九州地方の石造物⑨:恵光院層塔、附・馬頭観音堂薩摩塔残欠


名称:恵光院層塔

伝承など:なし

所在地:福岡県福岡市東区箱崎 恵光院


筥崎宮の社坊である恵光院は、江戸時代初期に黒田忠之によって開かれた寺院で、明治初年の廃仏毀釈の際には、他の社坊の宝物が同院に避難されたと言う。

恵光院の参道脇に建つ三基の石塔うち、向かって右端の層塔は一見して日本の層塔ではないとわかる特徴的な形式を持つ。

この層塔は、中国の南宋後期の作と思われ、鎌倉時代に日宋貿易で大陸からもたらされた石塔と考えられており、二層目から四層目は塔身の四面に仏像が刻まれている。

最上部は近年の復元であるが、元々は五層の塔であったのだろう。

中世の日中交流の一端をうかがわせる貴重な石塔である。

なお、現在の筥崎宮の本殿は戦国期に大内義隆によって再建されたもので、シンボル的な建造物である楼門(四枚目)は、戦国時代末期の文禄三年に、筑前名島の城主であった小早川隆景によって建立されたものである(「敵国降伏」の扁額は、元寇の際に亀山上皇が宸筆を下したものの複製である)。


古くから大陸に交流のあった九州各地には、中国からもたらされた石塔が多く存在しており、福岡市内には恵光院層塔以外にも中国で製作された石塔が残る。

福岡市博多区堅粕の住宅街にある馬頭観音堂(博多駅から徒歩十五分ほど)の薩摩塔も、そのうちの一つである。

小さな観音堂の入口向かって左側に建つこの石塔の残欠は(下の写真三枚目)、元々は薩摩塔の塔身であったと考えられる。

薩摩塔は中国で製作され、鎌倉時代の日本にもたらされた石塔で、その名称は鹿児島にある事例が最初に注目されたことに由来する。

鹿児島以外にも、長崎県や福岡県など九州に複数事例が残るが、大半が残欠で完形のものは鹿児島県南九州市の水元神社の塔などわずかしかなく、この馬頭観音堂の薩摩塔も塔身のみである(下部の基礎は別石)。

薩摩塔は壺型で仏像を刻んだ塔身や、須弥壇を模った中台などの特徴を持つが、馬頭観音堂の薩摩塔の塔身は、50㎝ほどの大きさで、完形であれば最大級の薩摩塔であったと考えられる。


#福岡 #箱崎 #筥崎宮 #恵光院 #層塔 #馬頭観音堂 #堅粕 #薩摩塔 #鎌倉時代 #南宋 #日宋貿易 #石塔 #歴史 #日本史

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?