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マイ・フェイバリット・ソングス 第1回~オフコース

(2020年12月 改訂版)

オフコースは僕にとって音楽の原点です。小5のとき知り合った友人に教えてもらってから今までずっと聴き続けています。今聴いてもまったく古さを感じさせないですね。では、アルバムを一枚ずつ聴き返しながら、好きな曲などをご紹介していきたいと思います。


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『オフ・コース1/僕の贈りもの』(1973年)

デビューから3枚のシングル「群衆の中で」「夜明けを告げに」「おさらば」は他の人の作った曲を歌っているだけだったんですよね。元々アマチュア時代は洋楽のカバーや映画音楽を中心に演っていてオリジナル曲はあまりなかったそう。それで、アルバムのプランが持ち上がった段階でオリジナル曲を作って持ち寄った。そうしてできたのがこのファーストアルバムです。よってここから作詞・作曲はすべて小田和正さんか鈴木康博さん。(編曲は重実博さんとアリスの矢沢透さんも携わっている)アコースティックギターがメインではあるけれど、ベース・ドラム・ピアノ・電子ピアノ・パーカッションからホーンセクションやストリングスまで取り入れられていて、あまりフォーク・デュオという感じがしませんね。当時流行っていた反戦などのメッセージ性のある歌や、四畳半フォークと呼ばれる生活感溢れた作風とは一線を画し、都会的で洗練された音楽という感じがします。コーラスの美しさも群を抜いてますね。冒頭を飾るのは先行シングルで代表曲でもある「僕の贈りもの」。小田さんは自分の日記からこの詞を紡ぎ出したといいます。ヤスさんの初期の代表作「でももう花はいらない」もここに収録されています。先日小田さんが「小田さんからみた鈴木さんのいいなぁと思われる一曲は?」という質問に対してこの曲を答えていました。小田さんの曲が6曲で、ヤスさんの曲が5曲なんだけど、「さわやかな朝をむかえるために」は小田さんが作っていながらメインボーカルはヤスさん。だから実はB面って全部ヤスさんがメインで歌ってるんですよね。(「ほんの少しの間だけ」は途中で小田さんメインに入れ替わるけど)僕がこのアルバムで特に好きなのは「水曜日の午後」と「ほんの少しの間だけ」です。ちなみにこの頃ヤスさんはプロミュージシャンになる腹を括っているようだけど、小田さんはまだ早稲田大学大学院理工学研究科の学生で建築と音楽の道を迷っていたそうです。


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『この道をゆけば/オフ・コース・ラウンド2』(1974年)

ヤスさんの作った曲の方が多いアルバムはこれと『JUNKTION』くらいではなかったでしょうか。ファーストとの一番の違いは、小田さんとヤスさん自身がアレンジも手掛けている点。「はたちの頃」のみ重実博さんとの共同編曲で、あとはすべて作曲者自身が編曲も行っています。驚くべきはストリングスのアレンジも自身でやってるんですよね。ヤスさんはミュージシャンとして長続きしなかった場合アレンジャーとしてでも音楽に携わりたいとスクールで編曲を勉強していたし、小田さんは幼少期にバイオリンを習っていて譜面が読めた。それで二人とも早くから編曲ができたようです。A面は冒頭からヤスさんの曲が4曲続きます。1曲目「プロローグ」からいきなり圧倒されますね。多重録音の美しいアカペラ曲。二人の声が中央で重なって聴こえたり、左右で入れ替わったり緻密な工夫がされていて、ヘッドホンで聴くとさらにこの曲の凄さが分かると思います。「チキチキチー」も見事なアイデアですよね。続く「すきま風」もコーラスが美しい一曲で、ドラムはサディスティック・ミカ・バンド(のちにYMO)の高橋幸宏さん。ヤスさんは他にもロック風の「のがすなチャンスを」やソウル風の「新しい門出」を作っていますが、オフコースが初期から単なるフォークデュオに留まらず幅広い音楽性を獲得していたのは、こうしたヤスさんの懐の広さが貢献しているように思います。小田さんは「別れの情景(1)」「別れの情景(2)~もう歌は作れない」と美しい曲を組曲的に並べています。このアルバムは全曲いいけど、あえてお気に入りを挙げるとすれば「プロローグ」「別れの情景(1)」「わが友よ」でしょうか。今回聴き直して、改めて「若すぎて」のメロディの美しさにも打たれました。


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『秋ゆく街で/オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』(1974年)

