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3-2-3-1. 開発援助の世界史 新科目「歴史総合」をよむ


■開発パラダイムの変遷

サブ・クエスチョン
開発援助は、どのような変遷をたどってきたのだろうか?

 「開発」が世界的な理念となっていったのは、アジアやアフリカの植民地体制が崩壊し、独立国家が開発途上国として国際社会にあらわれるようになる第二次世界大戦後のことだった。同時に、政府開発援助(ODA; Official Development Assistance)という形のモノ・ヒト・カネの国際的な移動がはじまった(平野2009:1)。
 
 どうすれば開発(Developmemt)が可能か。
 大戦後間もない世界では、開発途上国の発展を阻む最大の要因は、先進国と開発途上国の間の貿易関係にあると考えられた。そのため、貿易に関する条件を整えることが急務とされたのである。

資料 プレビッシュ=シンガー・テーゼ
 世界経済は工業化の進んだ国々と一次産品に特化した国々とによって南北に二分されており、両者の間では工業製品と一次産品とが交易される。これが南北貿易であるが、工業部門には技術進歩が起こりやすく次々に新製品を開発することでみずから需要を創出できるので、所得の向上に強く反応して市場が拡大していく。つまり需要の所得弾力性が高い。高い需要は工業製品に対する高価格をもたらし、技術進歩の利益が先進国の高賃金となって結実する。一方、一次産品需要の所得弾力性は低いので、世界経済が成長しても一次産品に対する需要は同じようには拡大しない。よって南北貿易においては一次産品と工業製品との相対価格が一次産品にとって不利となる、すなわち一次産品の交易条件が悪化していく傾向にあり、それゆえ一次産品輸出国の経済成長率は低くなる。したがって、開発途上国の経済成長率を高めるためには一次産品価格を適正なレベルまで引き上げ、しかも工業製品の価格上昇にリンクさせること(インデクセーション)がもっとも効果的である。こうすれば開発途上国は輸出収益を安定的に確保できるようになり、これと先進国からの援助を原資として工業化を進めることができる。これをプレビッシュ=シンガー・テーゼという(平野2009:4)。

 つまり、プレビッシュ=シンガー・テーゼは、開発は国単位で個別にすすんでいく一国的なものとは考えない。
 開発の進度のちがいの根源には、世界のすべて、先進国群と開発途上国からなる、単一の世界経済システムがあるものと考える。つまり、途上国が途上国であるのは、開発に遅れたからではなく、先進国が開発していくために搾取された途上国が、低水準での開発を強いられたというわけである。これを従属論を展開したA.G.フランクは、ずばり「低開発の開発」(development of underdevelopment)と表現した(→低開発論(従属論)、近代世界システム)。 

 また、システムの不均衡を改善するには、輸入代替工業化が最善とされた。先進国からの輸入依存を断ち切り、政府主導で自国での代替生産をめざすものである。その財源として一次産品輸出収入と開発援助が期待された。
 1950年代半ば以降の「第三勢力(第三世界)」による運動も、こうした不公正な国際関係の見直しに焦点を当てていた。1964年には国連貿易開発会議(UNCTADアンクタッド)が設立され、一般特恵関税制度が導入されるようになった。石油危機後の1974年には新国際経済秩序の樹立に関する宣言が国連資源特別総会で採択された。


資料 新国際経済秩序樹立に関する宣言(1974年5月1日)
1. 最近数10年間におこつた最も偉大かつ重大な出来事は,非常に多くの国民および国家が外国の植民地支配から独立し,彼らが自由な国民の社会のメンバーになることが可能となつたことである。技術の進歩もまた,ここ30年間にあらゆる分野の経済活動において促進され,全国民の福祉の改善のために確固とした力を与えた。しかしながら外国の植民地支配,占領,人種差別,アパルトヘイトおよび新植民地主義の残滓は,いろいろな形で開発途上国とそれらの残滓のもとにあるあらゆる国民の完全な解放と発展とに対する最大の障害であることに変わりはない。技術進歩の利益は国際社会のあらゆるメンバー国に対し,公平には行きわたつていない。世界人口の70%を占めている開発途上国は世界の全体の収入の30%しか得ていない。現存する国際経済秩序のもとでは公平かつバランスのとれた国際社会の発展を実現することが不可能であることが証明された。先進国と開発途上国間の格差は,大部分の開発途上国がまだ独立国としては存在していなかつた時に形成され,不公平を固定化する機構の中にあつてさらに拡大していくであろう。

