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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#16 ホテル
 
駐車場に戻ってきた。リアドアを開け放し、ゆるゆると装備を解いて、車の中を整理していた。自分の車の後ろあたり、バイクと車のヘッドライトが眩しい。大柄のバイク野郎は、何やらスマホで調べている。隣は、黒い<レクサス>だった。今晩泊まる宿でも調べているのか?アイドリングの音が気に障る。星を眺め、波音に耳にすませていたことが、ウソのように思えた。そのうち、轟音を響かせ、バイクは出て行った。あとに四輪の<レクサス>がぴったりついている。やっぱり連れだったんだ。暗闇に、ちょっと、ギャング映画のワンシーンのようだった。
 
ホテルの駐車場に着いた。車が数台止まっている。建物を見上げると、数か所、窓に明かりが見える。なんとなく、車の台数と、窓の明かりの勘定が合わないような気がした。おそらく、裏手のシングル部屋に客が泊まっているのだろう。少し説明しよう。今日の昼間、ホテルの裏側の道を通った際、このホテルが崖際に立っているのを発見した。つまり、自分の今いる駐車場と裏の道との間には段差があり、いわゆる<崖屋造り>になっていたのだ。
 
崖に建っているのだから、表から見た一階は、裏から見れば二階になる。したがって、このホテルの受付は、見た感じでは、駐車場のある一階から、地下一階に下りたところにあったのだが、じつは、裏の道から入れば、そこが一階であり、駐車場のある上の階は、まさに二階だったわけだ。そういえば、エレベーターにも、地下一階という表示はなく、一番下の数字は<1>だった。
 
ついでに、もう一つ付け加えるならば、自分の宿泊した広めの部屋は、すべて南向きで、窓も広い。一方、裏側の部屋はすべてシングル部屋で、窓も小さく、北向きだった。値段的にも、¥2000以上の開きがあった。常日頃の<セキネ>の習性を考えれば、なぜ安い方に泊まらなかったか?答えは、たんに空いていなかったからにすぎない。それに<Goto割り>も適用されるからね。ちなみに、このホテルのシングル部屋に泊まって<Goto割り>を適用すれば、素泊まり一泊で約¥3500。さらに<地域クーポン券>も¥1000ほどはゲットできるから、いわば<ゲストハウス>並みの値段で泊まれたはずだ。
 
うす暗いホテルの出入り口に立った。自動ドアが開いて、中に入った。と、仄かな、上品な匂いだ。下にずらっと並んでいる大きめな植木鉢、ユリのお花たちだった。意外だった。というのも、以前実家で咲いていたユリの匂いは、まるで公衆便所並みだったからだ。ま、匂いというものは、きつすぎると、耐えられん!だが、この時は違った。暗がりの中で、静かに咲いている、ユリのお花たちは、かそけく、甘く切ない香りを放っていた。美人の匂いだった。
 
螺旋階段を下りた。そこだけが明るい受付カウンターの前で、トートバックを下におろした。<ぢん>と呼び鈴を鳴らした。今回は、一拍半おいて、声が聞こえた。反応が、段々早くなっている。女主人は、機嫌がいいのか、愛想がよかった。どうでした、と聞いてきた。そうだ、昨晩、いや、今日の朝だったかな?灯台や朝日や夕日などを撮りに来たことを、ちょっと話したのだ。
 
曇ってて、朝日は出なかった、と答えた。その後、カウンター越しに、五、六分話をした。女主人は、かなり雄弁で、星空を撮りに来たプロの写真家の話をしながら、その写真家から送られてきた星空の写真を、カウンターの後ろから取り出して、見せてくれた。写真には、灯台が写っていなかった。正直な話、星空の写真に、それほど興味はない。自分としては、ユリのお花たちの話を聞きたかった。すごく良い匂いで、素晴らしく咲いている、と話を向けた。
 
案の定、女主人が丹精しているようだ。花好きのお友達からもらったもので、そう言われるとうれしい、初めて言われた、と顔がほころんだ。ほかにも、ブーゲンビリヤもきれいに咲いているし、入口付近が、温室のような感じになっているんでしょうね、と応じた。さらに、カウンターに、深紅のバラが活けてあったので、お花が好きなんですね、と改めて、女主人の顔を見ながら言った。彼女は、聞かれもしないのに、私は赤が好きなんです、と答えた。情熱的なんですね、と立ち去り際に言葉を残した。女主人の、まんざらでもなさそうな表情が、ちらっと見えた。伊良湖岬の、女丈夫だった。
 
ホテルに着いたのは、夕方の六時頃で、食事をして、メモを書いた。さらに、その後、風呂に入って頭を洗ったらしい。そのようなメモ書きがノートに残っている。夕食は、その日の朝、ファミマで買った弁当だった。旅先で、わざわざ頭を洗ったのは、ちょうどその日が木曜日で、洗髪の日にあたっていたからだ。ほぼ、一日おきの洗髪は、多少長髪になった今日日、欠かせない日課になっていた。何しろ、二日、ないしは三日あけると、頭がくさい。もっとも、旅先だったから、念入りには洗わなかった。
 
そうだ、風呂では体を横たえ、昨日にもまして、ゆっくりくつろいだ。そして、風呂あがりには、二本目のノンアルビールを痛飲した。そのあと、荷物整理をして、明日の朝、すぐに出られるようにした。もっとも、朝食用の食材は座卓の上に置き、飲み物は冷蔵庫に入れたままだ。
 
と、その時だった、というのはウソだが、とにかく、灰色の厚手のカーテンを閉めた時に、プリントされている花柄をちらっと見た。何と、深紅のバラだった。この部屋は窓が大きい上に、都合四枚ものカーテンがかかっている。目の前に、手のひら大の、少しくすんだ深紅のバラが、滝のように流れている。<私は赤が好きなんです>。女主人の言葉が、頭の中で聞こえた。
 
さて、寝るか。明日は帰宅日だが、今朝撮れなかった伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行く。もうひとがんばりするつもりだった。幸いなことに、明日は、すべての時間帯に、晴れマークがついている。日の出は、たしか六時四十五分くらいだったと思う。目覚まし時計を五時にセットした。夜の八時過ぎには寝ていたと思う。

・・・灰色の厚手のカーテンを開けた。深紅のバラは、もう目に入らなかった。外はまだ真っ暗だ。まず着替えた。その次に洗面を済ませ、朝食。ウンコは、多分出なかったと思う。持ち込んだすべての持ち物を、ゴミは別として、カメラバックとトートバックに詰めこんだ。そのあと、ベッドや座卓まわりを、ざっと整頓した。忘れ物はない。と思ったが、念のため冷蔵庫と金庫を開けてみた。カラだった。静々と部屋を出た。うす暗い廊下を少し歩いて、エレベーターで一階に下りた。というか<1>を押した。
 
いつ来ても、このホテルの一階はうす暗くて、受付カウンターだけが明るかった。プラ棒についている鍵を、カウンターの上に置いた。ほかに鍵は置いてなかった。サビた呼び鈴をちらっと見た。<ぢん>と鳴らして、女主人に挨拶していくか、ちょっと迷った。目の端に、大きな花瓶が映った。胴のまるっこいその花瓶の絵柄も、たしかお花だった。首を少し回して、差してあるバラのお花たちを見た。昨晩と同じで、カウンターからの白熱電球の光を受けて、深紅がくすんでいる。とはいえ、そのお花たちが、みなこちらを向いて、少し笑っている。カウンターの鍵を、手で、きちんとそろえた。女主人を起こすのはやめて、静かに螺旋階段を登った。

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