1974年10月26日中野サンプラザホールでの初のワンマンリサイタルを収録したライブ盤。『この道をゆけば』のバンドメンバーと12人編成のストリングスを従えてのステージで、前半は洋楽・邦楽のカバー、後半はオリジナル曲という構成です。オープニングはマーヴィン・ゲイの「What’s Goin’ On」。ソウル・ミュージックに精通しているヤスさんの選曲でしょう。続く洋楽メドレーはエルトン・ジョン、カーペンターズ、ビートルズetc. 邦楽のカバーは井上陽水・小椋佳etc. 後半はオリジナルですが、「水曜日の午後」はヤスさんがメインで歌うバージョンで、「僕の贈りもの」は2番だけの短いバージョン。また新曲として「青春」「秋ゆく街で」「白い帽子」「キリストは来ないだろう」の4曲を初披露しています。(「青春」はのちに歌詞を一部変えて『SONG IS LOVE』に収録されますが、他の三曲はこのアルバムでしか聴けません) 僕は小田さんがこの日のために作ったという「秋ゆく街で」が大好きです。このライブの雰囲気すごくいいんですよね。二人のMCはシャイで初々しく、お客さんもそれをあたたかく受け止めている。終盤小田さんがMCで話しているうちに感極まって泣き出し、ヤスさんがさりげなくカバーするところがいいんですよねえ。その後の「でももう花はいらない」でほとんどヤスさんの声しか聞こえないのは、小田さんが泣いて歌えなかったからだと思われます。よっぽど感極まっていたのかアンコールの「僕の贈りもの」でも小田さんは歌詞を間違え、お客さんが拍手で励ますんですが、その一連の出来事がすべてそのまま収録されているので、非常に感動的なアルバムですね。ちなみにこの日観客席ではチューリップ、あべ静江さん、甲斐バンド、ハイ・ファイ・セットの山本俊彦さん、荒井由実さんなどが観ていたそうです。


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『ワインの匂い』(1975年)

『この道をゆけば』では作曲者自身が編曲を行う形でしたが、このアルバムでは「全曲 編曲/オフコース」となっています。つまりアレンジが単独作業から共同作業へ。そしてここからプロデューサーが武藤敏史さんに。武藤さんの計らいでレコーディングに500時間を費やすことができ、これは当時の最長記録を更新したそうです。彼曰く「小田、鈴木両氏と共にスタジオで死に物狂いの音楽的格闘をした」とのこと。全体的にコーラスよりも主旋律を重視した曲が多くなっている印象です。A面は小田さんの愛車トヨタ・セリカの走り去る音がイントロに重なる「雨の降る日に」で静かに始まります。「眠れぬ夜」は最初小田さんがバラード調で作ってきたものを武藤さんがエイト・ビートに仕上げ直したという初期の代表曲。この曲のギター・アレンジすごく好きです。オフコース初のスマッシュヒットとなり西城秀樹さんもカバーしましたね。「倖せなんて」はポール・マッカートニーの「Junk」を彷彿とさせる曲。「ワインの匂い」は小田さんが初めて荒井由実さんのライブを観たときに触発されて書いた曲と言われています。そして、B面には僕の大好きな2曲が収録されています。まず「愛の唄」。これは元々カーペンターズに提供するつもりで書き、デモテープを送るも実現されなかったという曲。名曲ですね。2018年に小田さんがさいたまスーパーアリーナ公演でこの曲を歌ってくれたときは嬉しくて涙がこぼれました。もう一曲昔から大好きなのが「幻想」。これは「作詞:小田和正 作曲:鈴木康博」という珍しい曲ですが、サビの二人の声の重なり合いが本当に素晴らしいんですよね。ちなみにラストの「老人のつぶやき」はNHK「みんなのうた」から依頼を受けて作ったが不採用となったというちょっと面白いエピソードがあります。なんで子ども向けの番組にこの曲を作ったんだ・・・っていう。僕がオフコースを聴き始めたのは小学生のときだったので、当時は生テープにダビングしたものを聴いていたんですね。でも、このアルバムだけは何故か買ったカセットテープを持っていて、他のアルバムよりいい音で聴けたんですよね。ラジカセだけど。だから一番よく聴いてたし、特に思い入れの深いアルバムでもあります。


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『SONG IS LOVE』(1976年)

ここからオフコースの二人はプロデュースも手掛けます。武藤さんとの共同プロデュース。そしてサポートとして大間ジローさんと松尾一彦さんが初参加。清水仁さんはまだ全面的には参加してないけど、「おもい違い」のコーラスで参加しているので、初めて五人が揃ったのはこのアルバムですね。今まで以上にバンドを意識した音作りになっています。例えば冒頭の「ランナウェイ」はリズムが特徴的な曲だけど、ドラム・カウベル・ボンゴ・シェイカーを担当している大間さんの貢献度はかなり高い。他の曲でもトライアングル・コンガ・タンバリン・ギロなどでリズムを支えています。「めぐる季節」における松尾さんのハーモニカも素晴らしいですよね。このアルバムで小田さんが作った曲は大好きな曲ばかりです。「こころは気紛れ」「ひとりで生きてゆければ」「めぐる季節」「青空と人生と」「冬が来る前に」「歌を捧げて」。僕はオフコースの曲の中では「ひとりで生きてゆければ」が一番好きかなあ。聴くたびになんて美しい曲だろうと胸が震えます。歌詞も素晴らしい。何年か前ラジオでヤスさんに「小田さんの一番好きな曲」を尋ねたら「ひとりで生きてゆければ」をリクエストしたという逸話もあります。「冬が来る前に」はストリングスを取り入れた壮大な一曲。「歌を捧げて」は元々赤い鳥とのジョイントで山本潤子さんのために書かれた曲で、のちにハイファイ・セットがカバーしています。この曲のアウトロは、次作『JUNKTION』の冒頭「INVITATION」のイントロに繋がる仕組みになっていますね。ヤスさんは『秋ゆく街で』のライブで披露した「青春」の歌詞を一部変え、ベースラインが印象的なアレンジにしてここに収録しています。ヤスさん初期の名曲。一般的にオフコースの全盛期は「We are」「over」あたりと言われることが多いですが、個人的にはこの「SONG IS LOVE」から「FAIRWAY」あたりまでが最も好きな時期です。ちなみにこの年小田さんは大学院を卒業し、やっとプロのミュージシャンとしてやっていくことを決断したそうです。


