南関東の石造物㉔:正龍寺宝篋印塔群(北条氏邦・藤田康邦の墓)

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名称:正龍寺宝篋印塔群

伝承など:藤田康邦、藤田康邦夫人、北条氏邦、北条氏邦夫人の墓

所在地:埼玉県大里郡寄居町藤田 正龍寺


寄居町にある正龍寺は、中世に同地を支配した有力国衆の藤田氏(武蔵七党の猪俣党の一族と言う)の菩提寺で、本堂の裏には戦国時代の当主・藤田康邦と北条氏邦の墓がある。

北条氏邦は後北条氏三代当主・氏康の四子で、藤田康邦の娘を娶ってその養子となり、鉢形城主として上野・信濃方面の軍事行動を担った。

北条氏滅亡後は前田利家に仕え、慶長二年に金沢で没したが、夫人はその後も寄居にとどまって、北条氏滅亡後間もない文禄二年に没したと言う。

正龍寺にある墓所には、藤田康邦とその夫人(二枚目)、北条氏邦とその夫人(一枚目)の計四基の宝篋印塔があり、いづれも覆屋に収められている。

宝篋印塔は、向かって右から藤田康邦(三枚目)、康邦夫人、北条氏邦(四枚目)、氏邦夫人の順番であり、それぞれ順に天文二十四年、永禄五年、慶長二年、文禄二年と没年の銘文が刻まれている。

いづれも在銘塔で、それぞれの形式が少しづつ異なっており、埼玉北部における戦国時代~江戸時代初期の宝篋印塔の変遷を知る格好の事例である。

なお、四基のうち三基は安山岩製であるが、左端の北条氏邦夫人の墓のみは砂岩製である。


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