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「群衆」  タクシーで、東京と

 車道に一歩はみ出して手をあげている、その女の人の前に ……ッカ チッカ チッカ とウインカーをあげて、ゆっくりと車を寄せ、ドアを開ける。外の雑踏が一気に車内に流れ込んで、車の外と内とが一つに繋がる。
 バンっ というドアの閉まる音を合図に、一瞬繋がった雑踏は、再び遮断。挨拶をして、行き先のやり取りを終え、走り出す。少し間を空けて女の人は、静かな音を立て始める。

……カチャッ キュッ コトッ カチャ これから出掛ける女の人の定番の仕草。隔離された車内に響くその静かな音が、淡々と続く。その姿を見ることはできない。目をつぶっている時に歯医者がする道具選びを聞かされているような、そんな気分で車を走らせる。話し掛けられれば会話をするし、されなければ、そのまま黙っている。ただ、化粧の邪魔をしないよう、空気のような存在をめざすのがぼくのタクシーの流儀だ。
 特別なことがないのが理想的で、ただ普通に「普段通りだな」と思われれば、それがベスト。そんな営業をなるべく心に映している。

 お客さんはお客さんの普段通りを無事済ませ、到着までの手持無沙汰な時間を「なんてことのない会話」にあててくれる。ある意味、ここで一仕事終わったような気分に。料金を貰い、「忘れ物ありませんように」などと声を掛け送り出す。ドアを開けたと同時に、外の雑踏はまた一瞬にして車内を飲み込んで、ぼくは、自分も雑踏の一部だということを思い知らされる。

 そっぽを向いた、もう無関係になったその女の人を見ながらドアを閉めれば、静かな個室は、また蘇る。外の雑踏は、まあ、聞こえないことはないけども。 ……ッカ チッカ チッカ とウインカーを合図して、また再び街の中へ、群衆の中に紛れ込もう。それぞれの普段通りにどうかかわろうか。タクシーはその役割を担っているのだから。 

 朝と

 夜明けの東京は、夜のうちには済まなかった残骸が彷徨っている。
 まだ夜の匂いの残る薄白い光の中に、どこからともなく湧いて出て来る人々。繁華街には人間と同じ高さにカラスが群れている。そろそろ走り出そうという始発電車を求めて移動する群衆、その集団の動きは鈍い。嘔吐する男の背中をさする化粧の剥がれた女、ワイシャツを出したままのびっこのサラリーマン、さっきまで蝶ネクタイをして呼び込みをしていたボーイも加わり、一同、ゆっくりと駅に向かって流れる。夜の昆虫が灯りに向かって行くように、無意識に移動する。それぞれ、帰る場所があるから。
 
 そんな移動をする群衆の、ほんのひとつまみがタクシーを利用し家路に着くのだけど、もうすでに出勤しなければならない時間だという人も少なくない。何のために帰るのか、本人すらもわかっていなくて、でもタクシーは、そのおかげで商売が成り立っていたりする。そんなわけだから、寝込んでしまって、起こすのにものすごく苦労する時があって、それもまあ仕事の一部か。でもところが、ほとんどの人が意外とあっさり目を覚ましてくれて、条件反射的に、言われたままに会計を済ます。ドアを開ければ、その重い腰をどうにかこうにか外に向け、こちらは見守るだけ。で、ドアを閉めて、その窓越しにそのお客さんを見やれば、よたよたと、でもまるで自動的に玄関まで進んで、定まらない視線をドアに向け、そのドアに差し込む予定の鍵をあちこちのポケットに探している。 ……どの人も同じ仕草をするのが興味深いが、まるで人間は帰るために出掛けているかのようだ。
 住宅街は繁華街とは逆で、静寂が去りそこねて居残っているように見える。もう新しい一日は始まっているというのに。その静けさは名残り惜しそうで、夜中からずっと見続けているからそう思うのかもしれないけど、一日の始まりは「昨日の姿」から引き継がれていることに気づかされる。
 
