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どの角を曲がっても寂しさに出会う人生で私にできること



「俺さあ、てっちゃんと行ったディズニーが今まで行ったディズニーのなかでいちばん楽しかった。おぼえてる?」

 月曜の昼下がり、スペイン坂のカフェで、今は福岡に住んでいる友人Gが言った。Gと会うのは数年ぶりだった。てっちゃんとディズニー。そうだそうだ、たしかに行った!ずっとわすれていたけど、あんなディズニーランドはあとにも先にも体験していない。
 Gは社会人になりたてで、私は大学四年生だった。こんな時間が永遠につづくと疑わなかった。


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 私たちの共通の友人のてっちゃんはいつも、瞳の色がすこしもわからないスパイみたいな真っ黒いサングラスに、おなじく真っ黒のハットを被っていた。「目がみえないっていうのは真っ暗で何もみえないっていうんじゃなくて、逆にすごく明るすぎて、まぶしくて何もみえないっていう感じだよ」と、目黒の権之助坂の中華屋でごはんを食べているときに教えてくれた。てっちゃんは二十歳くらいのころ病気がきっかけで両目の視力を失っていた。

 てっちゃんとの出会いは、視覚障害者の人たちがガイドとして働くソーシャルエンターテイメント施設だった。私とG、それぞれの恋人の四人で行ったときアテンドをしてくれたのがてっちゃんだ。

 ニューヨークで国際弁護士になったてっちゃんは、日本の大手企業の顧問弁護士として働きながら休日にボランティアでガイドをしていた。ほんとうは参加者とアテンド者の連絡先交換は禁止されていたのだけど、会うなりすぐさま意気投合したてっちゃんと私たちはそんなことはまったくわすれていて、あっさり連絡先を交換した。

 すぐに再会して、ごはんを食べて、たのしく遊んだ。なにがそんなに楽しかったのかわからないけど、みんなでいるとめちゃくちゃにたのしかった。私たちよりひと回りほど年上のてっちゃんは肝の据わったギャングみたいな人で(見た目じゃなく中身が)、会うたびこれまでの人生や恋の武勇伝をおもしろおかしく聞かせてくれた。頭が良くてユーモアが大好きで、感情豊かでパワフルで、寂しがりやでジェントルマンでロマンチストだった。私の出ていた小劇場の舞台にもなんどか来てくれて、たのしいね!ありがとう!と言ってくれた。ディズニーランドに行ったのも、そのころだった。

 ある時、てっちゃんが言った。ぼくと一緒にディズニー行くとすごいよ。待ち時間なしでぜんぶの乗りもの乗れちゃうから。なんのこと?と思ったけれど、行ってみてわかった。
 てっちゃんが言っていたのは、障害者手帳を持っている人で安全上同伴者が必要な場合、同伴者をふくむ全員が列に並ばなくてもアトラクションに乗れるルールのことだった。

 てっちゃんがアトラクションの入り口で水戸黄門みたいにスッと手帳をさし出すと、数時間待ちの行列を横目に乗り場までひとっ飛び。手帳を出すときのてっちゃんの子どもみたいな得意げな顔がなんだかおかしかった。
 
 愉快な王様のてっちゃんと、さわがしい家来の私たちみたいな一行は、その調子でふだんなら到底乗りこなせない数のアトラクションを次々制覇していった。こんなに簡単に乗れてしまってはディズニーランドらしくないと思うような異常事態だった。
 ほんとうにたのしくて、笑いが絶えなくて、今が人生でいちばん楽しいときのひとつかもしれなかったらどうしようと思うくらい、すべてが輝いてみえた一日だった。

 ディズニーのあともなんどか遊んだりしていたけど、一年くらいして私が恋人と別れたことでみんなとどんどん疎遠になってしまった。てっちゃんとはその後もふたりで会ったことがあったけれど、そのうち連絡を取らなくなった。最後のアップデートは、てっちゃんに好きな人ができて長年一緒だった奥さんと別れることになり、新しい恋人と住むために借りたマンションに移ったものの恋人とあまりうまくいかなくなってひとりで住んでいる、というところで終わっている。

 てっちゃん、今はどこでどんなふうに暮らしているだろう。寂しくしていないかな。今もあのシュッとしたサングラスに山形食パンみたいなハットを被って、強気な冗談を飛ばして自分を奮い立たせているのかな。カツン、カツンとだれにも真似できない軽快なリズムを白杖で刻みながらどこにでも勇敢に歩いていった、てっちゃん。


