恋愛じゃなければうまくいく相手ってことなのだろうか

たまに会って話して、ときめいたこともあって、
ふたりで日帰り旅行なんて行っちゃったりもして、
告白したこともあったけれども時間をかけて振られて、
その後はSNSでだけ繋がって。


あるときなぜかまた会うことになって、個人的には以前よりいい感じなのではと思う反応ではあったが
また曖昧なまま周期が終わって。


またあるとき何度目かの再会をして、いろんなところに一緒に出かけたり深い話もしたはずだったけれど
期待をしすぎて勝手に疲れてしまい、
勝手に嫌いになってしまった。
嫌いというより、もう、許さなくていいかなと。

許す、許さないとか、ジャッジする側であったと思い込んでいたのがそもそも痛い。


でも少し時間が経つとそんなこともどうでも良くなり、またふんわりと連絡をとり、会うようになる。
どんなに呆れて呆れられても、ニュートラルに戻る。


ただ、さすがにもう「この人は私のことを好きなわけではない」「ただの友達として、ゆるく、でも大切にしていきたい存在なのだろう」と理解して、
期待をせず(なんの期待?)自分もその状態から目を逸らさないようにした。
勘違いしてはいけないぞ、と。
そして、私もどうにかなりたいと思っているわけでもないかもしれないぞ、と。



いくら人として好きでも、叶ったらいいなと願っても、実際に叶ったらどうなる?
性格も生活のルールも大切にしたいポイントも違う。
想像しただけでたぶん…
自分の根本から変えなければ一緒にはいられない気がする。


万一あの人が私を「今度こそ」好きになってくれる未来が訪れたとしても、私は一緒に生活できるのか?
習慣やこだわりが違いすぎるし、足を引っ張ることになる。

話しているときはあんなに楽しいのに。


ここまではほとんど先週書いていたことで、
ここからは今から。
話の相手は同じ人。

文章でもたぶん全然波長は合わないし、
何を考えているのかも未だによくわからないし、
いいところもイライラするようなところも知っていて、
それでも「あいつだからな」で解決する。


話がなかなか噛み合わなくて、今イラッとさせちゃったかな、と自分の行いを顧みてドキドキすることもあるけど
たぶん、あいつも「ララちゃんだからな」で片付けてくれている。


相手も私のいいところも嫌なところも知っているだろうし、
ララちゃんは変態的なところがあるよね、いい意味で
そう笑って、未だに笑って言われるし
なんでも「いい意味」ってつければ解決なわけではないぞ、と思うし
失礼な人だなと何度思ったかわからないが
でも、ずっと続いているなあ。


完全なる、パーフェクトな男友達なら分かる。
そうではない時期もあったのに続いている
本当にかなり珍しい事例。
というよりもうこの人とあと1人ぐらいしか残っていない、こんなに長い間会える異性の存在は。

気が合うわけないよって思いつづけて、
それでも何日も一緒にいても苦じゃないって
なんなんだろうね。
どっちの予測を信じればいいの。

いいところもそうじゃないところも知っていて、
それでもつながっていけるなんて
本当は理想なのにね。
人を、人として、あるがままを見て受け入れているということ。
私も望むこと。


これが恋であればなあ。
でもそんなに 単純じゃないんだよなあ。



このバランスが、この友人のような腐れ縁のような関係が
いちばん落ち着いて、なんでも晒せるんだろうなあ。
それ以上を望んではいけないと
分かっているよ。


たまに「長い間仲良くしてくれて感謝してるよ」「もう嫌いにはならないよ」と素で言いそうになるけど、
相手にとってはなんのことやらになるので
こらえている。

「あの人はリスクをとる選択をしたからキラキラしている」
そう説明していたニュース記事を見た。



ここ同士のリスクってなんだろう?
「この関係ってさあ」と踏み込むこと?
いや、ただの友達だしそれは変だ。

ただの友達……

そう、この関係は、いつしか私が
相手になんにも期待しないようになってから
私もここは恋愛でもその先でもないと理解してから
急激に安定したとも言える。
私がもうあいつのことはなんとも思っていないと
実際ほぼその通りだし、辛くなることもないけれど
ときどき「この人嫌いになれないなあ」と目を細めてしまいそうになる。


安定した途端にさらけ出せるなんて
安心した途端にふたりで出かけられるなんて
ほんと、どんなバランスだよと思いますよ。


文章も会話もそれほどぴったり合うわけではないのに
なぜ話すことはたくさんあって
なぜ10年以上打ち解けているのでしょう。
なぜ、おはよう、ただいま、みたいな何気なさが嫌じゃなくて
もしかしたら私と一部の人しか知らないのかな、と思う瞬間の本人の表情を心でスクショしたくなるのか。


まあ、相手が「誰でも友達」タイプなのかもしれない。
ここが特別ではないんだよね。

あとは仲間意識ね。
変なところで仲間意識は持ってはだめだよな。
お互い独身で、少しいろいろあった時期もあって、
自由にいろいろやっているねという同盟が組まれているわけでは決してない。それは私の誤解。
あいつが今後、ちゃんともう一度恋愛したり結婚しようとすることだってあるかもしれない。
今は単にお互いがそのベクトルに向かっていないから(本当のところは知らないけど)会っていてラクなだけなのかもしれないし
いや、もしかしたらもうあいつはあいつで
何かあるのかもしれないし。
疑っているわけじゃないけどね、モテるだろうから。


「私は好きかもしれないけどさあ、その先どうにかなりたいわけではないんだよね」

いやこれも違う。フィジカル的な「その先」ではなくて。


「好きかもしれないけど、同居したり結婚したいわけではないんだよね。だから安心してほしい」
いやこれもおかしい。宣言する必要ないし、いきなりすぎる。
安心とは。

好きかもしれない異性の友達。
だけどどうにかなりたいわけではない。
だから長年この関係が成立している、
と、いうことか。
まあ、この好きみたいな感情が
恋愛かどうかももう分からない。
今は会える予定を楽しみにしているけど、
なんで「ここ」が続いているのか?とは
未だにふっと考えているよ。


あいつの本心も分からない。
いつだって何を考えているか
それは少しもどかしい。
でも自由でいたいはずなのに
ひとりじゃなくてふたりを選ぶんだなと
気づいたときには少しだけ嬉しかった。
気難しい人のテリトリーに入れる嬉しさということね、きっとそう。


頭で考えなかったら、私はどうなっているんだろ。
いや、フィジカル的な意味ではなくてね。




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