくは初めてカメラを手にしてからの10年近くは、いろんな状況でかなりの枚数を撮っていたものの、「これが自分の写真です」と人に言える感じは掴みきれていなかった。そんなときに、あのホテルに偶然出あったんですね。まだ1枚も撮っていないのに、ここが自分が写真を撮る場所だと直感しました。それで、撮りにくい場所ではあるけれど、ここで見知らぬ人たちに出会いながら自分なりに撮り続けていけば、何か自分にとっての「写真」が見えてくるかもしれないと勝手に決めたところがあった。そしてその場所で長い時間を過ごしてきました。
ホテルでの撮影を続けるうちに、2000年後半頃から明らかに状況が変わりました。具体的にはスマートフォンとFacebookの普及です。この2つがあると、ロビーに人が出てこなくなるんですよ。スマホさえあれば行きたい場所も調べられるし、Facebookで人とつながることもできる。みんなが個室に入ったきり、ロビーに出てこなくなりました。その他、2011年の東日本大震災の影響で外国人が全く来なくなったこともありました。そうした社会状況の変化に対するフラストレーションが、ぼくの中で溜まっていったように思います。
だから、ウィーン西駅のホームで移動する人たちの波に巻き込まれたとき、最初に感じたのは「ああ、あのホテルに初めて行ったときと同じだ」という感覚でした。旅行者たちがみんなロビーに溜まっていたあの感じが、ここにあると。

大竹 とてもよくわかります。鷲尾さんの中で、ロビーはステーションなんですよね。いろんな人が行き交い混じりあうような場所。そこで人々が見せる表情が撮りたくてホテルに通っていたのに、彼らはセルフォン(cell phone)を使って文字通り自分の「セル(房)」に入ってしまった。そんなとき、人々が行き交い、混じりわざるを得ないような状況にウィーン西駅で遭遇した——そこには一種の興奮状態があったのではないでしょうか。

鷲尾 そうだと思いますね。最初はかれらを難民であるとはまったく思いませんでした

大竹 それはそうでしょうね。

鷲尾 実際、難民のような人もいれば、普段駅を使っているオーストリア人も、ぼくのようなアジア人もいました。あらゆる種類の人が混じっていた。自分にはあのホテルのロビーをどこかで「世界の真ん中」のように捉えていたところがあって、今この瞬間、ここにもそんな「世界の真ん中」のような場所が開かれていると感じたのだと思います。

大竹 いろんな種類の人間が巨大な荷物を持って駅構内を行き交っている。難民だと聞けば、ああそうかと思うけれど、かれらが背負っている現実を日本人として想像するのはとても難しいですよね。自分の場所を追われた人が、荷物を背負って歩いたり列車に揺られて陸続きで移動してくるということ自体が、島国に暮すものにとって触れることのない光景ですから。「難民」という言葉は誰だって知っている。でもかれらに対するリアリティは、私たちにはないんです。
だからきっと鷲尾さんも、民族大移動みたいな現場を見て驚いたし興奮したと思うんですよ。これはなんだ、という感じで。写真家とは言葉より先の世界へと踏み込む人たちです。なにかを感じたら動く。動けなければだめなんです

(つづく/次回更新は8月24日予定)

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
1950年東京生まれ。ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など幅広い分野で執筆活動を行う。インタビュアーとしても活躍中。主な著書に『須賀敦子の旅路』(文春文庫)、『間取りと妄想』(亜紀書房)、『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『この写真がすごい 2』(朝日出版社)、『東京凸凹散歩  荷風にならって』(亜紀書房)。2019年に書籍レーベル「カタリココ文庫」を創刊。最新刊は『室内室外 しつないしつがい』『スナップショットは日記か? 森山大道の写真と日本の日記文学の伝統』。トークと朗読のイベント〈カタリココ〉を開催。カタリココ文庫:https://katarikoko.stores.jp/ HP:http://katarikoko.blog40.fc2.com/

鷲尾和彦(わしお・かずひこ)
兵庫県生まれ。1997年より独学で写真を始める。写真集に、海外からのバックパッカーを捉えた『極東ホテル』(赤々舎、2009)、『遠い水平線 On The Horizon』(私家版、2012)、日本各地の海岸線の風景を写した『To The Sea』(赤々舎、2014)、共著に作家・池澤夏樹氏と東日本大震災発生直後から行った被災地のフィールドワークをまとめた書籍『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)などがある。
washiokazuhiko.com

協力:本屋B&B

鷲尾和彦写真集『Station』

220mm × 220mm |上製本| 88ページ|栞つき(寄稿:梨木香歩)
日英バイリンガル|デザイン:須山悠里 ISBN: 978-4-909179-05-0 | Published in July 2020
発行:夕書房



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