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『JUNKTION』(1977年)

ここから清水仁さんがレコーディングにも参加するようになり、事実上5人体制になります。武藤ディレクターは当時活躍していたユーミンや山下達郎など、オシャレな雰囲気を取り入れるよう提言していたそうで、ヤスさんは敏感に反応していますね。サウンドもだけど、詞の面でも「INVITATION」で〈サテンドレス〉〈ブルーのサファイア〉〈舞踏会〉、「潮の香り」で〈クルーザー〉〈葉山〉、「変わってゆく女」で〈ティールーム〉などを登場させています。(小田さんはいい意味でマイペースですが) 比較的ヤスさん色の強いアルバムで、特にB面の4曲はすべてヤスさんがメインボーカルです。僕は特に「潮の香り」が好きで、海へ行くたびこの曲が頭の中を流れます。そして僕が小田さんの全楽曲の中で「ひとりで生きてゆければ」と並んで最も好きなのが「思い出を盗んで」。まず構成が斬新なんですよね。いわゆる「ABサビABサビ」といった定石を覆している。この曲の流れに惚れ惚れとします。この曲の第一間奏のドラムフレーズは、大間さんがスタジオだけじゃなく家に持ち帰って考え抜いて作り上げたそうですが、ということはこのあたりから編曲にサポートの三人も関わっている可能性が高いですね。つづく「愛のきざし」も最後までサビが出て来ない特殊な構成で、小田さんの試行錯誤が伺えます。そして名曲「秋の気配」。武藤Dから心象風景の描写が多いことを指摘された小田さんが、実景として「港の見える丘公園」を描きこんで作ったそうです。当時はまったくヒットせず(オリコン100位圏外)、後に評価された作品ですね。そしてこのアルバムには二人の共作曲が二曲入っています。〈小田和正作詞・鈴木康博作曲〉の「あなたがいれば」と〈小田和正・鈴木康博作詞作曲〉の「HERO」。僕はこの初めての純粋な共作である「HERO」という大作が昔から大好きです。曲調が転々とする展開は、ポール・マッカートニーの「Band On The Run」やビリー・ジョエルの「Scenes from an Italian Restaurant」を彷彿とさせます。疾走感のある壮大なこの曲でアルバムは幕を閉じる。ちなみにタイトルの「JUNKTION」は、通常「JUNCTION」(分岐点)と書くところあえて「JUNK」(がらくた)とした造語。OFF COURSEという名前もOF COURSE(もちろん)にひとつFを足していますよね。


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『SELECTION 1973-78』(1978年)

ベスト盤ですが、このアルバムでしか聴けない要素がけっこうあります。まずオリジナルアルバム未収録のシングル「やさしさにさようなら」と「通り過ぎた夜」。いずれもすごくいい曲ですね。また以下の曲はオリジナルアルバムとは別バージョンで収録されています。

A-6「のがすなチャンスを」→1978年2月のライブ音源
B-4「こころは気紛れ」→アルバムバージョンのボーカル歌いなおし
B-5「青春」→ボーカル歌いなおし
B-7「秋の気配」→イントロ・アウトロのストリングスがリミックス


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『FAIRWAY』(1978年)

