雑記:東京の史跡、その七(日暮里)

JR山手線の日暮里駅から鶯谷方面に歩いて数分の所にある善性寺は、六代将軍徳川家宣の生母である長昌院が葬られて以降、将軍家ゆかりの寺となり、また宝永年間には家宣の実弟である松平清武がこの地に隠棲し、家宣のお成りがしばしばあったことから、門前にかけられた橋が「将軍橋」と呼ばれるなど、将軍家宣に縁のある寺院である。

松平清武以降越智松平家の菩提寺にもなり、境内の墓地には清武の墓がある。

清武以降の当主の墓は現在失われ、墓碑銘のみが残されているので、おそらく後年に初代当主の清武の墓のみ再建されたものと思われる。

清武は当初旗本越智家の子として育てられたが、後に館林藩主となって「館林侍従」と通称され、五代将軍徳川綱吉から松平の名乗りを許されて以降越智松平家は御家門に列した(ただし、越智松平家の当主は御家門の中では例外的に老中などの幕府の要職についたものも多い)。

越智家の元々の家紋は「丸に揚羽蝶」であるが、清武以降は「三つ葉葵」の家紋を使用することを許されており、善性寺の清武の墓の線香立てには葵紋が(下の写真二枚目)、傍らの石灯籠には揚羽蝶の紋(下の写真三枚目)がついている。

なお、清武の官職は右近将監であり、1980代に放送された里見浩太朗主演の時代劇「松平右近事件帳」の主人公のモデルは、この松平清武と思われる(ドラマの松平右近も作中では家斉の弟であり、設定となる時代こそ違うが将軍の弟と言う設定であった)。

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なお、善性寺の向いには文政年間に創業したと言う藤の木茶屋があり、これが今の「羽二重団子」である(現在も羽二重団子は善性寺の門前にあり、また日暮里駅前にも支店がある)。

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