雑記:伊賀上野

最近、時代劇のレヴューばかり書いているが、ふと思い出したのが、時代劇のロケでよく使われる伊賀上野城の存在。

三重県の上野市は現在は合併の結果伊賀市の一部になっているが、以前に何度かこの地を訪れたことがあり、ロケ地の伊賀上野城には二度ほど行ったことがある。

近鉄上野市駅にほど近い上野公園(上野動物園や不忍池がある場所と同じ名称であるが)が、かつての上野城であり、この城は関ヶ原の戦いの後で伊勢に封ぜられた藤堂高虎によって築かれた。

高虎が前領主であった筒井定次時代の城郭を拡張して作ったもので、予定では壮麗な天守閣を持つはずであったが、台風のために築城中に倒壊し、以降は江戸時代を通じて再建されることはなかった。

現在公園内には三層の天守閣が建っているが、これは昭和初期に地元の名士である川崎克が私財を投じて建てたもので、本来の上野城とは直接関係のない模擬天守閣で、内部は資料館になっている。

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木造による天守であり、少し前までは日本で最後の木造天守であったが、現在は消防法が改正されたことによって天守の木造復原が可能になったので、「最後の」木造天守閣ではなくなってしまった。

資料館は一応藤堂家時代の文物(藤堂高虎所用とされる唐冠兜のレプリカもある)が展示の中心であるが、市民や川崎家から寄贈された雑多なものが展示されていて、展示構成のコンセプトはよくわからない(地方の小規模な資料館にありがちであるが)。

上野城は、築城の名人の高虎が縄張りしただけあって石垣も見事であり、日本の城でも一、二を争うと言う高石垣も見ることが出来る。

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公園内には、忍者屋敷や、昭和初期の建築ながら国の重要文化財指定を受けている俳聖殿もあり、これは伊賀上野出身の松尾芭蕉のモニュメント的建物で、外観は芭蕉の旅姿をイメージしたものなのだとか(内部には、地元の工芸品である伊賀焼の陶器で作られた芭蕉像が安置されている)。

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忍者に芭蕉と来たが、伊賀上野でもう一つ著名なのが、日本三大仇討ちの一つに数えられ、数々の講談、小説、時代劇の題材にもなった「鍵屋の辻の決闘」である(ちなみに、後の二つは曾我兄弟の仇討ちと、「忠臣蔵」でお馴染みの赤穂浪士の仇討ち)。

仇討ちに助太刀した荒木又右衛門役は、過去の時代劇では高橋英樹、里見浩太朗、仲代達矢、村上弘明など、錚々たる顔ぶれが演じている。

決闘があった場所は、上野城から西へ少し歩いた所にあり、「鍵屋の辻史跡公園」として整備されている。

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寛永十一年、三代将軍家光の治世に起こったこの事件は、岡山藩(後に鳥取藩)の池田家で起こった刃傷事件に端を発しており、仇討ちをする側の渡辺数馬の義兄(姉婿)に当たる又右衛門が助太刀し、仇の相手である河合又五郎他二名を討ち取ったものである(又右衛門は、講談などでは三十六人斬りをしたとなっているが、実際に斬ったのは又五郎の付け人であった剣客・河合甚左衛門と櫻井半兵衛の二人だけ)。

公園内には石碑の他に、伊賀越え資料館と言う仇討ちのゆかりの品や資料が展示されている建物があるが、現在は閉館になっている。


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