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「夫婦同氏は時代遅れ」という考え方は、どう間違っているのか?

 23日の夫婦同氏制合憲について「時代遅れ」であると主張する人がいます。

 そもそも、「夫婦同氏しか認めないのが時代遅れ」、「別姓を選択できるのが進んでいる」という価値観は、特定の考え方に基づくものです。

 何度も言っていますが、そもそも

婚姻を始めとする身分関係の変動に伴う氏の変更を含む氏の在り方が,決して世界的に普遍的なものではなく,それぞれの国の多年にわたる歴史,伝統及び文化,国民の意識や価値観等を基礎とする法制度(慣習法を含む。)によって多様であること(甲8の18頁から24頁まで。なお,そもそも氏を持たない国も存在する。)

とかつて司法が判断しているように、氏のあり方が文化によって異なるのは当たり前です。(下のリンクより引用)

 その上で述べますが、別氏(姓)のとらえ方は、国や民族などによって異なります。

 中国では伝統的に女性は結婚しても一生姓を変えませんでしたが、それは嫁ぎ先の家では「よそ者」とみなされているからです。日本では儒教圏ほどそのような考え方は根付かず、むしろ夫婦で同じ苗字を名乗る習慣がよりなじみました。(明治前は、「苗字」「氏」「姓」は別概念でした。詳しくは以下参照)

 他にも、台湾や韓国、ベトナムは同じような考え方から基本的には夫婦別姓を貫いてきました。

 夫婦同氏が時代遅れという考え方は、西洋の中でも元々夫婦同姓だった文化圏で生まれた考え方で、西洋的な見方によるものです。本当は別姓選択可能な欧米にも家父長制の名残があるんですけどね。↓以下参照

  ロシアなど旧ソ連には、別姓選択可能でも父の名前を表す父称を氏名以外に名乗る国がありますし、ロシア含めヨーロッパの国々には父称由来の姓が多いなど、別姓が選べるからといって家父長制的な部分(政治的な意味合いのない父系制の方が正確かもしれません)が存在しないわけではありません。

 イスラム圏にも、父や祖父の名前を重ねるという習慣があります。

 なお、欧米にもスペイン語圏、ポルトガル語圏など、夫婦別姓というよりもむしろ、父と母の姓を重ねる複合姓文化圏が存在します。ビザンツ帝国も*一時期そうでした。→欧州の夫婦別姓や、子に複合姓をつける習慣も実は古代ローマの家父長制の名残りです。

*2021年7月1日加筆
基本的には、父の姓を一生名乗り続ける夫婦別姓で、時に皇帝などが複合姓を名乗っていたようです。姓をどこまで重ねるかについては、時代や個人により異なります。

2021年11月25日修正

欧州の別姓文化圏の別姓も→欧州の夫婦別姓や、子に複合姓をつける習慣も

 したがって、夫婦同氏制が「時代遅れ」というのは、非常に一面的な見方なのです。昔からの家父長制的な伝統に従って原則別姓という仕組みを取っている国や地域は少なくないですし、別姓選択可能でも、父の名前を名乗るという家父長制的な仕組みを持つ国や地域もあります。

 世界には別姓か同姓か以外にも、本当に様々な名前の仕組みがあるのです。

参考文献

井上浩一「ビザンツはローマより出でて……」(岩波書店辞典編集部編「世界の名前」岩波書店,2016,p.95-96)

辻原康夫「人名の世界史」平凡社,2005

*ご指摘があったので、補足

欧米では、そもそも未だに近代法で改姓について成文法が無い国も珍しくありません。
アジアと同じく、別姓を前提としていましたが、
キリスト教徒などが法律の外で夫婦同姓と慣習を広げていきました。

日本が民法の検討に取りかかった頃には、
婚姻改姓を明記した近代国家はイタリアを除き、なかったようです。

*2021年11月25日
その後の検証で、ヨーロッパの夫婦別姓とキリスト教はあまり関係がないことが判明しました。