クレジット上は2人組としての最後のアルバム。とはいえ、既に5人体制は固まっていますね。引き続き武藤敏史さんとの共同プロデュース。次の『Three and Two』ではバンドサウンドが開花しますが、これはどちらかというと『SONG IS LOVE』から続いているソフトなサウンドの集大成的なアルバムです。まず小田さんの「あなたのすべて」で幕を開けます。この曲僕は昔から大好きですね。続く「美しい思い出に」はヤスさん曰く「トム・スコットを狙ってAOR路線を意識した」とのこと。「いつもふたり」からブランクを開けずに「夢」へ繋がるところすごくいいですね。「夢」は本当に夢の中にいるかのようなアルペジオが印象的な一曲。B面はコーラスが美しい「夏の終り」から始まります。この曲を聴くとやはり小田さんとヤスさんの声って相性が抜群だなあと思います。「去っていった友へ―T氏に捧げる―」の小田さんの歌声の美しさは何度聴いてもしびれますね。ラストを飾る「心さみしい人よ」はこの頃の小田さんには珍しく力強さを感じさせる一曲です。そしてクレジットはされていないけれど、隠しトラック的に「いつもいつも」というアカペラ曲が最後に流れます。尚、『SONG IS LOVE』から『FAIRWAY』までジャケットデザインは木暮溢世さんの手によるもので、ある種の統一感が図られていますね。さて、2人組のオフコースはここまでですが、当時セールス的にはどうだったかというと、お世辞にも売れていたとは言い難いんですよね。デビューからここまでのシングル14枚のうち、オリコン100位内に入ったのは「眠れぬ夜」(48位)・ドラマ主題歌だった「ロンド」(89位)・「あなたのすべて」(82位)の三曲のみ。「ひとりで生きてゆければ」も「めぐる季節」も「こころは気紛れ」も「秋の気配」も「やさしさにさようなら」も100位圏外。ちょっと信じられないですね。なぜこれだけの名曲たちが注目されなかったんでしょう・・・。僕はここまでの2人組オフコース時代の楽曲群が今でも大好きです。


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『Three and Two』(1979年)

大間ジローさん・松尾一彦さん・清水仁さんの3人が正式メンバーに。この3人を表ジャケットに打ち出すというアイデアはいかにも小田さんらしいという気がしますね。このジャケットはレコード会社からは大反対されたそうだけど、押し切ったとのこと。このアルバムでは武藤さんは一歩下がって、小田さんとヤスさんにプロデュ―スを任せています。正式に5人メンバーになったことで、前作とは大きくサウンドが変わっています。一言でいうとロックバンドっぽくなっている。これまで以上にドラムとエレキギターの存在感が強くなっています。改めて欧米のバンドを研究している様子も伺え、前年にリリースされたBOSTONのセカンドアルバムからの影響が濃い。特にアレンジ面において「愛を止めないで」は「A Man I’ll Never Be」を、「SAVE THE LOVE」は「Don’t Look Back」を参考にしていると思われます。「愛を止めないで」はこれまでで最高のチャート31位を獲得。古くからのファンの中には「いきなり君を抱きしめよう」という歌詞が「オフコースのイメージ合わない」と拒絶反応を示した人もいたようですが、この曲によって新たなファンも獲得していきます。「SAVE THE LOVE」はギターのリフが印象的な8分以上のロックナンバー。冒頭の「思いのままに」はオフコースらしいコーラスで始まるものの、すぐにドラムとキーボードを中心に展開するサウンドがこれまでと違うと感じさせますね。「愛あるところへ」もたとえば『SONG IS LOVE』とかの頃だったらもっとソフトなアレンジにしていたはずのメロディだけど、かなりロックテイストの強いアレンジに仕上げています。ラストは名曲「生まれ来る子供たちのために」で締めつつ、「いつもいつも」のライブバージョンを添えています。僕がこのアルバムで特に好きなのはヤスさんの「汐風のなかで」ですね。


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『LIVE』(1980年)

2枚組ライブ盤。ライブ盤は2作目だけど、「秋ゆく街で」が元々ライブ録音を目的にしたものだったのに対して、こちらは1979年~1980年にかけての『Three and Two』ツアーや「小さな部屋」コンサートなどからピックアップして構成されています。レアトラックとして松尾さんの「君を待つ渚」と「Chill’s Song」(インスト)が収録。このアルバムじゃないと聴けない2曲ですね。「君を待つ渚」の間奏部分は、加山雄三さんの「夜空を仰いで」の台詞からの引用だそうです。「Run Away」(なぜかこのアルバムでは英語表記)と「のがすなチャンスを」がハードロックっぽいアレンジになっているのも聴きどころ。5人制バンドになってからのライブでも「雨の降る日に」「失恋のすすめ」「老人のつぶやき」「さわやかな朝を迎えるために」あたりがチョイスされているのは嬉しいですね。そして、ライブバージョンではありますが「さよなら」がアルバム初収録となります。『Three and Two』の後にシングルリリースされ、オリコン2位の大ヒットとなった有名曲。(アレンジや曲全体の雰囲気は2年前に大ヒットしたEaglesの「Hotel California」をヒントにしていると思われます。)この曲によってオフコースは大ブレイクを果たし、次のアルバムから全盛期に突入していきます。


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『We are』(1980年)

