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新科目「歴史総合」をよむ 3-2-6. 民主化の進展

■民主化のグローバル化?

サブ・クエスチョン
第二次世界大戦後、民主主義をとる体制(リベラル・デモクラシー)は、世界にどのように普及していったのだろうか?


 第二次世界大戦が終わると、世界各地で民主化が進んだ。
 さらに1990年前後に冷戦が終結すると、民主主義国はさらに増加した。


資料 民主化の度合い 政治的権力や市民の自由などを国・地域別に3段階で表示した地図(2020年度版、Freedom Houseによる)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:2020_Freedom_House_world_map.png


1970年代
 1974年 ポルトガル、軍事クーデタにより独裁政権が打倒(カーネーション革命)
 1975年 スペイン、フランコ総統が亡くなり、王政復古。立憲民主制下で民主化改革。
 1977年 スペイン、41年ぶりに総選挙


1980年代
 中南米や東南アジア、東アジアの軍事政権が打倒されたり、民主的な選挙による政権交代がおこるようになった。

 1980年 ペルー、軍事政権から民政に移管
 1980年 韓国、光州事件(民衆の反政府運動を軍が鎮圧)
 1983年 アルゼンチン、アルフォン新政権(急進党)が成立し、民政に移管
 1985年 ブラジル、21年ぶりに文民政権復活、民政に移管
 1986年 フィリピン、2月革命によりマルコス大統領が亡命、秋の大統領就任
 1987年 韓国、学生・市民のデモがきっけとなり憲法改正、国民の直接選挙によって大統領選挙実施
 1987年 台湾、戒厳令を解除
 1989年 東欧革命
 1989年 中国、第二次天安門事件を政府が弾圧

 東側諸国においても、1989年に「東欧革命」とよばれる民主化革命が起きた。


1990年代

 1993年 カンボジアで総選挙、立憲君主制に移行
 1998年 インドネシア、民主化運動によりスハルト大統領が辞任

 こうした国々では、西側先進国のような複数政党制がとられ、アメリカ合衆国を筆頭とする自由で民主主義的な政治体制こそが、人類社会にとっての最終到達点(「歴史の終わり」)であるとするような論もとなえられるようになった。
 当時のアメリカ合衆国の圧倒的な国力、グローバルなマス・コミュニケーションの発達が背景にあると指摘される。

 なお、南アフリカではアパルトヘイトが放棄され、1994年に人種に関わらず参加した総選挙で、マンデラが大統領に当選した。


2000年代

2004年 インドネシアで初の大統領直接選挙
2011年 エジプト、ムバラク政権が崩壊
2011年 リビア、カダフィ政権が崩壊
2019年 香港、民主化デモ


■政治改革と政権交代

サブ・クエスチョン
冷戦の終結は、日本の政治にどのような影響をもたらしたのだろうか?

 主権回復後の日本政治における主要な争点は、(1)日米安全保障条約堅持+改憲か、(2)日米安全保障条約見直し+護憲という2派に収斂し、前者の立場をとる1955年以来自由で民主的な選挙を通して、自由民主党の長期政権が続いていた(55年体制)。

 しかし、1988年のリクルート事件は、政治家、官僚、財界の癒着に対する国民の不信を強め、政権交代が可能な政党を求め、選挙制度改革を求める意見が高まった。
 冷戦の終結によって、保革の対立軸が大きな争点でなくなるなか、1993年には自民党が分裂し、共産党をのぞく非自民8党派を与党とする細川護煕内閣が発足し、55年体制が崩壊した。
 細川内閣は、1994年の政治改革で、小選挙区比例代表並立制を導入した。
 しかし1994年に自由民主党は社会党との協力にふみきり、社会党委員長を首相にたて、与党に復帰した。
 一方、小選挙区制のもとでは、国政に進出するためには野党の側も結集する必要が出てくる。


 離合集散を繰り返していった結果、野党は民主党に結集し、2009年の総選挙で勝利した民主党は、鳩山由紀夫首相による連立政権をつくり、戦後初の二大政党間の政権交代を実現させた。



 しかし、民主党政権は短命でおわり、2012年以降は、自由民主党と公明党の連立政権が続いている。


■民主主義の変質

サブ・クエスチョン
冷戦の終結後、民主主義はどのように変質していったのだろうか?

 フランシス・フクヤマは冷戦の終結を受け、ソ連を盟主とする共産主義のイデオロギーが、アメリカを盟主とする自由主義のイデオロギーに勝利したとし、世界に自由で民主主義な体制が普及することで、人類全体が進歩に向かう過程(リベラル・デモクラシーが世界に普及するプロセス)としての「歴史」が終結するのではないかと論じた。

 しかし、グローバル化が進行する中、ヒト(労働者・留学生・観光客など)、モノ(商品)、カネ(資本)が国境をこえて移動するうようになると、保護貿易やナショナリズムを訴えて、自国経済を擁護する声も高まっていった。

 こうした反グローバル化の動きに対し、権威主義的な体制も各地に広がっている。 
 すなわち、冷戦直後には「経済発展をすれば民主化が進展する」という考え方が一般に信じられていたが、21世紀にはいり「経済発展をしても民主化が進展しない」国家の事例が見られるようになった(参考:TANAKA Akihiko, Changes to the international system due to the rise of China. From trade wars to a “new Cold War., No.51, Diplomacy  Jan. 14, 2019, https://www.japanpolicyforum.jp/diplomacy/pt201901140140158667.html)。

(出典:Tanaka, op.cit)
(出典:Tanaka, op.cit)


 2020年にはじまる新型コロナウイルス感染症の世界的流行においては、民主主義的な性格の弱い統治機構をもつ国のほうが、感染をおさえこんでいるとの統計もある。

資料 民主主義の未来 優位性後退、崩壊の瀬戸際に
 民主主義が重症である。21世紀の政治は、インターネットを通じた草の根グローバル民主主義の甘い夢を見ながら始まった。だが現実は残酷だった。中東民主化運動「アラブの春」は一瞬だけ火花を散らして挫折した。むしろネットが拡散するフェイクニュースや陰謀論、二極化が選挙を侵食し、強烈なポピュリスト政治家が増殖した。
 民主主義の敗北に次ぐ敗北。21世紀の21年間が与える第一印象だ。今や民主主義は世界のお荷物なのだろうか。それとも何かの偶然や民主主義とは別の要因の責任を、民主主義に負わせているだけなのだろうか。
この問いに答えるデータ分析を筆者と米エール大学生の須藤亜佑美氏で実施した。世論に耳を傾ける民主的な国ほど、21世紀に入ってから経済成長が低迷している(図1参照)。低迷のリーダー日本のほか、欧米や南米の民主国もくすぶっている。逆に非民主陣営は急成長が目覚ましい。中国に限らずアフリカ・中東もだ。「民主国の失われた20年」は、中国と米国を分析から除いても、先進7カ国(G7)諸国を除いても成立するグローバルな現象だ。
 この「民主主義の呪い」は21世紀特有の現象だ。1960~90年代には、すでに豊かな民主国の方が貧しい専制国より高い成長率を誇っていた。富める者がさらに富む傾向が強かった。この傾向が21世紀の入り口前後に消失し、貧しい専制国が豊かな民主国を猛追するようになった。(中略)20××年、宇宙や海上・海底・上空に消えた上級市民は、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は残された者たちの国のみに残る、懐かしくほほ笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。

(出典:成田悠輔「民主主義の未来 優位性後退、崩壊の瀬戸際に」、2021年8月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載、https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/narita-yusuke/04.html)





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