2.4.2 マヤ・アステカ文明とインカ文明
中央アメリカ
アメリカ大陸のメキシコ湾岸では、前1200年(今から3200年ほど前)になるとオルメカ文明といわれる文明が起こった。
ヘルメットをかぶったような巨大な人面石像がインパクトあるよね。
ここで生まれた宗教・文化は、その後の中央アメリカの文明のベースになっていく。
たとえばオルメカというのは「ゴム」という意味があってね、ゴムボール(天然ゴムでできたボール)を使ったスポーツは、この地域の伝統的な球技となっていくよ。
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一方、すぐ近くのユカタン半島では、前1000年頃〜16世紀(今から3000年前〜500年前)にかけて、マヤ文明と呼ばれる文明が栄えた。
最盛期は4〜9世紀(今から1400〜1100年前)で、ピラミッド状の神殿、
二十進法、正確なカレンダーを特色とする都市国家がいくつも栄えた。
ジャングルの文明というイメージが強いけど、高山地帯やサバンナにも都市はある。
都市と都市との間では交易も盛んで、ヒスイという宝石は王の遺体の仮面として使われるなど特に重宝されたよ。
マヤ文字はほとんどが解読済み。象形文字と表音文字が組み合わさった作りになっていて、これをもとに各都市歴代の王名もかなり詳しくわかっている。
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一方、メキシコ高原では、前1世紀(今から2100年前ほど)にテオティワカン文明が生まれていた。太陽と月のピラミッドが有名だ。
その後、北方からアステカ人が進出し、14世紀には現在のメキシコシティに位置するテノチティトランを首都に置いて、戦争によって多くの国を従えた。アステカ文明も、この地域の伝統を受け継ぎ、ピラミッド状の神殿や絵文字をもっていたよ。
アンデス地方
アンデスの高地のベースとなる文化は、前1000年頃(今から3000年ほど前)に北アンデスを中心に栄えたチャビン文化だ。
神殿にはジャガーの神様がまつられ、遠いところからも神殿に貢ぎ物が捧げられたりお参りの人が訪れたりと、影響力を持っていたことがわかっている。
独特で素朴なデザインを持つ酒器が、かわいいね。
その後、海岸沿いには雨乞いの儀式で使用されたと見られる「地上絵」の有名なナスカ文化や、
北部ペルーのワリ文化、
ボリビア方面のティワナク文化が栄えている。
その間に農業生産技術が発展し、織物や金属工芸も高度に発達していったよ。
14世紀には一時、チムー帝国という国が領土を拡大。
しかし、それに対してケチュア人という民族が豊富な経済力と武力、それに太陽神の信仰によって多くの民族を従え、15世紀半ばに史上最も広い範囲をまとめあげることに成功した。
王は太陽神の化身(けしん)として振る舞われ、各地の民族は支配に従えば、王からトウモロコシ、織物、酒などがプレゼントされた。
これがインカ帝国で、その範囲は現在のコロンビアからチリにおよぶ。
広い範囲を結ぶため、インカ道と駅伝制が整備された。また、アンデス地方の文化の伝統を受け継ぎ、キープという縄の結び目によって情報を伝えるツールや、山地での灌漑農業が発展したよ。
これらアメリカ大陸の文明には、馬などの大型動物・車輪・鉄器を持たないという共通点があった。
16世紀に、馬・車輪・鉄器を持ち込んだスペイン人は、アメリカ文明のそうした“弱点”を突いたわけだ(アメリカでは流行っていなかった感染症の流行も要因だった)。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