2. 現存の国際経済秩序は,国際的な政治経済関係の中におこりつつある諸発展との間に直接的な矛盾を生じている。1970年以降,世界経済は,開発途上国が一般的に外的な経済的衝撃に対して弱かつたため,特にそれら諸国に深刻な影響を与えた一連の重大な危機を経験した。世界の力関係における,これら逆行することのない変化は,国際社会に関するすべての決定の形成と適用の過程に,開発途上国の行動的で完全かつ平等な参加を必要としている。

3. これらの結果のすべては,国際社会のすべてのメンバー国の相互依存の現実を浮かび上がらせてきた。現在進行している事象は,先進国と開発途上国の諸利益がもはや独立しては存在しえなくなつていること,先進国の繁栄と開発途上国の成長,発展の間には密接な相互関連があること,および国際社会全体としての繁栄は,その構成員の繁栄に依存しているという諸事実にするどい焦点をあてた。発展のための国際協力は,すべての国の目的であり共通の義務である。すなわち現在および将来の世代の政治的,経済的,社会的福祉は,主権の平等と現存する不平等の除去の基礎の上にたつて,国際社会の全メンバー間の協力によるところがさらにいつそう大きい。

4. 新国際経済秩序は,次の諸原則を完全に尊重することを,その基礎とする。(注:一部抜粋)
(e) あらゆる国の天然資源と全経済活動に対する完全な恒久主権。その天然資源を保護するため,いずれの国も国有化および所有権を,その国民に移転する権利を含み,天然資源に対する効果的な管理および自国の状況にふさわしい手段によりその開発を行う権利を有する。この権利は国家の完全なる恒久主権にほかならない。いかなる国家もこの不可譲な権利の自由かつ完全な行使を妨げる経済的政治的,その他いかなる形の強制もうけることはない 
(j) 開発途上国の不満足な交易条件の持続的改善と世界経済の拡大をもたらすことを目的とする,同諸国によつて輸出されている原材料,一次産品,製品,半製品の価格と同諸国によつて輸入されている原材料,一次産品,製品,資本材,その他装置との間の公正かつ平等な関係。
(l) 改革された国際通貨機構の主たる目的の一つは開発途上国の発展の促進と資金の同諸国に対する適切な流れであることの保証。
(n) 可能な場合に限り,国際経済協力の全分野における開発途上国のための特恵的かつ非互恵的取扱い。

(出典:データベース「世界と日本」日本政治・国際関係データベースAIDS、https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19740501.O1J.html。出所:『外交青書』19号下巻(資料編)、107−110頁)


■冷戦体制の影響


 冷戦体制期の開発援助には、旧宗主国や米ソ両大国の思惑が反映されていた。

 特に米ソは、それぞれの政治・経済体制を「めざすべき目標」として設定したため、開発援助を受けることは、米ソのどちらかの陣営に属することと同義でもあった。

 アメリカにおける開発援助は、共産主義封じ込めという世界覇権をめぐる目的が課せられ、1960年代のケネディ政権は「進歩のための同盟」を打ち出し、近代化によってと途上国を資本主義陣営に囲い込む方針が実行された。


 資料 J.F. ケネディ大統領 「進歩のための同盟」
「我々はアメリカ州の革命を仕上げ、全ての人が最適な生活水準を望むことが出来、尊厳や自由のうちに生活を送れる半球を打ち立てることを提案する。この目的を果たすため、政治的自由は物質的繁栄を伴わなければならない。(中略)アメリカ大陸を革命思想やその取り組みに向けての大いなる苦闘や、自由な男女の創造的な力への貢献、自由と進歩とが手に手を取って歩むという例を、全世界に対して再度示そうではないか。武力や恐怖の帝国主義ではなくて、勇気や自由、人類の未来に対する希望を携えながら、各地の人々の闘争を導くまで、我々のアメリカ革命を再度鼓舞してゆこう」(Address by President Kennedy at a White House Reception for Latin American Diplomats and Members of Congress, March 13, 1961)


