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torikerapochi
【3分で読める世界史】ティムール朝の成立
今回より「イスラーム世界の繁栄」編をお届けします。
モンゴル帝国が衰えた後、イスラーム世界では、4つの帝国が繁栄しました。
この記事を読めば、そのうちのひとつティムール朝の成り立ちが分かります。
①ティムールの登場
14世紀半ば、モンゴル帝国が衰えていくと(「モンゴル帝国編」参照)、中央アジアではチャガタイ=ハン国が東西に分裂しました。
そのうちの西チャガタイ=ハン国から現れた、ティムールが混乱を収め、東西を統一。
チンギス=ハンの後継と自称し、ティムール朝を建てました。
②ティムール朝の進撃
都をサマルカンドに定めたティムール朝は、ここから快進撃をつづけます。
まずキプチャク=ハン国と、イル=ハン国滅亡後のイランを支配下に置きます。
つぎに北インドにも攻め込み、デリーを占領。さらにシリアに遠征し、ダマスクス、バグダードも占拠。
極めつけに、1402年アンカラの戦いで、オスマン朝を破り、バヤジット1世を捕虜とし、オスマン朝を一時中断まで追い込みました。
③ティムールの死
快進撃をつづけていたティムール朝。
しかし、チンギス=ハンの後継を自称するティムールの真の目的は、元を追いやった明を打つことにありました。
そして周辺を固め、いざ明への遠征を開始したティムールでしたが、その途中に病死してしまい、悲願は果たせませんでした。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回は「イスラーム世界の繁栄」の第一弾として、ティムール朝の成り立ちから、ティムールの死までをお届けしました。
次回は、ティムールの死後のティムール朝です。お楽しみに!
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