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earthquakin' blues (2/11)

②2009/3/**

 私がトオル先生に出会うことになったきっかけを話そう。横浜の関内にあるジャズバーでのことだ。面白い形の酒瓶が置いてある店だった。
 「その瓶の形は面白いですね。何のお酒?」
そう気まぐれに尋ねたら、私の一番近くにいた若いバーテンダーがグラスを拭く手をとめて、私の視線の先をたどった。陶器らしい白色をした、楽器の形を模した何かの酒の瓶。バーテンダーは、「これですか?」と困った顔をして首をかしげた。
「これ、ずっとこの棚にあるんですけど、空き瓶なんです。僕がここで働き始めた頃からありますね。誰も捨てようとしないんですよ。僕も触ったことがありません」
「キイの並びから言って、多分オーボエだと思うなあ。何が入ってたんでしょう?」
 バーテンダーは、はあと興味なさそうに相槌をうってから、取り繕うように私を褒めた。
「楽器、お詳しいんですね。僕はさっぱり分かりません」
「そんなことないでしょう。ここ、ライブハウスなんだから」
「二階のレストランで働く連中は音楽のこと詳しいですよ。でも、一階のバーで働く僕らは、酒のことしか知りません。でも酒のことなら、任せてください。ただ、この酒瓶の中身が何だったのかは、分からないんです」
 バーテンダーは申し訳なさそうに笑った。
 ジャズのライブハウスに併設されたカウンターバーにある酒瓶がサックスやトランペットではなくてオーボエだなんて不思議だと、私は思った。ジャズのサックス奏者なら何人でも挙げることができるが、オーボエを演奏するジャズマンとなると、ユセフ・ラティーフぐらいしか私は知らない。しかし、酒瓶に彫刻された管楽器のキイらしい部分は、コンセルヴァトワール式のオーボエの特徴をはっきり備えていて、ベーム式の延長線上にあるサックスのキイ配列とは明らかに違う。
 そんなことを考えながらビールのグラスを傾けていると、今度はバーテンダーから話しかけてきた。
「今日は、お仕事ですか?」
「どうして?」
「土曜なのに、スーツをお召しですので」
「コンサートだったんです、子どもの。私のじゃないですよ。ブラスバンドを教えているんです。今日は卒業公演でした。毎年、三月の最初の土曜日にやっているんです。まあ仕事といえば仕事かな。これで給料をもらっているわけではないけれど」
「へえ、じゃあ、先生でいらっしゃるんですね」
 そうですねまあ一応、と応えて私は苦笑いする。先生、などと呼ばれるのはどうもくすぐったい。今の職に就いてもう何年か経つのに、私は未だにこの呼び方に慣れなかった。先生というのはもっと立派な人がなるものだと教員になる以前に私は考えていて、今でも自分がそう認められるほどに自分が偉くなったとは感じなかった。もっとも、バーテンダーの方ではそんなことは知ったことではないだろうけれども。バーテンダーはその後ずっと、私のことを先生と呼び続けた。
バーテンダーは「先生はうちでもライブをなさるんですか?」などと尋ねてきた。このバーテンダーは私のことを勘違いしているようだった。私は訂正した。
「先生とは言っても、ただの小学校の教員です。それに、ジャズのことは全然分からない。聴くのはとても好きだし、きちんと勉強してみたいとも思っているんだけど」
「じゃあご専門はクラシックの方なんですね」
「専門と言うほどでもないけれど、そうですね、どちらかといえばクラシックです。子どものバンドでもジャズっぽい曲やポップスなんかをやらせることがあるから、本当は、本当に勉強しないといけないんだけどね。何せ普段は忙しいから、バンドみたいなオプションの仕事にまわす時間は限られているし、誰か先生について勉強しようと思っても、その暇がないんです。帰りはいつも遅いし、休みの日だって、こうやって仕事しているわけだし」
「帰りが遅いっていうのは、どれくらい遅いんですか」
「定時は五時頃だけど、職場を出るのはたいてい、九時十時です。そんな時間じゃ、見てくれる教室ないでしょう。土日は、こうやって一日潰してバンドの演奏活動につきあうこともあるし、普段が忙しいから家族との時間も作りたいし、平日の夜っていっても、今言った通りだし」
 バーテンダーは首をひねった。ちょっと待ってくださいね、と言ってカウンターの奥をごそご探り出した。しばらくしてバーテンダーは、一枚のフライヤーのような紙を取り出し、私の手元に置いた。
「ああ、ありましたよ、これ見てください。実はうちの三階でジャズの教室をやっていて、ほら、確か遅くまでやっていたと思って……やっぱりそうだ、最後のレッスン枠が十時からの一時間です」
