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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から・13

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

開室から2年目を迎えたこの相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉自分の考えを持ちたいのですが……
自分自身で考える力を養いたいと思っています。
私は子どもの頃から何事にもあまり疑問も持たず、親や先生の言うことを素直に受け入れてきたいわゆる「いい子」でした。
しかし大人になり、自らも親になっていく中、政治や社会などに対して、きちんと自分の考えを持ちたいと思うようになりました。そのためには、どんな本を読めばよいのでしょうか?
(ミッツ・30代)

◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』

橋本治著 徳間書店(品切れ)

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社会や政治を抽象化しない

これは、1983年刊行の、橋本治による長編ミステリー小説です。
主たる舞台は、田原高太郎という青年が、ひょんなことから探偵としてかかわることになった一家・鬼頭家です。そこで殺人事件が起きるのですが、第一の殺人発生後に鬼頭家の娘・幸代が高太郎に電話をかけてくるシーンが、この小説全体のトーンを支配しているように私は感じました。

女子大生である鬼頭幸代は、知り合って間もない、よく知らない高太郎に対し、始終「私、怖い」とか「心細い」と、それらしいフレーズを言い続け、高太郎はこの電話に強い違和感を覚えます。
幸代の高太郎への態度は、どこまでも抽象的です。
高太郎がどんな人物で何を考えているか、その中身にはいっさい触れず、あくまで「年頃の若い男性」として認識しているのです。受話器を置いた高太郎は「女の子が痴漢に遭うというのはこんな感じなのではないか」と思います。痴漢に遭うというのは、「若い男性」や「スカートを履いた若い女性」といった外見の記号のみを判断材料に、どこまでも抽象的に扱われる体験ですよね。高太郎は幸代が自分のことを抽象的にしか捉えていないことに、得体の知れない不気味さ、寂しさを感じているのです。

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ミッツさんはお悩みの中で「政治や社会に対して自分の考えを持ちたい」とおっしゃいましたが、この「社会」や「政治」という言葉が、私にはとても抽象的に響きました。もしかしたら、社会や政治を自分からは遠いものとして捉えていらっしゃるのかもしれません。

個人がハッシュタグで表せるスペックの集合体のように捉えられる昨今、こうした傾向はますます高まっているように思います。橋本治は、80年台前半、バブル経済の直前にすでにその虚しさを描き出していました。この作品には、個別的であるはずの人間関係さえ、抽象的にしか捉えられなかった人々が起こしてしまう事件が描かれているのです。

ミッツさんもこれから親になれば、子育てのなかで「保育園がなかなか見つからない」とか「仕事と子育ての両立、大変だけどみんなどうしているんだろう」といった具体的な悩みに直面されることと思います。それらはすべて、個人の立ち回りの問題というよりはむしろ社会や政治と連動して起きているはずです。
どうか抽象的ではなく、あなたの個別性のある、具体的で替えの効かない暮らしを社会と結びつけるところから、まずは始めてみてください。ハッシュタグで表現できるスペック地獄に、取り込まれないうちに。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『一九八四年』

ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳 ハヤカワepi文庫

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「いい子」の行き着く先

ジョージ・オーウェルによる、1949年刊行のディストピアSF小説です。
舞台は〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する超全体主義的近未来。主人公のウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務し、歴史の改竄を仕事にしています。〈ビッグ・ブラザー〉が進める規制には言葉の整備も含まれていて、従来の言葉に替えて「新語(ニュースピーク)」の使用が推奨されています。

たとえば、「良い」の反対語として「悪い」は必要ない、すべて「良い」の活用形で代用するのが合理的だ、と〈ビッグ・ブラザー〉は考えます。「良い」の反対語は「非良い」。「素晴らしい」という言葉は必要なく、「超良い」でいいのではないか、と。
これは、植民地支配において母国語の使用を禁止し、支配国の言葉を強制させてきた私たちの歴史をも彷彿とさせます。言葉を取り上げれば、反旗を翻すような発想そのものが生まれなくなる。だから言葉を整備するのだ、と〈ビッグ・ブラザー〉は言うのです。
そして、ウィンストンや同僚たちは、そのような人間のアイデンティティや尊厳を脅かすような仕事に一生懸命取り組んでしまっています。

「何事にもあまり疑問を持たず、親や先生の言うことを素直に受け入れてきた」ミッツさんも、与えられた仕事の本質に目をつぶり一生懸命取り組むウィンストンも、「いい子」であり、社会における優等生、優秀な人材でしょう。でもそうした「いい子」には、与えられたものが間違っていても、一生懸命取り組み続けてしまうという恐ろしさもある
そう考えると、ミッツさんが「いい子」を脱して自らの力で考えたいと思ったのは、ご自身が思っている以上に切実で大切なことですし、健全な社会を作っていくのに不可欠なことなのだと思います。

『一九八四年』は、「いい子」を突き詰めていくと、こんな社会になるのではないかと予感させる作品です。SFというのは現実世界を客観的に見つめるための「彼岸」のような存在だと思います。こうした作品に触れ、全く違う視点から、自分の生きている社会について考えてみるというのはいかがでしょうか。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