 そんな住宅街から一路街道に出れば、暗いうちから徐々に増えてきた大型トラックが、もう普通に行き交っていて、で、その流れに入り込めば、新鮮さはひんやりとした温度で伝わって来る。人の交わりはまだ始まったばかりだから、まだ温まりきっていない。
 この時間、お客さんは少ないが、タクシーもまた乏しい。会社に所属するタクシーは勤務交代のタイミングだし、個人で営業するタクシーもまた店じまい。一旦、街から姿を消す。で、仕事から解放された運転手たちは、サラリーマンが新橋の居酒屋で上司の悪口に花を咲かすのと同じく、開いているそこらのファミレスでその日に乗せたお客さんとの出来事を吐き出しているのだけど、その時間、タクシーは困窮する。だからこの時間は仕事が非常にやりやすい。希少なタクシーに対してお客さんは遠慮がちで、最寄り駅で足りる行き先も「羽田空港までね」「丸の内まで」などと扱いがよく実利もある。そんな同じ時刻に同僚たちはお客さんへの悪口に花を咲かせているのだから、ちょっと後ろめたいけど。
 
 夜中から走り続けている大型トラックの群れに、市場へと急ぐ軽トラックたちが加わり、そろそろしていると建設現場へ向かうドカチンなど職人たちを乗せたワンボックスカーがケンカ腰に競い走りをし出す。そしてやがて陽が昇りきると、いつも通りの、昨日と同じサラリーマンの出勤風景が現れ、それを尻目に交通渋滞も徐々に始まる。
 大河が、その支流から水を集めてくるように、電車は、都心に夥しい数の人間を運んできて、そしてダムの水路を解放したがごとくに下流駅の口からぞろぞろと吐き出す。その流れは永遠の止まらないかと錯覚するほど。信号機ではその色によって一時せき止められて、そしてまたスクランブル交差点の中へ うああ と氾濫する。いつもの東京が始まった。駅を背にして移動する群衆は、タクシーになんか見向きもせず流れて行く。だからこっちだって見向きもせず突っ走ってやる。
 
 他方、タクシー乗り場では、一日のうちで最も目まぐるしい時間を迎えている。ツバメの夫婦が代わる代わる巣に戻る姿のごとく、タクシーたちは無心に、乗せて、降ろして、また向かって、また乗せる……を繰り返す。まあ、ヒナのように待つお客さんのためというよりは自分の「喰いぷち」のためなのだけど、まあイキイキと動き回る。
「タクシーを使うんだから当然でしょっ!」という具合にみんながみんな急いでいて、運転手の背中には期待とイライラが突き刺さる。が、「みんながみんな急いでんだから進まねぇのも当然だろっ!」というのがタクシーの言い分だ。だからまあ、急いでいるフリが唸りを上げ、でもお客さんは、それがフリだとわかりながらも、そのフリを目にすることによって自分を納得させている。まあ東京では、そういう無言のやり取りによって平和が保たれている……ところもある。
 
 大海原の大うねりのような群衆の大移動はそのうち沈静し、それぞれ個々の持ち場に落ち着きを作り出す。それぞれ個々の戦いの準備に入るために。そうして群衆という形はすっかりと姿をくらました……かと思えば、その準備が整った頃にちょうど腹が減ってしまうようで、再び群衆は小さな波を立て、姿を現す。

 昼と

 この「お昼時」に移動を済ませておこうという人はけっこう多く、もちろん「タクシーで」という人も少なくない。だからタクシーにとっては「気の置けない時間」なはずなのだけど、「昼飯はお昼時じゃなきゃヤダ!」という運転手もわりといるので、朝のピークの時と比べるとちょっと少ないその利用者は、程よい供給によって消化される。
 この時間の移動って、複数の人が乗り合わせるのが目立つのだけど、そこでされる人々の会話にはどうも違和感を覚える。あえて、「しなくてもいい会話」をしているように見えるから。せっかくの休憩なのだから「したい会話」をすればいいのに、それをあえてしないみたいだ。考えるに、「しやすい会話」とは仕事の話で、休憩とはそれをしないことなのだから、わざわざ「しなくてもいい会話」をするのだと思う。それでも休憩は成立している。
 
