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15.1.2 東西ヨーロッパの分断 世界史の教科書を最初から最後まで


ヨーロッパが東西に分断される(1947年〜)


アメリカの動きに対抗し,1947年9月,ソ連はコミンフォルム(共産党情報局)を,ポーランド,チェコスロヴァキア,ハンガリー,ユーゴスラヴィア,ルーマニア,ブルガリアを加盟国として組織。これらの国家は,地球にとっての月のように,ソ連にとっての“衛星国”になっていった。

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逆にソ連のいうことを聞かなかった国は,ソ連に解放してもらわず,自力でナチスを追い出すことに成功した国,すなわちユーゴスラヴィアアルバニアだ。


ユーゴスラヴィアは独自路線へ(1948年)


ユーゴスラヴィアはソ連との対立がもとで,翌1948年にコミンフォルムから除名。
大戦中にパルチザンといわれる抵抗運動を率いた〈チトー〉(ティトー)大統領(1892~1980,在任1953~80)がソ連と距離をとる自主路線を進めていった。

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柴宜弘『バルカンの民族主義』山川出版社、1996年、56頁。


チェコスロヴァキアがソ連側に!(1948年)

さて,年が明けた1948年2月。アメリカ側に激震が走った。

チェコスロヴァキアの共産党がソ連軍に支援をうけクーデタを起こしたのだ。

大戦中から亡命政府を樹立し活動していた〈ベネシュ〉大統領は失脚し,共産党だけの政権が樹立。これをチェコスロヴァキア=クーデタという。


西ヨーロッパに同盟ができる(1948年)

チェコスロヴァキアのクーデタを受け,「ソ連が西に攻めてくる」ことに危機感を持った西ヨーロッパ諸国は,48年3月に西欧同盟(WEU)を結成(ブリュッセル条約)。


英・仏に,ベネルクス三国(ベルギー,オランダ,ルクセンブルク)を加えた同盟だ。
ベネルクス三国は,大戦中にドイツの進入をゆるし,被害をこうむってきた小国だったよね。
自分たちだけで安全保障をはかることが難しいと判断し、イギリスとフランスに頼ったのだ。


西ベルリンが封鎖される(1948年)

当時,西部をイギリス・フランス・アメリカ,東部をソ連に占領されていたドイツ。

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その首都ベルリンも4カ国の占領を受けていた。

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しかし48年6月には,東ベルリンを管理していたソ連が,米・英・仏が共同管理していた西ベルリンにおいて,ポツダム宣言に反して通貨改革が実施されたことに強く抗議。
陸上交通路を“ロックダウン”した。
これをベルリン封鎖という。

“第三次世界大戦”の開戦が懸念されるほどの状況に,世界は固唾を飲んで見守った。

しかし米・英・仏が「3本のルート」で市民のために決死の食糧・物資空輸作戦を継続。
ソ連による封鎖は1年で解かれ,ベルリン封鎖は幕を閉じる。

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しかし,もはやベルリンをめぐる両者の対立は決定的に。



ソ連が経済組織コメコンを結成(1949年)

1949年1月にはソ連がコメコン(COMECON,経済相互援助会議。コメコンは西側諸国における通称)を結成し,東ヨーロッパ諸国との経済的連携を強化するようになっていく。


原加盟国はソ連,ブルガリア,チェコスロバキア,ハンガリー,ポーランド,ルーマニア(直後にアルバニアが加盟(1962年に事実上脱退),さらに東ドイツ(1950),モンゴル(1962),キューバ(1972),ヴェトナム(1978)が加盟しました。ユーゴスラヴィアは準加盟国)。

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1991年に解散された。



アメリカが西ヨーロッパ防衛に乗り出した(1949年)

