夫婦別姓と家族の絆 夫婦同姓とキリスト教は関係あるのか?

以前私は下のような記事を書きました。

 日本の夫婦同氏制度がキリスト教の影響を受けた西洋社会を模倣した物だとする説がありますが、違うでしょう。まず、聖書には夫婦の姓を直接規定するようなことは書かれていません。実際に、古代ローマではキリスト教の影響で姓が使われなくなり、姓が復活したビザンツ帝国は夫婦別姓で、現在のアイスランドには原則姓がなく、父称または母称を名乗ることになっています。同じキリスト教文化圏でも姓に対する考え方が異なるのです。従って、夫婦同姓とキリスト教は関係ないと言えるでしょう。

 それでは、なぜキリスト教と夫婦同姓が関連づけられるようになったのでしょうか?夫婦同姓がキリスト教に由来するものであるという主張の根拠は、おおむね以下のようなものになっています。

キリスト教は、(略)神によって結ばれた夫婦は「人格的に一体となる」との思想から、夫婦同姓が民法によって規定されていました。

(下のリンクより引用)

 先述のように、聖書に姓について直接の規定がない上に、同じキリスト教文化圏でも姓によって様々な考え方があるので、夫婦同姓はキリスト教とは関係ないでしょう。夫婦が「人格的に一体となる」ことと、夫婦の姓の在り方は、キリスト教文化圏では関係が無かったのではないでしょうか?むしろ、キリスト教文化圏でより重要視されたのは信仰心だったのではないでしょうか?現在でも、キリスト教圏の国では、カトリック同士、プロテスタント同士でないと結婚しないと考える人が少なくありません。結婚のために改宗及び宗派を変える人も存在します。夫婦の絆を確かめ合うに当たり、夫婦の姓よりも宗教が重要視される地域で、夫婦別姓がキリスト教圏のうち伝統的に夫婦同姓だった国々でも認められていったのは理解できます。

 日本に置き換えて考えてみましょう。日本では、欧米ほど結婚にあたり宗教的な制限が厳しくありません。夫婦や家族の絆を確かめ合う物として、宗教の代わりに氏を同じくすることが重要視されているのかもしれません。

 選択的夫婦別姓の話になると、夫婦別姓が可能な諸外国の例を挙げて「姓と家族の絆は関係ない」と断言する人がいますが、国ごとに姓や家族を取り巻く状況は異なるので、外国で問題ないから日本でも大丈夫とは言えないと思います。