 さて、またもや群衆は姿をくらまし、人々はそれぞれ、生きていくために多くの大切なものを生み出す重要な時間に浸るわけだけども、群衆の「移動を手伝う」という役割のタクシーは、この間、「用はないョ」と放って置かれる。ただ、都市というものは流れ続けなければ生きていけないわけで、だからタクシーは、泳ぎながら寝る魚のようにその時間をやり過ごす。真面目な人はシエスタ。本を読む人もいる。やっちゃいけないことをする人も少なくない。もちろん、この時間でも熱をあげて仕事をする人もいないわけではないが、総じていえば、みんな半分寝ているような状態に陥る。でそんな時に、油断は起こるもの……
 
 Dは、真面目な運転手ではなかった。が、実直な性格だともいえた。態度は紛れもなく不真面目なのに、でも注意をされれば慌てて襟を正す、そんなタイプの人間である。
 そんなDが、午後三時という誰もが休むべきその時間に仕事をしていたのは、ただ単に眠くなかったからだった。まあ、タクシーという動物は、そういう「何も考えない」という行動が特徴であるから、通常の態度ともいえた。
 Dは真面目ではないから、走り回ってお客さんを探すようなことはしない。しかし、キッパリと休むような潔さもないし、で眠くもないし、あまり来る気配もないタクシー乗り場になんとなく並んでいた。で、スマホのエロ動画に夢中になっていた。
「急にコンコンって叩くからびっくりしてよぉ!」とは本人の談だが、タクシー乗り場なのだからお客さんが来るのは当然ことだった。慌ててドアを開けるD。ドアをノックされれば即座にそう反応してしまうのは、タクシーをしたことのある者ならば誰にでもわかるはずだ。
 Dは慌てて助手席の前に手を伸ばし、ダッシュボードのポケットを開けスマホを放り込み蓋をした。電源を切る余裕はなかったとのことだ。乗って来たのは、四、五歳くらいの女の子を連れた若いお母さんで、行く先は、わりと近くだったそうだ。
 コースのやり取りをしている時には気づかれる余地もなかったが、やがて、「……フン……アン……アァ」と喘ぎ声が静まり返った車内に響き渡り、「どうなんだい?」「どういいんだ?」なんていう甘く白々しい口説き声が流れる。Dには取り繕う器量もないし、もう流れているままに無視するより他に手立ては見つけられなかったって。
 普通を装っているくせに、「汗だくになっちゃってさ」と言っていたが、さぞ時間が長かったことだろう。まあ、若いお母さんとて困ったに違いないが、そこに居合わせた小さな怪物が「この声なあに?」と聞かなかったのは、口には出さずに強く念じた二人の念力によって……ではなく、不自然に発せられるお母さんの目力や運転手の汗だくから事態を嗅ぎ取った、幼い娘の親心によるものだった……なわけないか。もうDは、エロ動画を見る時には「注意するようにする」のだとさ。
 
 そんなほのぼのとした昼下がりを経て、やがて辺りは光と闇の中間色に染まり、群衆はまたうごめき出す。そのうちに始まる、朝とは逆の大移動で再びその輪郭を露にする。

 夜と

 光は、夜の街の特徴を形作る。光の中で陰によって形を浮かばせる昼の姿とは真逆で、闇の中にさすその光には、どうしてか憧れが浮かんでくる。その始まりの時には、特に。
 ただ、東京の光は膨大過ぎて情緒もへったくれもない。しかし欲望を満たすには十分で、東京にはそういうものが何でも揃っている。まあ、部分的に見れば情緒だってないこともない。
 そういった光に見守られながら、群衆は、にじむように街に流れ出し、いつの間にか大移動は始まっている。朝とは逆に進むその流れは緩慢で、さほど激しさは感じられない。でそのわけは、一日を「まだ終わらせたくないグループ」と「もう終わらせようという人々」に分かれているからで、それぞれが駅や街や道で交錯し、混沌とした滞留の状態を見せ……でも! 活気を模様する。