これ以降アルバムは7枚連続チャート1位を記録します。全盛期の幕開けですね。まず一番大きいのはTOTOやスティーリー・ダンを手掛けていたビル・シュネーをミキサーとして起用していることです。ビルがミックスをやるようになって格段に音が良くなり、完成度も上がっています。(これを機に小田さんはソロの『そうかな 相対性の彼方』までビル・シュネーにミックスを依頼しています) 前作からロック色が強くなったオフコースですが、本作は余裕さえ感じさせる「時に愛は」で幕を開けます。小田さん流愛の哲学といった感じの楽曲。「僕等の時代」はやや懐かしさを感じさせるコーラスの美しい曲。「おまえもひとり」は清水仁さんが初めて作詞に携わってます。(ヤスさんと共作)「あなたより大切なこと」は小田さんがこれまで作った曲の中で最もロック・テイストの強い曲ではないでしょうか。「きかせて」はベースラインが印象的なアダルトな曲。人気曲「Yes-No」は小田さんがロッド・スチュワートのライブを観に行ったとき、「Da Ya Think I’m Sexy?」で観客が爆発的に盛り上がっているのを見て、オフコースに足りないのはこういう曲だと思って作ったそうです。今でもライブで盛り上がる曲ですよね。アルバムにはイントロのフリューゲンホルンがカットされたバージョンで収録されています。「せつなくて」は松尾さんがメインボーカルの曲。<作詞:大間仁世・松尾一彦 作曲:松尾一彦>となっていますが、サビの部分は小田さんに相当手伝ってもらったそうです。アレンジは1年前にリリースされたFleetwood Macの「Sara」の影響をかなり受けていると思われます。このアルバムで僕が特に好きなのはまず小田さんの「私の願い」。シンプルでありながらメロディも詞も歌声も美しい一曲です。そしてヤスさんの「いくつもの星の下で」。僕はこれがヤスさんの最高傑作じゃないかと思います。この頃「SAVE THE LOVE」や「一億の夜を越えて」などロックの方面でオフコースを引っ張っていたヤスさんが、ふいに極上のバラードをきめてくるところがカッコいいですよね。メロディも素晴らしいけど、歌詞がすごく泣けるんです。感動的なラブソングですね。しかし、この頃からヤスさんの気持ちはオフコースから離れていってしまいます。


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ベスト盤第二弾。『We are』より前の曲はすべてビル・シュネーによってリミックスされているので音がクリアになっています。シングル「風に吹かれて」「愛の終わる時」がアルバム初収録。「さよなら」のスタジオ・バージョンも初収録ですね。他にもバージョン違いが色々とあるので、以下に整理してみます。

A-1「風に吹かれて」→ドラム新録音。ピッチも早い。         A-3「愛を止めないで」→シンセのイントロがカット。コーラスが差し替えられて「そこから逃げないでー」の伸ばすところが長くなっている。
A-4「せつなくて」→フェードアウトが早い。
B-1「Yes-No」→シングルから「We are」のアルバムバージョンになるとき、イントロのフリューゲンホルをカットし後半にカウベルを加えたが、今回はイントロのフリューゲンホルンのみ再度加えた。
B-2「愛の終わる時」→間奏が11秒短い。
B-3「一億の夜を越えて」→冒頭のカウントをカットしてフェイドインスタート。
B-5「I LOVE YOU」→シングルバージョン(イントロなしで、エンディングに子どもたちのコーラスが加わり、間奏がジョンレノンのニュースではない方)



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『over』(1981年)

このアルバムのレコーディング開始時にはヤスさんの脱退が決まっていました。前作のアルバムタイトルと繋げると「We are over」となることから、ファンの間でも解散説が囁かれていたといいます。実際小田さんはヤスさんのいないオフコースを続けていくことはできないと、解散を考慮に入れていたそうです。そういうこともあってか全体的に悲しい雰囲気が漂っています。(実際8曲中7曲の歌詞に「かなしい」という言葉が出てくる)オープニングはストリングスによる「心はなれて」のインスト。ここから次の「愛の中へ」のイントロに繋がるところすごくカッコいいですね。ヤスさんの「君におくる歌」と小田さんの「ひととして」は男女の別れを歌っていながら、お互いへの別れを暗示するかのような歌詞です。ヤスさんが「新しい夢を胸に <僕>は今旅立つ」と単数で歌うのに対し、小田さんが「さあもう <僕等>はゆくよ」と複数で歌うのもどこか象徴的。ラストの「心はなれて」もオフコースの終りを示唆しているような曲。「僕のいいたいこと」は<作詞:小田和正・大間仁世・松尾一彦 作曲:松尾一彦 ストリングス編曲:鈴木康博>と4人がかりで作った曲で、二つのメロディを重唱する実験的作品。間奏とアウトロのストリングス、カッコいいですね。「言葉にできない」は今では小田さんの代表作のようになっていますが、当時は他の名曲の陰に埋もれていたところがあります。チャートも37位。現在はピアノ弾き語りで歌うことが多いですが、僕はオフコースのコーラスと演奏で聴けるこのバージョンが一番好きです。やはりこの曲は松尾さんのハーモニカありきだと思うので。そして僕がこのアルバムで最も好きなのは「哀しいくらい」です。『若い広場 オフコースの世界』というドキュメンタリーDVDがあるのですが、その中で『over』の制作過程を垣間見ることができます。最初にコード進行だけがありそこに5人で演奏しながら曲作りをしていく過程とか、アイデアを出し合いながら曲が変化していく様子とか。「哀しいくらい」のAメロはレコーディング段階においても完成形とは違う歌詞や旋律で、最後の最後まで悩んだ様子が残されています。「愛の中へ」のコーラス録りで、小田さんとヤスさんが並んであれこれ相談している様子なども貴重な映像ですね。そんなわけでオフコースはこの名盤を引っ提げて、日本武道館連続10日間公演という前人未到の挑戦を大成功させます。その伝説的な最終日の模様は「Off Course 1982.6.30 武道館コンサート」というDVDで見ることができます。