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 人は人とひょんなことでめぐり会っては、その出会いが予期せず人生の宝ものみたいになってしまうことがある。はじめはそんなつもりじゃなかったのに、油断しているうちに、いつのまにかほんとうにどうしようもなく大切な人たちというのができてしまう。

 でも、渦中にいるときはそのことに気づかない。若ければ若いほど、くやしいほど、なにかがいつか形を変えていくことや、あたりまえのことがあたりまえではなくなること、今目の前にいる人がもう一生会えない人になってしまうかもしれないことなどのすべてに思いきり鈍感なまま過ごしてしまう。

 ずっと会いたくて、やっと出会えたと思った、心から大好きな人たちだった。みんなと会えなくなったのは私が恋人が別れたからだとずっと負い目に感じていた。むこうに好きな人ができて私がふられる形だったけど、それは最後の最後の大事件のようなもので、そこまでの流れを時間をかけて作ったのは私のほうだったのではないかと自分を責める日々が待っていた。

 電光石火の時間を過ごすうちに、みんなでがむしゃらにひとつのダンスを踊っていたのが、いつのまにかひとりだけちがう軌道に入ってしまった星みたいにはぐれてしまった。みんなのいるほうへ戻りたくて明るいほうに手を伸ばしたくても、できなかった。 
 決定的にだいじなものが欠けたまま、暗くて深い穴に落っこちて尻もちをほどけないまま、後悔しようにもなにから後悔すればよいのかわからないようなつらい毎日だった。
 歩いていて角が見えたら曲がらなきゃいけないけれど、私の人生はどの角を曲がっても寂しさに出くわすようにできている。またひとりになってしまった。どうしていつも私はこうなんだろう。
 なにもかもが自分の非力さのせいで起こっているのか、それとも運命の常套手段なだけで思いきり泣いてわすれて次へ進むしかないのか、いくら考えてみてもわからなかった。

 

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 あれから十年以上が経った。そのあいだに、私もすこしづつ変化した。

 あたらしい角を曲がって鉢合わせるのがまた寂しさだったとしても、ああまた会ったね、元気だった?と思えるようになった。時間が経てば経つほどだんだん寂しさと顔なじみになっていった。

 みんなのことを思い出すとき決まって寂しさや虚しさで押しつぶされそうになっていた胸も、すこしだけ分厚くなった。家みたいに思い出を住まわせておけるくらい頑丈になった。
 今は、きっとあのときはあのときで完璧だったんだ、と思うことができる。あの時間が永遠にはつづかなかったからこそ、今もこうしてすてきな時間のまま持っていられる、と。
 何もかもが例外なく絶え間ない変化の中にあるということ、その変化こそが生きていくということだと、時間をかけてわかるようになった。

 だから、また会えるかもうわからない人のことは、すこしでもやさしいきもちで思っていられる自分でいたい。もう会えないかもしれないことより、一回きりの人生のなかでたしかに出会えたことのほうがずっと、私にとって大事なことだ。
  
 会えなくなった人がいるいっぽうで、時を経て再会できるGのような人もいる。いろんなことが変わりに変わったけどなにも変わってないよ、と言葉や態度の端々から伝えてくれるGの温かさや素直さに触れて心の底からほっとした。そうだ、この人はいつもこんなふうに大きい人だったなあ、と思って胸があつくなった。
 歩きつづけていたら、また会える人がいる。どうにか生きていれば。そう思って信じられないくらい勇気がでたから、Gにまた会うことができてほんとうにうれしかった。

 
 人生って、箱を開けたらぜんぜん思ってもみなかったものが入っていたりする。いいカードばっかりだな、と思ったことは一度もない。そこに入っていたものを、信じられない、受け入れたくない、とさんざん拒んできた。もっとずっといいものと交換しようと、いつも必死だった。

 でも、そうしながらいつもどこかでむなしかった。とても大切なことを無視しつづけているような、なにか大きくずれたことをしていていつか大きな間違いに気づいてしまうような、そういう感覚がずっとあったし、自分で自分が怖かった。

 結局、いろんなことがうまくいかなかったり、裏目にでたり、自家中毒みたいになりかけたりして、すごすごともともと箱に入っていたもののところへ戻ってきた。
 今までろくに見ようともしなかったその中身を意を決してまじまじ見つめてみて、好きや嫌いをいったん脇へ置いて受け入れて、そこにあるものを使えるものにするためにひとつずつ磨いて、いちばんいい形にして最大限生かすことができたらそれが今の自分が望んでいる生き方なのかもしれない、と思うようになった。

 そう思えるようになるまでの長い長い道のりに、Gやてっちゃんのようなすてきな人たちがいてくれたことを、とてもしあわせだと思う。

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