 なんとか仕事をまとめて合コンに急ぐ男……帰り道が同じ方向だという数人の同僚……のんびり屋に首を長くする待ち合わせの数人……真直ぐ家に向かう半笑いの人……これから仕事という若い女……まだ仕事が終わらない会社員……手をつなぐ老夫婦……子供……中学生、高校生……カップル……親子……店を探す男女のグループ……男同士、女同士……うなだれて絶望する人……、行き交い、行き交う。その乱雑さが熱となって、情緒のあまりない東京の街灯を圧倒して、するといつの間にか街は、もうすっかり夜の顔になっている。
 ビルの間に割って入る大通りを行けば、何か、キラキラとした浮かれ気分で出来たトンネルをくぐっているような雰囲気を味わえる。だから一瞬、仕事を忘れて、音のしない音楽に浸りながらその道を気分よく通り抜ける。いつまでも……とはいかないもので、手をあげる人を見つけたら、すりすりとそのお客さんの前に車を寄せなくてはならない。気の合う人だったらいいんだけど、もちろん、実際に乗って来るまではわからない。
 
 光と影が反転する夜って、人の様子をも変えてしまう。
 数人で移動すれば騒がしいのは普通だし、みんな、あえて昼とは違う自分を演じようとする。一人で乗ってくる人だって、素直に元気がなかったり、極端に機嫌が悪いとか、異常に明るかったり、本性なのか或いは別の顔なのかはわからないが、昼には見せない自分を表に出したがる。でそれは、夜が更けるほどに色濃くなっていく。
 でもだからこそ、夜は面白いってところもある。危険をはらむからからこそ魅力も倍増される。スリリングな出来事に痺れ、恍惚感を得る。清廉潔白な中では決して生まれない感覚が「夜の顔」を作り出す。
 
 東京の歓楽街の灯りは、そこに残された群衆のために夜明けまでともし続けてくれる。
 ただ、その日最後の電車が過ぎ去ったあとは、光は闇にどんどん追いやられ、決められた箇所だけに限定されてしまって、で、そんな街に取り残された限定的な群衆は「もう帰れないから」という覚悟だけが街灯りの下に寝そべり、どんどんだらしなく乱れていく。それが常習的な人も多いが、まるで当番のようにかわりばんこに、酒に、恋に、欲望に、夜に、酔っ払っている……現実をよそにして。そんなふうに、車窓越しに伝わってくる。
 
 でもこんな人だっていたりする。大勢が生み出した副作用とでもいうか、影のように出来てしまった人たちが。この人たちは少ないけど一定数の割合で存在する。特に夜の街には不釣り合いで、迷い込んでしまったような、はじき出されてしまったというか、そしてどうしてか、責任を感じさせられるような人。群衆の、負の化身とでもいえばいいか。タクシーは、そういう人ともかかわりを強要させられる。
 
 深夜一時頃のことだった。そこは、港区と品川区の境にある御殿山と呼ばれる地域で、駅と駅の間、歓楽街とビジネス街の間の静かな住宅街で。ちょうど闇のスポットが当たったようなその都会の暗がりに、その老婆は立っていた。本当に目立たなくて、今考えると見えるはずもなかったその姿は、この世のものとは違う光によって照らされていたかのようだった。そんなふうに憶えている。
 その高級住宅街の闇を割って走る道路の歩道で、小人のように小さな老婆は杖を突き、背中を直角に曲げ、下を向いたまま、歩道の中程に静かに立っていた。手をあげていたかどうかは記憶に定かではない。何というか、あまり止まりたくない気分だったが吸い寄せられるように車が誘導されてしまい、そして、何者かの命令によってドアを開けさせられたような、そんな感覚だった。