資料 W・W・ロストウ『経済成長の諸段階』について
離陸は近代社会への「大分水嶺」であり、成長に対する妨害が克服され、着実な成長が見られるようになる。新しい工業が急速に発展、農業も商業化して生産性が拡大する。有効な投資率ないし貯蓄率が 5%から10%、あるいはそれ以上になる。この時期はイギリスは 18 世紀、アメリカ、フランスは 19 世紀の前半と様々だがほぼ 10 年から 20 年間続く 。成熟への前進期は、離陸が始まってから 60 年後位(離陸が終わって40 年ぐらい)に到達する。絶えず経済が成長し、近代技術を普及させ、国民所得の 10%ないし 20%が投資される。一国の経済は世界経済に組み入れられ、古い制度や価値観と新しい制度や価値観とのバランスが実現されていく。近代技術が進み、工業は高度化する。高度大衆消費時代には、主導部門が耐久消費財とサービスに移る。成熟期に実質所得を向上させた人々が増え、よりよい生活を求めるようになって福祉国家化が進む。家庭に電化製品、次いで自動車が普及していく。この時代に入ったのはアメリカが 1920 年代にはじまり戦後の 1946年から 56 年の 10 年間にかけての時期であり、ヨーロッパと日本は 1950年代だったという。」

(出典:「ケネディ政権の開発援助政策における近代化論の役割─ロストウ理論の検討を通じて」『帝京法学』29-1、2014年、1-33頁)



■構造調整政策

 ベトナム戦争後のレーガン政権は、「双子の赤字」と呼ばれた政府財政赤字を埋め合わせるために高金利政策を採用し、国際金融市場から資金を調達しようとした。その結果、利率が劇的に上昇し、巨額の累積赤字に苦しむ途上国経済に破壊的な影響を及ぼした。たとえば1982年にはメキシコが債務不履行(デフォルト)を宣言している。
 債務危機に陥った途上国は、返済計画の延長と引き換えに、IMF(国際通貨基金)と世界銀行の「構造調整」プログラム(コンディショナリティ)の受け入れを迫られた。
 この結果、途上国では貧富の格差の拡大や政治的不安定を引き起こしたことが指摘されている。

資料 構造調整政策
 外国の民間商業銀行からの借り入れの返済計画を延長するためには、法定のIMF割り当て以上の資金を得ることを目的としたIMFのコンディショナリティを受け入れなければならなかった。この方式は「ワシントン・コンセンサス」として知られるようになるが、借り入れ条件には、外国為替と輸入についての規制の廃止、公的な為替レートの切り下げ、貿易の自由化、インフレ抑制策(金融引き締め、緊縮財政、賃金統制)、外国資本に対する規制緩和などが含まれた。1980年代には、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、フィリピンなど、債務危機に陥った途上国がIMFと世銀の「構造調整」プログラム(コンディショナリティ)を受け入れた。
 (中略)これは、ウェスタッドの言葉を借りれば、「冷戦のグローバル経済への劇的な拡張」であり、アメリカにとっては、「大きな成功」であった(ウェスタッド、2010、364頁)。すなわち、発展途上国の多くは、債務危機の対応の過程で、「ワシントン・コンセンサス」を受容することになり、新自由主義的システムに組み込まれたのである。
 米ソ冷戦が終結するのは、1989年11月9日だが、冷戦後に加速化する経済のグローバル化の地ならしは、冷戦が終焉を迎える前にすでに準備されていたといえる。

(出典:菅英輝「「パクス・アメリカーナ」の世界」、秋田茂・責任編集『グローバル化の世界史』ミネルヴァ書房、2019年、241-302頁、278頁)


■構造調整の見直しと持続可能な開発

 1972年の国連人間環境会議では、地球環境の保全と経済開発の両立が国際的な議論の俎上にのせられた。石油危機を契機に議論はいったん沈静化したが、1980年代には、地球温暖化に対する温室効果ガスの影響や大気汚染、酸性雨、廃棄物、絶滅危惧種など、地球環境問題に対して再び注目が集まった。
 1987年には、ノルウェーのブルントラント首相を委員長とする「環境と開発に関する世界委員会」が報告書「我々の共通の未来(Our Common future)」を提唱。この中で、持続可能な開発の概念が提唱された。

資料 いわゆる「ブルントラント報告書」(「我々の共通の未来」)
I. The Concept of Sustainable Development
4 The satisfaction of human needs and aspirations in the major objective of development. The essential needs of vast numbers of people in developing countries for food, clothing, shelter, jobs - are not being met, and beyond their basic needs these people have legitimate aspirations for an improved quality of life. A world in which poverty and inequity are endemic will always be prone to ecological and other crises. Sustainable development requires meeting the basic needs of all and extending to all the opportunity to satisfy their aspirations for a better life.

