見出し画像

ふるさとを考える〜はらだみずき「海が見える家」シリーズを読んで〜

はらだみずきさんの人気シリーズ「海が見える家」が完結しました。この作品を通じて、「ふるさと」とは何かを考えてみました。


はらだみずき「海が見える家 旅立ち」

この作品の舞台でもある南房総市在住の知り合いがとあることで悩んでいました。サッカー選手を本気で目指している中学生の息子の進学先でした。彼は本気でサッカー選手を目指しており、強豪校への進学を考えています。千葉県はサッカー強豪県といえど、南房総市には強豪校はありません。家を出て下宿をするか夢を断念するかという中学生にとっては酷な判断をしなければなりません。下宿をしてしまえば、地元に帰ろうという思いは希薄になるでしょうし、夢を断念してしまったら、夢をかなえるためにここから出ようという強い思いが芽生えるかもしれません。夢を後押ししたいけれど下宿は心配という親の気持ちは複雑です。


私は千葉県の真ん中で生まれ、高校卒業まで千葉県で過ごしました。そして大学進学と同時に横浜に引っ越し。その後愛知県での勤務を経て、千葉県に舞い戻ってきました。地元に戻ってきて一番感じたのは、「誰もいない」という事実でした。中学時代の知り合いは大半、都内で就職し、都内に家を借り生活をしていました。千葉県にいる数人の友人も松戸や習志野など都内にアクセスが良いエリアに住んでおり、地元に帰ってきたのは私だけでした。

知り合いに久々に会い、地元に帰ってきたことを伝えると皆が口を揃えて驚きます。なぜ地元に残らないのかを聞いてみると、「やりたいことがない」「なにもない」という答えが返ってきます。やはり地元は「何も無い、やりたいことができない土地」なのでしょうか?


吉野弘の作品に「虹の足」というものがあります。遠くから見れば虹は虹と認識できるが、虹の袂にいる人間は虹に気づかないという内容です。これは地元にも言えるでしょう。その土地に長年いると「良さ」に気付けなくなります。まちおこしをしたいと思ってもその土地の良さに気付けなければ意味がありません。

時々脱サラして地方に移住する人がいます。地元民からすれば、「なぜこんなところに?」と思うかもしれません。移住してきた人は地元民にとって当たり前の光景、普通すぎて感謝してこなかった部分に魅力を感じてくれています。外から来た存在によって「魅力」に気づくことが多々あります。


悲しい話をしますが、ふるさとを盛り上げることは地元民だけでは無理です。外から来た人間が「その土地の魅力」を評価することによってやっとその土地の魅力を地元民は自覚するのです。外から来た者を拒まず受け行ける行為が地元を盛り上げる第一歩のような気がします。



この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?