 老婆は、開け放たれたドア越しにこちらを一瞥し、そして納得した様子でこちらに歩み寄って来た。歩幅は5センチ刻みで速く、でも、せかせかしている様子はまったくなかった。自分のペースで段々と近寄り、車のあちこちを掴みながら、何とか、ようやく腰を下ろし、そして無言で、ドアを閉めるよう命令した。小さくて、和服で、真っ白な髪は後ろに堅く結ばれていた。皴に紛れて、より深い皴のような吊り上がった眼は、開いているのかどうか判断がつきかねた。両頬は重く垂れ下がっていて、下唇が異常に突き出ていたのが印象的で、精神に異常があるのではないかと想像が導かれた。
 
「埼玉県のね、和光市駅まで行って頂戴」
 驚くほど不似合いで矍鑠としたその声は、とても小さな量だったと思うが、はっきりと頭に届いてきた。一応、コースの確認をしたが、「任せるわ」と一言。
 この時間は稼ぎ時で、だからタクシーは通常、金額もさることながら時間的効率を考えるもので、特に長距離の場合は高速道路になんとか結びつけたがるものなのだけど、どうしてか、その老婆に対して過剰な遠慮が生じてしまい、自分のしたいことと逆のコースを提案した。老婆は何も答えず、もう一度聞くことは許されないような雰囲気に押されて、こちらも無言で一般道を行くコースに向け車を走らせた。
 
 車内は、大きな振り子時計に支配されているような雰囲気で、極度の緊張感に包まれていた。こんな状態で和光までもつのだろうか、と心配になった時、老婆は口を開いた。「兄のね、誕生日の食事会だったの」と。
「どうしてこんな遅い時間まで……」とか「お泊りになればよかったのに」という応答が浮かんだが、「……そんなお歳なのに」という言葉が続いてしまうのを恐れて、「そうだったんですか」とだけ返事した。
 老婆は、五分ほどとりとめもなく話した。「……年に二回あるの。不思議よね、誕生日なのに」「……もうやめたいんだけどね」「……ずいぶん歳をとったものね、兄も私も」云々。こちらの頷く姿には少しの関心も見せなかった。一言、また一言、自分のペースで感覚は空けるものの、まるで壁に向かって話しているように伺えた。そんな異形さが更にぼくを緊張させ、ただただ、頷くタイミングだけに注意した。

 五分ほど経つと老婆はまた押し黙り、だから、こちらも自然と何もせず、エンジンの音、ウインカーの音、対向車の音、風の音が、流れる映像の背景のようにただ吹いていた。まだ、真夜中の教室に滴り落ちる水滴の音が響いているような雰囲気はそのままだったが、極度の緊張状態からは脱することができた。しかし、その空気に慣れてくると、「今どこ?」などと声を発する。また押し黙り、やっと寝てくれたか、などと心に過るとまた、「あら、ここは五本欅ね。懐かしいわ」などと呟き、存在感を示す。だからもう気を緩めることはあきらめ、振り子の時計を倒さないように、ただただ、急がないように気をつけてハンドルを回し、ブレーキペダルを手で押さえるように踏みこんだ。
 
 そうこうしているとぼくらは東京と埼玉の県境まで来ていた。それを超えればもう和光市で、老婆が告げた和光市駅はもうすぐそこ。ぼくは、降車場所を確認しなければならなかったが、金縛りにあったように口が開かなかった。で、もうこれ以上進んだらマズいというところまで来た時、「この信号の二つ先の信号を左に曲がって頂戴」と声が届き、「次をね、右」「突き当りを左よ」と続き、「ここでいいわ」と言われたその場所は、大きな団地らしきところの門の前だった。

 午前二時。料金は一万円を少し超えたところだった。老婆は、すでに膝の上に置いてあった鈴の付いた財布から一万円札を、そして千円札を出して、丁寧に揃えてこちらに差し出した。手を伸ばしてそれを受け取ると、老婆は、手のひらをくるっと返して上に向け、お釣りを待った。こちらを一瞥もせず前を向いたままだった。
 乗った時と同じような仕草で、車のあちこちを掴んで、ようやく外に降り立ち、また、刻むような短い歩幅で歩き始めた。ぼくはドアを閉めることができず、しばらくそれ越しに老婆の後姿を見ていた。その姿が少し離れたところで、ぼくは外に出た。老婆からは チリン チリン と鈴の音がして、後を追わずにはいられなくなった。心配でたまらなくて。