5. Living standards that go beyond the basic minimum are sustainable only if consumption standards everywhere have regard for long-term sustainability. Yet many of us live beyond the world's ecological means, for instance in our patterns of energy use. Perceived needs are socially and culturally determined, and sustainable development requires the promotion of values that encourage consumption standards that are within the bounds of the ecological possible and to which all can reasonably aspire.

15. In essence, sustainable development is a process of change in which the exploitation of resources, the direction of investments, the orientation of technological development; and institutional change are all in harmony and enhance both current and future potential to meet human needs and aspirations.
(中略)
IV. Conclusion
1. Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs. (持続可能な開発とは、将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発のことである)It contains within it two key concepts:

the concept of 'needs', in particular the essential needs of the world's poor, to which overriding priority should be given; and
the idea of limitations imposed by the state of technology and social organization on the environment's ability to meet present and future needs.

(出典: http://www.un-documents.net/ocf-02.htm#I )。Sustainable Developmentについては、論者の立場によって複数の訳語が存在している。ブルントラント委員会の成立過程に注目した江澤誠によれば、次の通り。「ブルン トラント委員会が委員の半数以上 を途上国出身者が占めるかたちで発足 したの は,途 上国の 「開発」 を認めなければ,地 球規模の環境問題の解決 はあ り得ないとい う 認識があったからである。つ まり,同 委員会の提唱 したSDを どう訳すべ きか とい う問題 においては,最 低限の開発がなければ環境保全 も不可能であるとい う報告書の趣 旨にのっとって,「 持続可能な開発」 とい う訳に落ち着かせるのが適切である」(出典:江澤誠「Sustainable Developmentの訳語についての考察」『環境科学会誌』20巻6号、2007年、485-492頁)




 他方で、1990年代になると、開発援助(国際協力)の内容や手段を見直す動きが国際的に広がり(構造調整政策の見直し)、世界銀行やIMFに代わり、UNICEFや国連開発計画(UNDP)などの国連機関により、「人間の安全保障」が新たなアプローチとして唱えられるようになった。これは理論的にはインドの経済学者アマルティア・センのケイパビリティに関する議論に立脚している。
 経済成長から取り残されたアフリカや南アジア諸国などの貧困を削減する施策は、2000年のミレニアム開発目標(MDGs)に結実し、債務超過に陥った国々の債務削減に向けた取組も進んだ。

 しかし、21世紀に入ると、アメリカの同時多発テロなどのテロリズムやそれに関連してひきおこされた戦争、グローバル化にともなう世界的な格差の拡大や、人口構造の転換、新興国の台頭にともない、安全保障の考え方に変化がもたらされ、地球温暖化に代表される地球環境問題のリスクも相まって、開発援助のアプローチは大きな変容を迫られている。

 たとえば、従来「経済発展によって政治体制は民主化する」という考え方は、「経済発展しても政治体制は民主化していない」国家(たとえば中国やロシア、サウジアラビアなど)の台頭によって疑義を呈されるようになっている(→これについては TANAKA Akihiko, Changes to the international system due to the rise of China. From trade wars to a “new Cold War., No.51, Diplomacy  Jan. 14, 2019, https://www.japanpolicyforum.jp/diplomacy/pt201901140140158667.html や、3-2-6. 民主化の進展 https://note.com/sekaishi/n/n42de6f148f65 を参照)。

資料 絵所秀紀「援助・開発・環境」
 
(前略)世銀主導による構造調整プログラムは所得分配および貧困層にマイナスの影響を及ぼしたのではないか,という批判的な問いが発せられるようになり,また大半の途上国では貧困問題,環境問題,公正な分配をめぐる問題,女性と子供の問題,人権問題,軍事問題,エイズ問題等が解決されていないという認識が広まったことである。市場メカニズムだけでは,こうした諸問題は解決できないとされ,改良主義が復活した。国際諸機関の中で,はじめてIMF・世銀の構造調整プログラムに批判的な立場を明らかにし,改良主義的な変更が必要であることを前面に押し出したのは,UNICEFである(…)。スローガンとして打ち出された合い言葉は,「人間の顔をした調整」である。(中略)1990年から,UNDP(国連開発計画)は『人間開発報告』と題する年次報告書を公表するようになった。『人間開発報告』では,「人間開発」とは「人々の選択の拡大過程」であると定義されている。この定義はアマルティア・センの「ケイパビリティ」概念によっているものである。ついで『人間開発報告』は,人間開発の状態をとらえるために,人間開発の状態をとらえるために,人間開発指数の作成を試みた。これは「人問生活にとって不可欠の3つの要素」である「寿命,知識,人並みの生活」を指数化したものである。具体的には,寿命の指数として「出生時平均余命」を,知識の指数として「成人識字率」を,そして人並みの生活の指数として「購買力平価による1人当たり実質GDPの対数値」をとり,この3指数の単純平均からなる複合指数を作成し,この指数の大きさによって各国を順位づけた(…)。

