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雑記

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#石塔

雑記:磨墨の墓

群馬県前橋市西善町の祝昌寺は、戦国時代の永正年間に厩橋(後の前橋)城主の長野氏によって開…

綾
1年前
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雑記:地四郎大明神

馬庭念流を生んだ群馬県高崎市吉井町馬庭は、高崎市の市街地から旧吉井町の中心部に至る途中に…

綾
1年前
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雑記:松代

長野県長野市松代町は、江戸初期に真田信之が上田から転封となって以降、幕末まで真田家十万石…

綾
1年前
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雑記:戦国期の赤松氏

室町時代に播磨・美作・備前の守護となった赤松氏は、嘉吉の乱によって一時没落するものの、応…

綾
1年前
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雑記:山城の国一揆の舞台

JR上狛駅周辺は、山城国一揆の中心となった国人・狛山城守の屋敷跡とされ、現在も上狛環濠集落…

綾
2年前
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雑記:奥州白河

奥州の入口と言うべき福島県白河市の白坂三輪台には、金売吉次兄弟の墓と伝承される石塔がある…

綾
2年前
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雑記:長尾一族の史跡

戦国大名として著名な上杉謙信(長尾景虎)の出身氏族である長尾氏は、元来は相模の桓武平氏・鎌倉氏の支流である。 後に御家人となったが、同じ平氏の三浦氏に従属する存在となり、宝治合戦で三浦本宗家が滅亡したのに伴って没落した。 長尾氏の生き残りの一族が南北朝時代に上杉家の被官となり、やがて筆頭家臣となって宗家の鎌倉長尾氏の他、上野・越後など各地に一族が分布し、戦国時代に至るまで勢力を誇った。 JR大船駅に近い鎌倉市植木の久成寺は、戦国時代の開基で比較的新しい寺院であるが、徳川

雑記:二代将軍と堀越公方の寺

静岡県三島市にある宝鏡院は、室町幕府二代将軍である足利義詮が開いたとされる寺院で、「宝鏡…

綾
2年前
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雑記:鬼日向の墓所

水野勝成は三河刈谷の出身で、徳川家康の従弟(家康の生母の甥)に当たる人物であり、後に家康…

綾
2年前
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雑記:木之本周辺

滋賀県長浜市木之本町の黒田は、黒田如水・長政父子で著名な福岡藩主黒田氏発祥の地と伝承され…

綾
2年前
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雑記:西の京山口

山口県の山口市は、室町時代から戦国時代にかけて大内氏の城下町として栄えた場所で、その城下…

綾
2年前
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雑記:吉次が墓

栃木県鹿沼市にある東武鉄道樅山駅北方の踏切の手前に、「吉次が墓」と呼ばれている石塔がある…

綾
2年前

雑記:信長・義昭対面の地

JR東海道本線の西岐阜駅から北方へ数分歩いた所にある立政寺は、南北朝時代に智通光居が開いた…

綾
3年前

雑記:勾当内侍の墓

戦国時代に岩松氏、由良氏の居城であった金山城跡の北方、栃木県足利市との境近くにある群馬県太田市丸山町の大円寺には、勾当内侍の墓と伝承される宝篋印塔がある。 宝篋印塔は墓地入口近くにあり、現在は相輪と塔身が欠損しているが、須弥壇式宝篋印塔と呼ばれる特殊形式の石塔である(現在は軸部が塔身の位置にある)。 基礎には明徳元年銘と、「逆修結衆」と言う造立趣旨が刻まれており、実際には勾当内侍とは無関係の石塔である。 勾当内侍は、『太平記』に登場する人物で、新田義貞が後醍醐天皇から賜