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『I LOVE YOU』(1982年)

『over』のツアーと並行してレコーディングされ、武道館最終日の翌日にリリースされたアルバム。過密なスケジュールの中で作ったのは、ヤスさんがいるうちにもう一枚・・・という気持ちがあったのでしょうか。『over』がヤスさんの脱退劇の渦中で悲しみに彩られていたのに比べると、こちらはやや落ち着きを取り戻している感じがあります。オフコースのアルバムで最も大人の雰囲気を持ったアルバム。冒頭の「YES-YES-YES」は哀しみを吹き飛ばそうとするかのような前向きなナンバー。大好きな曲です。小田さんは今もソロのライブでよく歌っていますが、僕はこのオフコースの壮大なアレンジで聴くのが好きです。ヤスさんは「素敵なあなた」「愛のゆくえ」「揺れる心」といったアダルトな曲を書いています。松尾さんはAOR色の強い「哀しき街」と、子どもたちの声を取り入れた「抱えきれないほどの愛」。松尾さんはビートルズでいうところのジョージ・ハリスンのような立ち位置をしっかり確立していますね。「きっと同じ」のアコギは小田さんが試したものの思ったようにいかなかったためヤスさんが弾いたそうです。小田さんは「やっぱりうまいや」と感心したとのこと。そしてクライマックスは「決して彼等のようではなく」。この曲は緊迫感のある混沌としたラストがすごくカッコいいですよね。そこから静かな「I LOVE YOU」へと流れ込みます。小田さん屈指のバラードの名曲。(アレンジは10ccの「I’m Not in Love」の影響を受けていると思われます) シングルと違い間奏にジョン・レノン殺害のナレーションが挿入されたバージョン。(このアイデアはSimon & Garfunkelの「7 O’Clock News/Silent Night」をヒントにしたと思われます) ピアノとコーラスとナレーションの絡み合いが絶妙で美しいんですよね。僕はこの間奏部分が大好きです。


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『NEXT SOUND TRACK』(1982)

メンバーが脚本・演出・監督・主演を手がけたテレビ特番『NEXT』のサウンドトラック。この番組は解散騒動を逆手に取った娯楽作品で、解散5年後のメンバーが秘密結社の男たちに連れ去られ・・・といったコメディ風のストーリー。(DVDで見ることができます) ジャケットは明らかにTHE BEATLES『Magical Mystery Tour』のパロディですね。このアルバムは既発表曲やそのメドレーが中心だけど、「I LOVE YOU」はライブバージョンで、「YES-YES-YES」は観客の声がダビングされたバージョンです。(武道館最終日にコンサート終了後のアナウンスのバックで「YES-YES-YES」のテープが流れたとき観客の大合唱が起こったそうで、そのときの音源を使ったとのこと) 新曲は2曲のみ。まずは小田さんの「NEXTのテーマ―僕らがいた―」。アレンジはTOTOの「Africa」を意識した感じですね。もう一曲はヤスさんの「流れゆく時の中で」。美しいバラードです。どちらもいい曲ですね。このアルバムを最後にヤスさんは正式に脱退してしまいます。そしてオフコースは「NEXT」という謎のメッセージを残したまま、2年間の沈黙期間に入ります。僕が小5の頃オフコースの曲を初めて聴いたのはこの沈黙期間の頃でした。


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『The Best Year of My Life』(1984年)

