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雑記

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#戦国時代

雑記:戦国期の赤松氏

室町時代に播磨・美作・備前の守護となった赤松氏は、嘉吉の乱によって一時没落するものの、応…

綾
1年前
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雑記:肥前平戸

長崎県の平戸市は長らく松浦氏の城下町であった地で、戦国時代末期にポルトガルやオランダなど…

綾
1年前
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雑記:長尾一族の史跡

戦国大名として著名な上杉謙信(長尾景虎)の出身氏族である長尾氏は、元来は相模の桓武平氏・…

綾
1年前
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雑記:熊本城と細川家廟所

足利一門の大名で室町幕府の管領を務める家柄(三管領家)の一つであった細川氏は、その宗家の…

綾
1年前
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雑記:揚北の新発田氏

新潟県新発田市は、鎌倉時代に地頭として土着した佐々木氏(近江源氏で源頼朝に仕えた佐々木盛…

綾
1年前

雑記:駿府

以前に静岡市内の今川氏関係の石塔について紹介したが、今回は静岡駅周辺の徳川家ゆかりの史跡…

綾
1年前
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雑記:本多忠勝の像

徳川四天王の一人に数えられ、徳川家康の覇業を支えた猛将として知られる本多忠勝は、関ヶ原の戦いの後に伊勢の桑名に封ぜられた。 桑名城の跡(九華公園)には、本多忠勝の銅像が建っている。 現存する本多忠勝所用と言う鹿の角をあしらった兜を着けた姿をモチーフにしており(この構図で描かれた忠勝の肖像画も存在する)、数ある武将の銅像の中でも屈指の迫力である。 忠勝の墓(下の写真)は桑名城にほど近い浄土寺にあるが、おそらく後代に造立されたものであろう。 忠勝の墓は、家康が関東に入部し

雑記:毛利輝元の居城と墓

中国地方に覇を唱えた毛利元就の孫で、その後継者となった毛利輝元は、後に豊臣秀吉に臣従し、…

綾
2年前

雑記:安土周辺

滋賀県近江八幡市安土は織田信長が築いた城下町として著名であり、町内にもゆかりの史跡があり…

綾
2年前
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雑記:西の京山口

山口県の山口市は、室町時代から戦国時代にかけて大内氏の城下町として栄えた場所で、その城下…

綾
2年前
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雑記:岩松町界隈

群馬県太田市の岩松町は、新田岩松氏名字の地である。 県道142号の岩松の信号からやや西に行…

綾
3年前

雑記:秀吉の夢のあと

京都市内の豊臣秀吉にまつわる史跡は多く、彼はその生涯に二度、洛中に居館を建設している。 …

綾
3年前
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雑記:真田・上田

これも以前、長野県上田市の石造物について書いた際に、紹介し忘れていたもの。 数年前(確か…

綾
4年前
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雑記:越前一乗谷

このnoteを始めて間もなくの頃に、福井県福井市城戸ノ内町の一乗谷朝倉氏遺跡跡にある宝篋印塔(朝倉孝景の墓と言う伝承がある)を紹介したことがあったが(「東海・北陸地方の石造物①」参照)、その際には宝篋印塔の紹介だけで、朝倉氏遺跡については特に言及していないことに思い当たったので、遅ればせながら今回紹介したい。 一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に五代にわたってこの地を支配した朝倉家の館の跡であり(近年では戦国朝倉氏の初代孝景よりもずっと前、南北朝時代くらいから朝倉氏は一乗谷に館を