 巨大な団地の建物の間の道は街灯も少なく、危険な匂いがした。少しずつ進んで行く小さな後姿からは悲哀のようなものは少しも感じなかったが、「最後まで見守るべし」という言葉が何処からか聞こえて、だから、ゆっくりと後をつけた。立ち止まり、進み、また立ち止まり、また進む。一定の距離を置いて、老婆に気づかれないように。誰もいない巨大な団地の建物の間の道に、チリン チリン という音がこだましていた。
 
 電灯の下を老婆が通り過ぎ、次の電灯の下に老婆の姿は現れなかった。チリン という音もここで終わり、老婆の気配はなくなった。で、この時ようやく、自分こそが不審者であることを発見し、背中に冷や汗が走った。小走りで車に戻り、急いでドアを閉めて一目散にその巨大な団地をあとにした。助手席に置いたはずのお札が二枚の葉っぱになっているのではないか、などという、その真剣で実地な心配にフッと笑えて、やっと自分の時間に帰ってこられたことが実感できた。大きく息を吐いた。
 
 群衆の中に溶け込むということは簡単なようで難しく、でも難しく考えてしまったら叶わない類のもので、まあ、自然に身を任せていれば「叶っていた」と過去形で得られる感覚なのだけど、自分のしたいことではなく、「仕事」という厄介なものが、それをしやすくしてくれているのではないだろうか。ただ老婆も、紛れもなく群衆の一部なのだけど。
 夜は、更に深まる。

 東京と

 群衆のほんの一部……たった一人をホームへ送り届け、そしてまた一目散に次の一人を見つけるために真夜中の街へと向かう。再び、あの群衆の真っ只中へ。
 早く戻らないともう誰もいなくなっちゃう、と心がはやるが、そこは東京、どの街にも「上(うえ)」と呼ばれる首都高速道が張り巡らされていて、どんな郊外からだって、その入り口をサッと潜り抜ければ、アッという間に行きたいところへ流れ出ることができる。
 真夜中のハイウェイって、孤独で、だから楽しい。
 同じ方向へ行く隣を走る車は見ず知らずの他人で、すぐ先の分かれ道では別々になる。そしてまた別の他人が合流してきて、また別れて行く。猛スピードの車……置き去りにされた車、仕事のトラック、善良な小さな車、いかにも悪そうな黒い車、タクシー……、誰も彼も知らない人間ばかり。でもだから、独りっきりなのが少しも怖くない。独りっきり同士は、まあ仲間みたいなものだし。

 空中を行くその道は、街に突き刺さり、ビルの間をすり抜け、地下に潜って行けば道は曲がりくねって、合流して、また分かれて行く。見ず知らずの仲間が隣を走り、そしてまた何処かへ消えてしまう。闇の中にたくさんの光が走り、無表情にぐるぐると回る。止まることが決してない他人同士の集合体。それぞれ、思い思いの自分を抱えながら他人と接する。みんなが他人の街、東京。それがこの街の「風情」なのかも。
 
 そして、一日は終わりを迎え、その姿が明日の始まりとなる。
 夜明けの東京は、夜のうちには済まなかった残骸が彷徨っている。
 まだ夜の匂いの残る薄白い光の中に、どこからともなく湧いて出て来る人々。繁華街には人間と同じ高さにカラスが群れている。そろそろ走り出そうという始発電車を求めて移動する群衆、その集団の動きは鈍い。嘔吐する男の背中をさする化粧の剥がれた女、ワイシャツを出したままのびっこのサラリーマン、さっきまで蝶ネクタイをして呼び込みをしていたボーイも加わり、一同、ゆっくりと駅に向かって流れる。夜の昆虫が灯りに向かって行くように、無意識に駅へと移動する。それぞれ、帰る場所があるから。
 

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