 
49年4月には西欧同盟の加盟国に加え,アメリカ合衆国,イタリア,カナダなどを構成国とするNATO(ナトー、北大西洋条約機構) が結成された。

西欧同盟は「ソ連の進出を防ぐには,ヨーロッパだけでは無理だ。アメリカを引き込めば,核兵器の脅しも使える」と考えたのだ。

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現在の加盟国

NATOの原加盟国は,ベルギー,オランダ,ルクセンブルク,イギリス,フランス,イタリア(ここまでECSEの原加盟国),ポルトガル,デンマーク,ノルウェー,アイスランド,カナダ,アメリカ合衆国。北大西洋の両岸にソ連の封じ込めゾーンが設定された形だ。2020年現在も存続している。



「2つのドイツ」が建国された(1949年)


1949年5月には,英米仏の占領していたドイツ西部はドイツ連邦共和国の成立を宣言し,ボンを首都としました。通称「西ドイツ」だ。

一方、ソ連占領地域のドイツ東部は,社会主義統一党の下で1949年10月にドイツ民主共和国の成立を宣言。通称「東ドイツ」である。

1949年8月に,ソ連は核兵器(原爆)を保有していた(ソ連の核保有)。


しかし東ドイツの首都ベルリンは,西ドイツの管轄する西ベルリンと,東ドイツが管轄する東ベルリンに分かれたまま。西ベルリンは西ドイツの“飛び地”となった。


なおこの時点では,まだ「ベルリンの壁」は建設されていない。




西ヨーロッパが統合に向けて動き出す(1950年〜)

ヨーロッパにしのびよる“第三次世界大戦”の恐怖。

二度の大戦で痛手を負ったヨーロッパが立ち直るためには“まとまる”しかない。

1950年にはフランス外相〈シューマン〉(1886~1963)がドイツとフランスの和解を訴え,1951年のパリ条約の調印により,1952年のフランス・イタリア・西ドイツ・ベネルクス三国による,石炭と鉄鋼の共同管理を目的とするヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC) が発足した(のち2002年にEUのうちのECに引き継がれた。下図は原加盟国)。

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さらに、1957年3月に調印されたローマ条約により,1958年1月にはヨーロッパ経済共同体(EEC)が結成された(のち、1993年にEC(EUの三本柱構造の一つ)に統合されたが,2009年にEUに継承された)。

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また,1958年には同じく,ローマ条約で欧州原子力共同体(ユーラトム,EURATOM)が発足。将来石炭が枯渇してしまったときに備えて,あくまで平和的な原子力エネルギーの開発を一致して行うことにしたものだ(現在もEUとは独立した形で存続している)。



ソ連が軍事同盟をつくった(1955年)

その間,1952年にNATOにギリシア,トルコが加盟


1954年に西ヨーロッパ諸国は,西ドイツの再軍備を認め(パリ協定),西ドイツはNATOにも加盟した。



ドイツの軍事力が強化されるのを嫌っていたのは,もちろんソ連だ。
西ドイツの再軍備に対抗したソ連は1955年にワルシャワ条約に基づき,ワルシャワ条約機構 (WTO,ワトーと読む。1991解消)を発足させ,ポーランド,チェコスロヴァキア,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア(1968年に脱退)に東ドイツを加えた軍事同盟をつくった。

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1990年時点の加盟国


まとめ

【政治的対立】アメリカ:トルーマン=ドクトリン(1947.3)
               vs ソ連:コミンフォルム(1947.9)
【経済的対立】アメリカ:マーシャル=プラン(1947.6)
               vs ソ連:コメコン(1949.1)
【軍事的対立】アメリカ:NATO (1949.4)vs ソ連:WTO(1955.5)

時系列に並べると、アメリカ:トルーマン=ドクトリン(1947.3)→アメリカ:マーシャル=プラン(1947.6)→ソ連:コミンフォルム(1947.9)→ソ連:コメコン(1949.1)→アメリカ:NATO (1949.4)vs ソ連:WTO(1955.5)


 こうして,ヨーロッパはアメリカ側とソ連側の2陣営にに分かれ,真っ二つに色分けされることになった。相互に対する不信の積み重ねが招いた結果だった。





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