南関東の石造物㉚:甘棠院五輪塔(足利政氏の墓)
名称:甘棠院五輪塔
伝承など:足利政氏の墓
所在地:埼玉県久喜市本町 甘棠院
JR久喜駅の西方一㎞ほどの所にある甘棠院は、元々は二代古河公方の足利政氏の館のあった場所であり、後に政氏は館を寺に改め、没後は同寺に葬られた。
政氏は嫡子高基、次いで次子で後に小弓公方となる義明と対立、最終的には高基に家督を譲ることで和睦し、失意の内に久喜の館に隠遁した。
この隠居後の館が甘棠院であり、同寺には政氏の墓の他、政氏の肖像画(五十代の寿像)や所用の甲冑(現在は埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵)が伝来する。
政氏の墓とされる五輪塔は、普段は入口の門扉が閉ざされているが、五輪塔は周囲の塀よりも高い場所にあるため、側面からであれば全景を見ることが出来る。
地輪には政氏の没年である享禄四年銘と法号が刻まれ、形式的にも典型的な戦国期の五輪塔であり、政氏の墓塔と見て間違いあるまい。
埼玉県における戦国期の五輪塔の基準作と言うだけでなく、歴代の古河公方の墓塔の中で、唯一完形で現存する石塔としても貴重である。
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