ヤスさんが脱退した後小田さんは道を見失っていたそうですが、「4人でやろう」と言い出したのは清水さんだったようです。そこで「オフコースというバンドがなくなっても一人一人がやっていけるように」ということで3年だけ活動することに決めます。そして、4人体制として初めてリリースされたのがこのアルバム。僕がリアルタイムで新譜を聴くことができたのはこのアルバムからです。小6のときだったかな。だからこれは夢中になって聴いたし、特に思い入れがありますね。サウンドは5人の頃から大きく変わっています。小田さんは当時出たばかりのヤマハDX-7などシンセサイザーを積極的に取り入れ、大間さんは当時隆盛のシモンズ・ドラムを使います。(この電子ドラムがすごく特徴的)つまり時代の最先端を取り入れていく。このあたり、当時の僕は少し複雑な気持ちもありました。僕の好きなオフコースが変わっていってしまうという不安ですね。でも、そんな不安を吹き飛ばしてくれるくらいこのアルバムは楽曲が充実していました。まず先行シングルの「君が、嘘を、ついた」が文句なしにカッコよかったですね。これは当時ヒットしていました。(「さよなら」と並んでオフコース最高位の2位) 続くシングル「夏の日」「緑の日々」も当時夢中になって聴いていましたね。松尾さんはより存在感を増すようになり「僕等の世界に」「愛を切り裂いて」「愛よりも」の3曲を書いています。このアルバムで僕が特に好きなのはコーラスとシンセが美しい「緑の日々」とピアノ弾き語り風の「ふたりで生きている」。この頃はミュージック・ビデオにも力を入れていて、そのうち「夏の日」「緑の日々」「ふたりで生きている」は『Movie The Best Year of My Life』というDVDで観ることができます。小田さんが監督を務め、田中美佐子さん・高樹沙耶さん・武田鉄矢さん・西川のりおさんも出演していますね。


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『Back Streets of Tokyo』(1985年)

アメリカ進出を意図して作られた全編英語詞のアルバム。ビル・シュネーの推薦によりランディ・グッドラムが作詞を担当。新曲はなく、すべて既存の曲(『The Best Year of My life』の曲が中心)です。残念ながらアメリカでのアーティスト契約は実現しなかったけれど、お蔵入りにするのは惜しいということで日本のファンへ向けてリリースされました。そして、このアメリカでの活動がきっかけとなり、翌年小田さんは現地の一流ミュージシャンを起用した初のソロアルバム『K.ODA』を作ることとなります。


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『as close as possible』(1987年)

この前の年グループとしての活動は一時休止し、メンバーは各自ソロ活動をしています。その活動中に知り合った人たちがこのアルバムにはたくさん参加しているんですよね。まず全面的にダン・ハフが共同編曲。「ガラスの破片」と「I’m a man」の作詞で秋元康さん。「Tiny Pretty Girl」と「心の扉」の作詞で松本一起さん。「嘘と噂」のボーカルで大貫妙子さん。キーボード・編曲で坂本龍一さん。「もっと近くに(as close as possible)」と「Love Everlasting」の歌詞でランディ・グッドラム。また「Love Everlasting」は『K.ODA』のレコーディング中に制作されたものだったため、結果としてジェフ・ポーカロやデヴィッド・ハンゲイトもこのアルバムに参加したことになります。僕は正直このアルバムを当時はあまり熱心に聴いていませんでした。その頃(中3くらいかな)僕の興味は洋楽の方に移っていたし、どちらかといえば前年にリリースされた小田さんのソロ『K.ODA』の方を愛聴していたので。でも、改めて聴き返してみるとホーンセクションが目立つ派手な音の曲が多くて楽しいアルバムですね。「もっと近くに(as close as possible)」と「白い渚で」が特に好き。「IT’S ALL RIGHT(ANITHING FOR YOU)」のアレンジはLindsey Buckinghamの「Go Insane」に影響を受けていると思われます。あとこのアルバムでは清水さんが初めて作曲とボーカルも務めていて、「Tiny Pretty Girl」と「心の扉」が松尾さんとの共同作曲。いずれの曲も清水さん・松尾さん・小田さんが代わる代わる歌う形式をとっています。「Tiny Pretty Girl」は基本的に清水さんが作ったそうですが、これまでにないタイプの曲で新しい風を吹き込んでいますよね。


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『I’TS ALL RIGHT SELECTION Ⅲ 1984-1987 』(1987年)

4人になってからのシングル曲を中心に収めたベスト盤第三弾。オリジナルアルバム未収録曲として「君の倖せを祈れない」「call」「たそがれ」「LAST NIGHT」「夏から夏まで」「ぜんまいじかけの嘘」「時代のかたすみで(せめて、今だけ)」が収録されています。1985年に次々とリリースされたシングル「call」「たそがれ」「夏から夏まで」が当時の僕にはいまひとつピンと来なかったんですよね。中1くらいだったのでこの大人の感じについて行かれなかったのかもしれません。だからこれらの曲はもっと後になってから好きになりました。改めて聴くと「call」も「夏から夏まで」もすごくカッコいいですね。攻めてる感じがします。「たそがれ」も今となっては大好きです。映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本龍馬』のサントラに提供した「時代のかたすみで(せめて、今だけ)」もいい曲だし、「君の倖せを祈れない」は松尾さん屈指の名バラードですね。では、これもバージョン違いについて整理しておきます。

A-1 「IT’S ALL RIGHT(ANITHING FOR YOU)」→シングルバージョン。イントロとエンデイングが短い。間奏とエンディングがエレキギターソロ。
A-2 「君が、嘘を、ついた」→シングルバージョン。エンディングが短くエコーをかけてない方。
A-3 「夏の日」→シングルバージョン。冒頭にドラムソロが入ってない。
A-6 「call」→フェードアウトが早い。
B-3 「夏から夏まで」→シングルよりエンディングのリフレインが1回少ない。


