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earthquakin' blues (7/11)

⑦2010/8/**

 ステージに立つトオル先生を見に行ったことがある。
 石川町にスローボートという店があって、トオル先生はそこで月に三、四回、土曜日にライブをしている。スローボートはライブハウスというよりはバーと言ったほうが正解かもしれない。だから、普通の客はジャズのライブに来るというよりは、生演奏の聴けるバーに飲みにきている感覚だろう。もちろん私は、飲みに行くというよりはライブに行く感覚だったけど。
 ブラスバンドの夏休み練習を終えてから、一緒にバンドを指導しているバリトンサックス奏者の先生を誘って、私はスローボートを訪れた。アンティークなヨットのキャビンを模した内装の店は、町屋のように奥に向かって細長く、壁に沿って伸びた長いカウンターが最後にぐるりと輪を描いており、その輪の中の床が底上げしてあってステージになっている。輪になった部分はもちろんカウンターとして座ることもできるけれど、そうした場合、奏者との距離は一メートルに満たないから、よほど込まない限り人は座らないだろう。私は、私より少し若い女性のバリトンサックス奏者の先生と、すでにライブの始まっている店に入ると、ファーストセットが始まったばかりで客もまだ少ない店内の、ステージから少し離れたテーブル席に座った。私たちはビールを飲みながら、しばらくはトオル先生の演奏に耳を傾けた。
 トオル先生はしばらくは無表情にプレイを続けていたけれど、サテンドールのアドリブをやっている最中に、私がいることに気がついたようだった。演奏を止める訳にいかないから、手を振ったり会釈をしたりすることはなかったけれど、それは表情ではっきりとわかった。私は演奏の邪魔にならないように、トオル先生に背を向けて演奏に耳を傾けていた。トオル先生のプレイが、色気づくのが分かった。
 スタンダードを何曲かやってファーストセットを終えたバンドは、インターバルに入った。バッキングのメンバーは、自分の楽器を始末してから、楽屋へと消えていく。トオル先生は、テナーをスタンドに立てると、ステージから降りて私たちのテーブルの方へやって来たので、私は立ちあがってトオル先生を歓迎した。笑顔のトオル先生はステージを終えたばかりの火照った手を私に差し出した。私がその手を両手で握ると、トオル先生はもう片方の手も添えて、上下に振った。柔らかくて温かい感触の掌だった。
「やあタツミさん、ありがとう、ありがとう。来てくれて嬉しいです。どうぞ、かけて下さい」
「素晴らしいプレイでした。先生のステージでの演奏を一度聴きたかったのですが、普段は忙しくてなかなか……でも今は夏季休業中で余裕があったので、伺いました。こちらは、一緒にブラスバンドの指導をしているイシハラ先生です。バリトンサックスを演奏しています」
「これはどうも、南川です」
 トオル先生はイシハラ先生にも両手を差し出した。
 仕事中の先生をお誘いしていいものかどうか、私は少し迷ったが、時々アルコールの香水をつけてレッスンにやってくる先生のことだから大丈夫だろうと考えて、先生よかったら一杯奢らせて下さい、と頼んでみると、先生は笑顔で応じてくれた。私が呼びつけたウェイターに、先生はビールを注文した。
 トオル先生はとなりの空いているテーブル席の椅子を自分で引き寄せて座った。いかにも勝手を知っているらしい手つきだった。
「この小屋との付き合いは長くてね、先代のオーナーの頃からなんだ。若い時分には随分世話になったよ。もちろん、今も。俺たちはとにかく、ステージに上げてもらわなきゃ話にならないからさ」
「ここは、そんなに長いんですか」
「長いよ。長いなんてもんじゃない。俺が新潟から出て来てすぐの頃から、ここには出入りさせてもらってるんだから。本当に、俺にとっちゃあ親代わりみたいなもんだ……ここでやらせてもらえてなかったら、ジャズなんて続けてられなかったかもしれない。世話になってる小屋はいくつもあるけど、ここはちょっと、特別なんだ」
 ビールが運ばれてきた。トオル先生はそれを一息に三分の一ほど飲み干して、いいねいいねたまんないな、と上機嫌になった。私たちのテーブルには軽食や乾き物もあったけれど、トオル先生はそれには手をつけないで、ずっとビールだけを飲んでいた。さすがプロだなあと、私は感心した。
