雑記:地四郎大明神

馬庭念流を生んだ群馬県高崎市吉井町馬庭は、高崎市の市街地から旧吉井町の中心部に至る途中にある。

この馬庭にある中林遺跡は、古代の円墳や中世の館跡、石造物から成る複合遺跡で、遺跡は住宅地の中の農地の一角にある(農地の中にあるが、近年道が整備されたようで、表通りからのアクセスは比較的容易である)。

遺跡の中心部は中世の中林館の中核とされ、現在は「地四郎大明神」と称される祠が建っており(祠が建っている円墳は「地四郎塚」と呼ばれている)、周辺には中世(戦国期)の石造物の残欠もある。

祠の内部に納められているのは宝塔の塔身で、他のパーツはすべて欠損しているものの、塔身からするに元々はかなり大型の宝塔であったと思われる。

塔身の形は、同じ群馬県内の赤城山麓に点在する鎌倉時代後期の宝塔に似ており、おそらく同時期の作か、あるいはやや下る鎌倉時代末期の作と考えられる。

完存していれば、高崎市内では最古の部類の宝塔であったろう。

祠の名にもなっている「地四郎」と言う人物については未詳であるが、在地豪族の馬庭氏の関係者であろうか(あるいは宝塔が地四郎の墓と言う伝承なのであろうか)。

一説には、馬庭氏は『吾妻鏡』に登場する「麻禰屋四郎」と言う人物の出身氏族とも言うが、これが「地四郎」の名と関係があるのかも知れない。


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