(出典:『国際経済』49号、1998年、28-46頁、https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaikeizai1951/1998/49/1998_49_28/_pdf/-char/ja)。ほかに、貧しい国における経済成長、移民、エコロジカルな持続可能性を踏まえた議論は、たとえばブランコ・ミラノヴィッチ(立木勝・訳)『大不平等—エレファントカーブが予測する未来』みすず書房、2017年、236-237頁を参照。


資料 小渕総理大臣演説「アジアの明日を創る知的対話」(1998年12月12日)
 近年のアジアの目覚ましい経済発展は、同時に様々な社会的ひずみを生み出しました。経済危機によりこのようなひずみは一層顕在化し、人間の生活を脅かしています。私は、このような事態に鑑み、「ヒューマン・セキュリティ(Human Security)」即ち「人間の安全保障」の観点に立って、社会的弱者に配慮しつつ、この危機に対処することが必要であるとともに、この地域の長期的発展のためには、「人間の安全保障」を重視した新しい経済発展の戦略を考えていかなければならないと信じています。
この機会に、「人間の安全保障」について私の考え方を一言述べさせていただきたいと思います。
 現在、我々人類は様々な脅威にさらされております。地球温暖化問題を始めとする環境問題は、我々のみならず将来の世代にとっても重大な問題であり、薬物、人身売買等の国境を越えた広がりを持つ犯罪も増加しています。貧困、難民、人権侵害、エイズ等感染症、テロ、対人地雷といった問題も我々にとって深刻な脅威になっております。さらに、紛争下の児童の問題も見過ごすことのできない問題です。
 私は、人間は生存を脅かされたり尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべき存在であると信じています。「人間の安全保障」とは、比較的新しい言葉ですが、私はこれを、人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取り組みを強化するという考え方であると理解しております。
 「人間の安全保障」の問題の多くは、国境を越えて国際的な広がりを持つことから、一国のみでの解決は困難であり、国際社会の一致した対処が不可欠です。また、これらの問題は、人間一人一人の生活に密接に関わることから、NGOを始めとする市民社会における活動が最も効果的に力を発揮できる分野であり、各国政府及び国際機関は、市民社会との連携・協力を強化しつつ対応していくことが重要です。
 アジア経済危機に関しても、我が国は、これまでに世界最大規模の支援策を表明し、また、着実に実施してきておりますが、このような支援に際しても、「人間の安全保障」の観点から、経済危機から最も深刻な影響を受けている貧困層、高齢者、障害者、女性や子供など社会的弱者対策を重要な柱の一つとして取り組んでいます。
(出典:小渕総理大臣演説「アジアの明日を創る知的対話」(1998年12月12日)、外務省ウェブサイト、https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/10/eos_1202.html)

資料 ミレニアム開発目標(MDGs)
2015年7月6日、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は「MDGs報告2015」を発表し、「極度の貧困をあと一世代でこの世からなくせるところまで来た」「MDGsは歴史上最も成功した貧困撲滅運動になった」と成果を強調しました。
報告書では、例えば、開発途上国で極度の貧困に暮らす(1日1ドル25セント未満で暮らす)人々の割合は、1990年の47%から14%に減少し、初等教育就学率も2000年の83%から91%に改善され、既に目標達成済み又は達成目途がたっています。
一方、5歳未満児や妊産婦の死亡率削減について改善は見られたものの目標水準に及ばず、女性の地位についても就職率や政治参加で男性との間に大きな格差が残っています。また二酸化炭素の排出量が1990年比較で50%以上増加しており、気候変動が開発の大きな脅威となっていることを指摘しています。
また国内や地域毎で見ると達成状況に格差が見られ、深刻な格差の問題と最貧困層や脆弱な人々が依然置き去りになっている状況も指摘されています。

https://www.jica.go.jp/aboutoda/sdgs/achievement_MDGs.html



このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