 先生の若い頃ってどんな風だったんですか、と私が訊くと、トオル先生はあははと笑った。
「どんな風って、そうだなあ、ジャズで食っていこうなんて奴は誰でもそうだったけど、がむしゃらだったよ。当時は、ジャズをラジオやなんかで聴いたことはあっても、どうやって演奏してるのかなんて誰も知らなかったから、ここに出入りしてたアメリカ兵の、ちょっと音楽をかじったことのあるやつに訊いてみたり、あとはレコードに齧りついて耳でフレーズをコピーしたりしてさ。みんな、そうやって上手くなったもんだよ」
 先生はビールを飲みほした。それにあわせて私もジョッキを空けると、イシハラ先生も右に倣えでビールを干した。私たちはウェイターを呼んでお代りを頼んだ。もちろん、トオル先生にもビールを。
「あの頃はさ……活気があったね。休みの日なんて、店に客が入りきらなくて、歩道まで飲んだくれがあふれて踊ってたんだ。もちろん、俺たちのバンドのプレイでさ。やっぱり、踊れる音楽に人気があったね。だから、連中が目を回して倒れるまで、スイングさせてやったもんだよ。車道に倒れる奴までいてさ、文句を言いに店に怒鳴り込んできたタクシーの運転手もいたな」
 へえそんなことがあったんですか、と私が驚くと、トオル先生は陽気に笑って、そんなことばっかりだったよ、と応えた。
「あの頃はみんなバカだったなあ。バカやっても許された時代だった。普段は真面目な顔して会社で仕事してたんだろうけどさ、憂さ晴らしに踊りに来て、とことんハメ外して、一晩ぐっすり寝て真面目人間にもどったら、それで許されたんだから。もちろんこっちだって、その気で躍らせてやってる。とことん楽しめるようにね。それが俺たちの仕事ですよ」
 トオル先生は、そこまで威勢よく話していたのだけれど、それまで強く吹いていた風が急に凪いだように、ふっと顔を翳らせた。
「景気が良かった頃までかなあ、そういうのは。バブルの後ぐらいから、そういう気持ちのいいバカはいなくなっちまった。みんな、楽しまなくなった」
 トオル先生は、ビールのグラスを取り上げると遠のいた過去を懐かしむように、泡の消えかかった琥珀の液体を高々と掲げて、その向こうに遠ざかった天井のペンダントライトの灯りを目を細めて見上げた。それから、グラスを口元に運んで、ぐいぐいと喉を鳴らしてビールを飲んだ。半分以上残っていたビールは、哀れな水溜りほどの量にまで減った。トオル先生はこみあげてくるものを抑えようと、しばらく涙目で息を止めてから、ついに残ったビールも、いくらか名残惜しそうに飲みほした。
「昔話だよ。そんな頃があったっている話さ。もちろん、だからって、今が不満って訳じゃない。こうやってタツミさんとイシハラさんが聴きにきてくれるんだしね」
 バッキングのメンバーがステージに戻ってきた。セカンドセットの時間だ。トオル先生はごちそうさまゆっくりしていってこの店のピザは旨いからお勧めするよ、と言って立ち上がった。トオル先生はストラップにテナーを吊って、バンドのメンバーに二言三言何か指示を出すと、おもむろに演奏を始める。アズ・タイム・ゴーズ・バイ。
 ビール二杯ぐらいでは、トオル先生の腕に障ることはなくて、危うげないセットは淡々と進んでいった。土曜日だというのに、いつまでたっても店は込まなかった。世間が盆休みに入る直前だからかもしれない。これではトオル先生のライブに熱が入ろうはずはなかった。わくわくするようなホットなプレイは、残念ながら飛び出さなかった。私も何だか長居する気になれなくて、結局ピザは頼まずに、イシハラ先生と仕事の話を少しして、セカンドセットが終わる頃に席を立った。同じようにステージから去ろうとするトオル先生を呼び止めて挨拶をすると、トオル先生はにこやかに笑って、また私の手を握ってくれた。
「ありがとう、タツミさん。また来てね。それから……今度のレッスンもよろしく」
 トオル先生は、何度もありがとうと繰り返して、カウンターの外で私たちを見送ってくれた。
 スローボートを出ると、日はすっかり暮れていて、人通りは増えている。中華街へ繰り出す人の列だった。ジャズは本当に死んでしまったのかもしれない。私は悔しいような寂しいような、そんな気持ちですれ違う人混みに浮かぶ、老若男女の顔を見送った。

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