 私はバーテンダーから紙切れを受け取り、それをペンダントライトの下に持って行って目を細めた。クールストラティン音楽院。クールストラッティンとは、このバーと上階のレストランの名前だ。レストランのほうでジャズライブをやっているのは知っていたし、何度か来たこともあったけれど、三階があることや、そこが音楽教室になっていることは知らなかった。教室の営業時間は正午から夜の十時最終枠となっている。本当に夜の十時からやってもらえるの、とバーテンダーに尋ねたら、興味がおありなら担当から説明させます、とカウンターの下にかくしてあった受話器を取り上げて、内線で連絡をとってくれた。
 やがて、生真面目そうな細身の若い女性がやってきてバーテンダーに、どちらの方? と声をかけた。バーテンダーが私の方を見ると、彼女もそれに倣った。私は立ち上がって頭を下げた。
 すいませんそのままで結構ですよ、と女性は私を再びスツールに座らせて、自分は立ったまま名刺を差し出した。クールストラッティン音楽院、事務、赤城あい。生憎、私は返す名刺をもたなかった。教員という仕事は名刺を使う機会がほとんどないから用意していないのだけれど、こういう時に困る。私は非礼を詫びてから、タツミです、と名乗った。
「小学校の先生だと伺いました。何か、楽器のご経験は?」
「フルートをずっと吹いています、もう十五年ぐらい。実は先だって、三十歳になった記念にアルトサックスを買って、それはまだ三ケ月ぐらいです。あの、本当に十時からレッスンしてもらえるんですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。その時間にいらっしゃる生徒さんはほとんどいませんから、予約がとれないということも、ほとんどないと思います。コースは何をご希望でしょう? フルートか、サックスか……」
「どっちでもいいです。ああやっぱり、サックスがいいかな。今は一人で練習しているけれど、どうせ教えてもらえるなら、併せて見てもらった方が上達するだろうから」
「なるほど。じゃあ例えば……ジョージ先生か、トオル先生がいいかなあ。トオル先生なら、フルートでも大丈夫ですよ。タツミさん、もしよろしかったら一度、レッスンの見学にいらっしゃいませんか? 見学は無料だし、お時間のご都合さえよろしければ、何人かの先生のレッスンを見てもらって、それから考えていただければいいと思うんですけれど」
 赤城さんはカウンターの上に、持参したプラスチックのブリーフケースを開きノート型の端末を取り出して広げ、教室のホームページから講師のプロフィール一覧を開いた。赤城さんは、サックスの先生だとこの人とこの人で、この先生だったらフルートでも大丈夫、でもこっちの先生は平日には来ない、などと説明を加えてくれる。赤城さんが身を乗り出すと、ヒールを履いているらしく、床がこつこつと甲高い音をたてた。
 いつかはちゃんとジャズのべ強をしてみたい。子どものバンドを面倒見るようになってからずっともやもやとしていた私の計画が、急に現実味を帯び始めたので、私はいささか戸惑った。
私がそう思いつつも二の足を踏んでいたわけは、正直、平日の夜なら通えるとは言っても仕事の後からレッスンでは正直しんどいという気持ちもあったし、体力やら仕事の忙しさやらを考えると、正直に言えば続けられる自信がなかったからだった。音楽のスキルを獲得するというのは、結構な時間がかかる。それに、継続、集中して取り組むことが大事だ。料理の匙加減やら火加減を身につけるのと同じで、一朝一夕ではできない。
私はしばらく迷ったけど結局、無料の見学を申し込んだ。というのは、とにかく一度レッスンの様子を見てみて、気に入らなければきちんと断ればいいし、見学の日までは少し時間があくので、本当にレッスンに通えそうかどうか、一度じっくり考えてみようと結論したのだった。誰か知り合いに紹介されたのなら、見学まで来ておきながら断るのも憚られるけれど、飛び込みだから気兼ねもない。そういう気楽さも思い切りを手伝った。私は赤城さんに、何人かの先生のレッスンを連続して見てもらえるという土曜日の午後に見学しに行くと約束した。
「じゃあ、先生と生徒さんには私から話しておきますね。もし都合が悪くなったら、一応ご連絡ください」
「分かりました。でも、必ず行きます。よろしくお願いします」
 赤城さんは笑顔とハイヒールの足音を残して立ち去った。バーの扉を開けて去っていく赤城さんの足元を見ると、淡いブラックのレギンスの先で、ハイヒールがクールにバップしていた。
 これが、私がトオル先生のレッスンに通うようになった最初のきっかけだった。


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