中国・四国地方の石造物⑲:源久寺宝篋印塔(伝・平子重経の墓)


名称:源久寺宝篋印塔

伝承など:平子重経の墓

所在地:山口県山口市仁保下郷 源久寺


周防の仁保氏は、源頼朝に仕えた桓武平氏三浦氏の一族・平子重経が仁保荘の地頭職を与えられて同地に下向して以降に土着した豪族で、後に子孫は大内氏、次いで毛利氏に仕えた。

山口市仁保下郷の源久寺は、仁保氏の祖・平子重経を開基とする寺院で、同寺には重経の木像も伝来する。

境内の外の東方には、重経の墓と伝承される宝篋印塔がある。

この宝篋印塔は凝灰岩製で、山口県内では数少ない鎌倉時代後期の作と推定されており、県内でも最古の部類に属する塔である。

もとより鎌倉時代初期の人物である重経とは、かなり時代が隔たっているために重経の墓とは考え難く、強いて伝承と合わせるとすれば子孫が造立した重経の供養塔、あるいは仁保氏の氏祖供養塔であろうか。

この宝篋印塔は一見完形のように思えるが(相輪上部宝珠のみ欠損するが、現在は修復されていると言う)、塔身に若干の違和感がある。

基礎や笠とのサイズは概ね合っているが、鎌倉時代後期の宝篋印塔の塔身にしてはやや縦長のように思われ、後補の可能性もある(もっとも、塔身の形は地方色であって、私が穿ち過ぎなのかも知れないが)。

とは言え、仮に塔身が欠損していたとしても、山口県を代表する宝篋印塔には違いないだろう。


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