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earthquakin' blues (11/11)

⑪2011/4/##

 いつだったか、トオル先生がこんなことを言った。
「ブルースっていうのは、生活のすべてなんですよ。農園での仕事に疲れ切った黒人が憂さ晴らしをしに酒場に集まって来て、誰に教わったわけでもないピアノで、どこかで聞きかじった伴奏をつけて、一節歌う。例えば……今日もアイツは俺をこき使う、まったく、水を飲む暇もありゃしない、アイツは旨そうなバーボンをラッパでやってるっていうのにさ。今日もアイツは俺をこき使うんだ、まったく、水を飲む暇もありゃしない……ってね。他には例えば……俺はあの娘に首ったけなのさ、見てりゃわかるだろう? 今日もあの娘に会いにここへ来たんだ、バラの花を一本だけ買ってね。俺はあの娘に首ったけなのさ、すっかりまいっちまってるんだ……って具合だ。何だっていいんだよ、かあちゃんの愚痴でもいいし、上司の文句でもいいし、報われない恋のことでもいいし、ちょっとした失敗談でもいいし。ただね、そこには共感がなきゃいけない。つまりさ、歌い手とお客さんで、響き合わなきゃいけないんだ。演者がいい気で歌ってても、聴いてる方が白けちまうんじゃ、ダメだ。それはブルースじゃないよ。金持ちのボンボンが、ホームレスのおっちゃんたちがワンカップかっくらってる飯場に行って、僕ちんは今日パパにもらったお小遣いでキャデラックを買ったよ、なんて言っても、誰も嬉しがらないだろう? ハイソでブルジョアなお友だちのところなら、へーえいいね、ぐらい言ってもらえるかもしれないけど。私たちが日々生きる中で感じる不安、憤り、喜び、悲しみ……そういうのを分かち合うのが、ブルースってもんなんですよ」
 また、こんなことを言ったこともある。
「最近の若い連中は、とにかくアウトフレーズを吹きすぎる。アドリブにはいったら、もうアウトして、どこを吹いてるんだか分からないぐらい遠くへ行ってしまって、最後の最後だけ、言い訳するみたいにインしてお茶を濁すんだ。そういう奴に、じゃあブルースでもやろうって言うと、あいつらはFのブルースもまともに吹けないくせに、ブルースはつまらない、なんて言いだすんだから、困っちまう。夢でも見てるみたいなフレーズばっかり吹いてないで、まずは丁寧にインで吹けって、俺はいつも言うんですけど……。まあ、そういう奴は大抵、三年ぐらいたつと、どこの小屋でも見かけなくなります」
 私は、地震のあった三月の月末でクールストラッティン音楽院に別れを告げた。最後のレッスンの日、トオル先生は、横浜にきたら寄ってね、と笑顔で言った。私は、もちろんですと請け合った。
 同時に、教師の仕事も辞めた。実家の仕事をしばらくは手伝うつもりだった。しかし、妻の仕事の都合で、すぐには引っ越せないことになっていて、私は未練がましく、結局は夏ごろまで横浜に留まった。その間、縁のある人に頼まれて非常勤の仕事をしたり、ツーリングに出かけたりした。初めて一人で訪れた日光東照宮に、観光客は私を含めて二人しかいなくて、宮司たちが途方にくれたようにぶらぶらと歩き回っていたのが印象的だった。その他に、何も用事がない時には、あまり金もなかったので、本を読んだり、古い友達に会ったりして、残り少ない横浜での時間を潰して過ごした。
 学校の仕事でジャズピアニストの女性と知り合うことがあって、彼女のライブに誘われたことがあった。もちろん観客としてだったのだけれど、オーケストラの練習の帰りに立ち寄ったら、目ざとくフルートを見つけた彼女は、私がトオル先生にジャズを習っていることを知っていて、ブルースぐらい吹けるでしょ、と無理やり私をステージに引っ張り上げた。Cジャムブルース。大学時代の嫌な思い出が、また蘇った。ドロップはしなかったけれど、アドリブを譲るタイミングが分からなくて往生しているところを、他のフロント奏者が強引にソロをさらってくれたので助かった。私はまだ、ブルースもまともに吹けない。