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『Still a long way to go』(1988年)

ラストアルバム。これの3ヶ月前に小田さんはセカンド・ソロ・アルバム『BETWEEN THE WORD & THE HEART』をリリースしています。既にソロ活動に軸足を置き始めていますね。しかもこの頃オフコースが取り入れていた「打ち込み」はコンピューターでバンドサウンドを生み出せてしまうため、4人のメンバーが顔を突き合わせる必然性も薄れていたそう。実際4人がスタジオに揃って完成させた曲は「君住む街へ」くらいだったそうです。コミュニケーション不足から清水さんが「逢いたい」の作詞を吉田拓郎さんに依頼したことさえ小田さんは知らなかったといいます。そんな中で作られているので各人のソロを集めたような印象のアルバムです。小田さんの作った曲はいい曲ばかりですね。「君住む街へ」「she’s so wonderful」「夏の別れ」「still a long way to go-また会う日まで―」「多分、その悲しみは」「昨日見た夢」etc. 有終の美を飾るにふさわしい名曲たち。僕は特に「多分、その哀しみは」が大好きです。メロディも歌詞も素晴らしい一曲。僕は今でもこの歌詞に励まされています。オフコースはこのアルバムのリリース後、全国ツアーとラストライブ「The Night with Us」(東京ドーム)を行い解散となりました。僕はこのファイナルツアーの日本武道館公演(1989年2月1日)に友人たちと行っています。高1の頃だったかな。4人体制になってからの曲が中心だったけど、「哀しいくらい」を歌ってくれて嬉しかったことを覚えています。アンコールで「眠れぬ夜」の大合唱になったのも感動的でした。2日後の最終日では清水さんが「逢いたい」を途中で歌えなくなって小田さんがカバーしたり、小田さんが感極まってステージから飛び降りたりする一幕もあったとのこと。解散ライブ「The Night with Us」はアンコールの最後に小田さんが「これからはみんながオフコースだからね」と言い、みんなで「いつもいつも」を歌って終わったそうです。尚、今年(2020年)はオフコースがデビューして50周年となります。



【番外編】

ここまでの公式アルバムには入っていないシングル曲(とそのB面曲)は、様々な非監修ベストに散らばっていますが、この2枚を押さえておくと効率よく聴けると思います。

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『OFF COURSE Singles』(1998年)

タイトル通り「僕の贈りもの」から「YES-YES-YES」までのシングルA面B面を発売日順に収めた3枚組。これでオリジナルアルバム未収録の「めぐり逢う今」「忘れ雪」「水いらずの午後」「あいつの残したものは」「ロンド」「海をみつめて」「夜はふたりで」「Christmas Day」を聴くことができます。


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『レア』(1989年)

さらにこれには「僕の贈りもの」より前の「ジ・オフコース」時代の曲も入っています。これで「群衆の中で」「陽はまた昇る」「夜明けを告げに」「美しい世界」「おさらば」「悲しきあこがれ」を聴くことができます。(逆にこのアルバムだけだと「めぐり逢う今」が入ってないんですよね)


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これで全曲を網羅・・・と思いきや、どのアルバムにも入っていない曲が二曲だけあるんです。それは「2度目の夏」(シングル「Call」のB面)と「CITY NIGHTS」(シングル「緑の日々」のB面で「哀しいくらい」の英語バージョン。※「Back Streets of Tokyo」に入ってる「哀しいくらい」の英語バージョンとは歌詞が違う) この2曲はサブスクでも聴けない。というわけで、これはシングルを入手するしかありません。シングルCDは現在入手困難ですが、2020年6月に50周年記念でリリースされたシングル36枚組CD BOX「コンプリート・シングル・コレクション」には入っているみたいです。


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『コンプリート・アルバム・コレクション CD BOX』(2020年)

全アルバム20作品(21枚)のLPパッケージをすべてミニュチュア再現し、紙ジャケットに収めたCD BOX。デビュー50周年企画ですね。2020年最新リマスターなので、音がクリアで素晴らしいです。最近レコーディングしたんじゃないかというくらい音がいい。コーラスもより美しく聴こえます。オフコースの楽曲を最高の音で聴きたい方にはオススメです。


<追記>

『コンプリート・シングル・コレクション CD BOX』(2020年)

その後結局『コンプリート・シングル・コレクション』も入手しました。これはその名の通り「群衆の中で」から「夏の別れ」までの全シングルのA・B面が網羅されていますので、このボックスがあれば、アルバム未収録の曲もすべて揃うことになります。しかもリマスター。アルバムとシングルでバージョンが異なる曲も多いので、聴き比べるのも楽しいですね。特に「こころは気紛れ」「あなたがいれば」「Yes-No」「I LOVE YOU」は違いがわかりやすいと思います。


小田和正さんのソロについてはこちらをご覧ください。

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