「喪失」という感情って色褪せないんだね。
今日の夕方、愛犬のA(雑種犬)と散歩に出てすぐに一匹のチョコレート色のラブラドールレトリーバーと出会った。
その子の体格はラブラドールにしては小さめだけど、好奇心旺盛、物怖じしない性格のようだった。
ダンディーな飼い主さんがその子について何か言っていた気がするけれど、全く思い出せないのは私自身がその子を見つめることに夢中で話を聞いていなかったからだと思う。
クンクンと愛犬Aの体の匂いを嗅いでいる様子を見ながら、チョコラブ(=チョコレート色のラブラドールレトリーバーの略)に久々に出会えた嬉しさで私は舞い上がっていた。
「うちも以前チョコラブ飼っていたんですよ」
思わず、そう口から出てきた言葉が、今思うとその後じわじわと自分の感情を揺さぶるきっかけになった気がする。
最初は気がつかなかったけれど、その子の顔は以前うちで飼っていたチョコラブのJ君の若いころによく似ていた。
そんなことをぼんやりと思っているうちに犬同士のコミュニケーションはあっという間に終わり、飼い主同士は軽い挨拶をしてそれぞれ反対方向に歩き出した。
すると、それまで舞い上がっていた嬉しい気持ちがパッと消えて、私の感情の最前列にいきなり「喪失」と言う感情が心の奥の方からギューン!とものすごいスピードで押し出されてきた。
するとすぐに鼻の奥が熱くなって、勝手に涙がじわっと溢れた。
16時半過ぎ、まだ暗くなるには少し早い時間帯の住宅街を私は鼻水をぐすぐすとすすり、涙をにじませながら愛犬Aと歩いた。
いい歳した大人が泣きながら歩いていることに恥ずかしさがあったが、止めようのない悲しみが急に蘇ってきてしまったのだから仕方なかった。
今から3年8カ月前にJ君は16歳で天国へ逝った。
彼が亡くなった日の夜は一晩中、細い細い針で自分の体をくまなく刺され続けているような感覚がして眠れなかった。体中に小さな小さな穴が無数に空けられた気がした。
今思うと悲しみが針で刺すような痛みに感じられていたのかもしれない。
あの時感じた悲しみがフラッシュバックした。
驚いた。本当に驚いた。
悲しみって、時間が経ってもあの時のまま、あの感情が同じ状態で保存されているのかってくらい鮮明に思い出せた。
悲しみや喪失感は時間の経過とともに薄らぐものかと考えるときもあるけれど、普段はそのことに意識を向けていないだけで、それ自体は変わらずにあり続けているんだなと改めて思った。
今までも悲しみがぶり返すことは何度もあったのに、なんだか今日のは強烈だった。
今日会ったあのチョコラブがあまりにもJ君に似すぎていたからかな。
そんなことを思いながら歩いている私を構うことなく、隣を歩くAはとても楽しそうだった。
「私は前しか見てませんよー♪」「今を楽しんでます♪」
とでも言っているように見えた。
そういえば明日はJ君の月命日だ。
普段の散歩中に滅多に会うことのないチョコラブに偶然出会ったのはJ君からの何かのサインだったのかもしれない(笑)
明日は食いしん坊だった彼の好物を供えて手を合わせるようと思う。
そして、またこうやって折に触れて思い出そう、そう思った。
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