雑記:丸岡・芦原

福井県坂井市丸岡町にある丸岡城は、霞ヶ城の別名でも知られる平山城で、戦国時代末期に柴田勝家の甥の柴田勝豊が築城した。

江戸時代には最初越前松平家の家老・本多氏の居城であり、後に有馬氏の居城となった。

本多氏初代の本多成重の父・本多重次(作左衛門)の故事にちなんで、丸岡町では「日本一短い手紙」コンクールが行われている。

丸岡城は現在は天守閣が残るだけであるが、現存十二天守の一つであるこの天守閣は、その古式を留めた外観から、築城当初の建造物で「日本最古の城」と長らく呼び慣わされていたが、近年木材調査によって江戸時代前期の寛永年間に造られたものであることが判明した。

なお、丸岡城は戦後に福井地震で一度倒壊し、現在の天守閣は後に元々の木材の70%を用いて修復・復元されたものである。

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坂井市に隣接するあわら市は、芦原温泉がある温泉地として知られるが、JR芦原温泉駅から歩いて十五分ほどの大溝に金津城溝江館跡がある。

溝江氏は朝倉氏の一族で、戦国時代に一向一揆への備えとして金津に封ぜられ、朝倉氏滅亡後は織田信長や豊臣秀吉に仕えたが、後に溝江長晴は関ヶ原の戦いで西軍についたことから改易となり、最終的には彦根藩の井伊家に仕えた。

館跡は現在はこれと言った以降はないが、民家と田地の間に小堂(下の写真二枚目)があり、内部には江戸時代に造立されたと思われる多数の石塔が納められ(下の写真三枚目)、また堂裏には溝江氏の墓とされる陽刻五輪塔石碑(下の写真四枚目)があるが、これも江戸時代の供養塔であろう。

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