雑記:南紀長保寺

和歌山県海南市下津町の長保寺は、その名の由来の通り平安時代中期の長保年間に創建されたと伝わり、鎌倉時代の後期の本堂(下の写真二枚目)、南北朝時代の多宝塔(下の写真三枚目)と大門(下の写真四枚目)と言うように、まとまった数の中世の建造物を有し、これらはいづれも国宝に指定されているが、江戸時代になって紀州藩主徳川家の菩提寺になったことでも知られている。

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本堂の裏山が紀州徳川家の墓所となっており、江戸時代の大名家墓所としては全国で最大規模を誇る。

それぞれの藩主の墓塔は、特に形式は統一されていないが、初代藩主で徳川家康の十男であった徳川頼宣の墓は巨大な無縫塔(下の写真一枚目)であり、大名の墓石としては珍しい形式である。

無縫塔を墓塔に用いているのは頼宣が唯一であり、他の藩主は大半は角柱塔形式の墓塔(下の写真二枚目、三枚目)であるが、頼宣塔を含めていづれも墓石に戒名も没年も刻まないのは、これまた近世大名家の墓石としては珍しい。

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なお、長保寺からほど近い同じ下津の東光寺には、室町時代の宝篋印塔二基がある。

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