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16.1.2 ソ連邦の解体と民族紛争 世界史の教科書を最初から最後まで

ヨーロッパの社会主義圏でも、共産党以外の政党も含めた自由選挙を求める動きが高まると〈ゴルバチョフ〉は新たな国際体制を樹立する必要性に迫られた。

1989年12月にはアメリカ合衆国の〈ブッシュ(父)〉とソ連の〈ゴルバチョフ〉が地中海のマルタ島で会談し、冷戦が終結が宣言された(マルタ会談) 。


アメリカとの対立をゆるめて延命を図ろうとした〈ゴルバチョフ〉は、1990年にソ連の大統領に就任する。その後の流れはこちら(【←戻る】15.4.4 第2次冷戦から冷戦の終結へ )を見てほしい。結局、1991年12月にはソ連から全ての共和国が離脱して、ソ連共産党を解散。ソ連という連邦国家は消滅したのだった。



ソ連という「グループ」が消滅すると、それを構成していたバルト三国を除く12か国がCIS(独立国家共同体)に参加し、協力関係は維持されることになった(2009年にはグルジア(ジョージア)が脱退している)。
もともとソ連だった領土の多くは「ロシア連邦」が引き継いだので、ロシアはシベリアは極地方面の少数民族たちや多様な宗教の信徒を含む「多民族国家」の体制を維持していく。




1992年からは物価や生産・流通が自由化されてインフレが起き、国民生活は打撃を受けた。



ソ連から独立した各国は「ロシア離れ」を進めようとするも、資源をロシアに依存する構造があった。
その中で天然ガスや石油の利権を獲得した新興富裕層が台頭。
1996年にはエリツィンが大統領に再選するも、特にカフカス地方(黒海とカスピ海の間)は、歴史的にイスラーム教とキリスト教の文化圏にまたがる地域であり、同時に石油パイプラインが通過する重要地点。
ロシア連邦による統治の強化に対する反発も強まり、チェチェンの民族紛争は多くの市民の犠牲者を出した。





2000年には〈プーチン〉(任2000~08,12~)が「強いロシア」の再建を目指して大統領に就任し、資源を輸出して高い成長率を確保し、新興国の国名の頭文字をつなげた略称BRICs(ブリックス)の一つに数えられるまでになった。


彼はソ連時代にKGB(国家保安委員会)の職員で、強権的な手法で長期政権を維持している。

2014年には、ウクライナの政府がEUとNATOへの加盟を目指すことを表明すると、ロシアの〈プーチン〉大統領はこれを阻止するために、クリミア半島やウクライナ東部のロシア系住民による分離運動を支援。
クリミア半島を住民投票の形をとって事実上独立させ、ロシアに併合した(ロシアによるクリミア半島併合クリミア危機)。

これにともない、ロシアはG8(ジーエイト、主要国首脳会議)への参加を停止された一方、新興国を含むG20(ジー=トゥウェンティ、主要20か国・地域)には参加を継続させている。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