 A列車を吹いた時に、ドラムの生徒さんからもらった新渡戸稲造のことを私はすっかり忘れていた。引越しのために譜面を整理しているとその封筒が出て来て、この手の封筒は大抵用済みのものだから反射的に破り捨ててしまいそうになったのだが、クッキーが一緒になっていたお蔭でそれを思いとどまった。クッキーも新渡戸稲造も、何事もなかったような顔をして封筒に収まっていた。私はクッキーをその場で頂戴し、さくさくと咀嚼しながら新渡戸稲造の処遇について思案した。本当ならもらう筋合いのなかったものだ。もしこれを受け取るべき人がいるとすれば、トオル先生だろうと私は思った。しかし、そのまま手渡したって、トオル先生は新渡戸稲造を受け取らないだろう。私は新渡戸稲造を使って、トオル先生のライブを聴きに行くことにした。
 夏を迎えようとする蒸し暑い梅雨の終わりごろ、熱気と湿気のために噴き出す汗を拭いつつ、私は久しぶりにスローボートの扉を開くと、店内は心地よく冷房されていた。一人で来たので、私は長い長いカウンターの真ん中あたりに座った。ファーストセットの始まる少し前だったので、トオル先生とバンドはまだいない。私はビールとピザを頼んで、トオル先生を待った。
 横浜を代表する観光地である中華街の入り口にあるというのに、しかも土曜の夕方なのに、スローボートにいる客といえば私だけで、何だかひどく居心地が悪かった。原子力発電所の事故の影響で、日本を訪れる観光客はひどく減っているらしい。とは言っても、日本人は日本にいるのだから、もっと賑わっていてもよさそうなものだけれど、世間の人はなかなかそういう気分になれないようだった。私はピザをつまみながら静かにビールジョッキを傾けて、薄暗いがらんどうのスローボートで、脚をぶらぶらさせた。
 ファーストセットの時間になって、トオル先生とバッキングのバンドがステージに上がった。私からトオル先生までは、いくらか距離があった。私はトオル先生を見たが、トオル先生は私を見なかった。私を、というよりは、箱を見たくない、といった風であった。何か諦めたような気分が感じられた。
 ドラムかそっけなくカウントする。クールストラッティンだ。トオル先生は、押し殺したようにテーマを吹く。頑ななまでにペンタトニックにこだわったアドリブが続いた。バッキングにソロを渡して、トオル先生はリードの角度を直している。ドラムソロがワンコーラスあって、またテーマ。飾りたてたトニックでアウトロするのも、ビジネスライクに、そっけなく。
 私がたった一人拍手をすると、トオル先生はこちらを見てまず頭を下げ、それから私を認めて、笑顔になった。
「タツミさんじゃない、また来てくれたんですね」
「はい、お邪魔してます」
「ありがとう。何か、リクエストある?」
「リクエストですか?」
 私は首をひねった。何も思いつかなかった。何でもいいよ言ってみて、とトオル先生が催促するので、私は出まかせに、じゃあアマポーラを、と応えた。
「オーケー、オーケー。アマポーラね。素敵な曲だ」
 バンドは演奏を始めた。
まるで、花が咲いたようだった。明るい、シンプルなテーマ。カンツォーネのように、朗々と、ほがらかに。アドリブは、軽くテーマをフェイクしただけの素直なやつと、スインギーなバップ、最後にはブルージィに。トオル先生のテナーのベルから吐き出されるサウンドが、私に力を吹き込んだ。心が、トオル先生の音楽に、人生に、その苦悩に寄り添うのを感じた。スローボートの薄暗かった店内の色が、ぱっと明るくなったようだった。私は大勢の若人がステップを踏む、床の悲鳴を聴いた。泡のように弾けては消える笑い声、乾杯の掛け声、グラスのぶつかり合う音、誰かがあの娘を口説く甘いささやき、つぶれて管を巻く酔っぱらいの繰り言を聴いた。ピザの焼ける香ばしい香りと、若い肌から発散する汗、甘くとろけるようなアルコールと煙草の匂いが入り混じって嗅覚を刺激するのを感じた。人々は酒に酔い、ジャズに酔っていた。ジャズはまだ生きていた、そう、生きていた! トオル先生の、ほとんどラッカーの剥げてしまって露出した地金が青白く錆びたセルマーが歌う、ファットなグルーヴの中に、ジャズはまだ生きていた!
 トオル先生のバンドは、続けて何曲か演奏して、時間通りファーストセットを終えた。トオル先生は楽器を置くと、以前来た時と同じように私のところへ来てくれた。私たちはビールを二杯ずつ飲んだ。
 帰り際、トオル先生は私の手を握って、ありがとう、ありがとうと繰り返した。

 世界は、いつだってスイングしている。

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