『プロタゴラス——あるソフィストとの対話』

プラトン著 中澤務訳 光文社古典新訳文庫

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あなたの中にすでにあるもの

まず第一に、「どんな本を読めばいいのでしょうか」とのお尋ねには、「人それぞれ」と答えざるを得ません。すみません。「自分の考えを持つための本」って、どうしても人によって違うんです。それは、「自分の考えを持つ」ためには、まず自分の中に「問い」が必要だからです。自分は本当は何が知りたいのだろう——「自分の考えを持つ」とは、この「問い」を具体的にすることなのです。

ではどうすれば、「問い」を持つことができるのでしょうか。それは、ミッツさんがこういうお便りをくださったこと、それ自体に注目することで見えてきます。
お悩みを寄せてくれたということはすなわち、あなたの中に「問いの萌芽」がすでにあるということ。芽はあるんだけど、周囲との関係の中でその考えを出す必要がないと判断したり、押し殺してしまっているなど、うまく言葉にできていない状態にある。それがミッツさんの今なのではないでしょうか。

「自分の考えを持つ」というのは、何か新しいものを手に入れるということではありません。すでに自分の中にある「問い」を引き出し、外に出す。それが「考え」へと成長していきます。そのことを対話によって教えてくれるのが、この本です。
古代ギリシャの哲学者・プラトンが、師匠であるソクラテスとソフィスト(職業的教育家)のプロタゴラスとの対話を記録しているのですが、ソクラテスは、個人の内面に存在する思想(「問い」)を対話によって引き出すという問答法(産婆術)を徹底して用いています。

ソクラテスが活躍した古代ギリシャのアテネは、(自由民の男子しか政治に口出しできなかったとはいえ)民主政の社会であり、言葉を扱う能力、弁論術が最も重視されていました。対価を支払うことで言葉を操る力を授けてくれる「ソフィスト」は当時、花形の職業でした。
この本に記されているのは、そんなソフィストの元祖、レジェンドソフィストのプロタゴラスと、レジェンド哲学者ソクラテスの対話です。まさにゴジラVSキングギドラ級のド迫力バトルが繰り広げられています。

本書を読むと、「知る」ことには2種類があることがわかります。
1つはソフィスト的、プロタゴラス的な「獲得できる知」です。これは自ら得ることができ、堆積していく知識です。当時の人々もこの知識を求めていたからこそ、ソフィストがスターだったわけです。もう1つはソクラテス的な、自分が何を知らないかを知ろうとする知。いわゆる「無知の知」です。
プロタゴラス的な積み重ねていく知と、ソクラテス的な自分の足場を掘り返していく知の2種類があるんです。

哲学の歴史上、ソクラテスは最重要人物なので、自分の足元を掘り返していくような知のほうが重要だと言われていますが、本書を読んでいると、一般社会ではソクラテスは絶対通用しないだろうなと思ってしまいます。明らかにプロタゴラスのほうが、社会とうまく折り合いをつけている優等生なのです。
だからこの2つの知はどちらが正しいということではなく、両方があるんだと認識することが大切なのだと思います。

2種類の知があるとわかった上で、なぜ自分の考えを言葉にできないのか、という最初のお悩みに戻りましょう。それは、「問い」を見つけ、定期的にそこに立ち返るというソクラテス的な知と、その「問い」を「考え」に成長させるためのプロタゴラス的な知の2つを混同しているためではないかと思います。

お伝えしたとおり、自分の考えを持つためには、ソクラテス的な知によって自分の「問い」を見つけることが不可欠です。自分の心と向き合うことも必要ですが、もう一つ、自分の考えを出せていない理由、考えを出すのを妨げている状況とは何かに気づこうとするというアプローチも大切です。
自分の置かれている状況に目を向けてみれば、妨げになっているのが家族なのか、パートナーとの関係なのか、自らの中にあるブレーキなのかが見えてくる。そのようにして、妨げとなっているものを突き止めることは、自分にとっての「問い」を見つける手がかりになります。その「問い」の輪郭がおぼろげながらでも見えてきたら、「問い」を具体化するためのプロタゴラス的な本を読んでみる。そうするうちに、いつのまにか自分の「考え」ができあがってくると思います。

プラトンが書いた別の本『テアイトス』の中で、ソクラテスは訪ねてきた若者に対してこう言います。「あなたが訪ねてきたということは、そもそもあなたは何かを持っているのだ、だからそれを出せばいい」と。
ミッツさんも、お悩みを寄せてくれた時点で何かしら孕んではいるけれど、それが出せなくて陣痛に悩んでいるような状態にあるとお見受けしました。今回ご紹介した3冊は、ソクラテスの産婆術的に言えば、陣痛促進剤のような本です。ぜひこの3冊をきっかけに、自分の中の「問い」という胎児を無事ご出産されますよう、お祈りしています。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。9月に『山學ノオト2』が刊行予定。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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