2.1.5 統一国家の成立 世界史の教科書を最初から最後まで
前4世紀(今から2300年ほど前)になると、インドに西の方からギリシア人が攻め込んできた。
あのアレクサンドロス大王だ。
しかし大王はインダス川流域でインド人と戦ったのち、結局引き返した。
けれどもそのまま移住するギリシア人もいた。
のち前255年にはバクトリア王国のようなギリシア人政権も建設されているよ。
この混乱をバネにして、広範囲に支配を広げたガンジス川流域の王国がある。
マガダ国だ。
王朝の名前はマウリヤ朝。チャンドラグプタ王(前317~前296頃)が、ナンダ朝を倒して建国し、パータリプトラに都を置いた。
マウリヤ朝は西北部―現在のアフガニスタンあたりのギリシア人勢力を攻撃し、さらに西南インドからデカン高原にかけてを征服。
広い領土を手に入れた。
最盛期のアショーカ王(在位前268頃~前232頃)は、西南インドのカリンガ王国と激しい戦争を経験し、「つぐない」の気持ちから仏教を信仰するようになったといわれる。
武力による征服活動よりも、仏教にもとづく法(ダルマ)という道徳による支配のほうが長続きすると感じたのだろう。
都の近くには石柱碑(高い石柱に刻まれた碑文)を、支配領域の辺境地域には磨崖碑(まがいひ、崖に刻まれた碑文)をつくらせ、ここにダルマを刻ませた。
アショーカ王は仏教の経典(仏典)の編纂(結集(けつじゅう))にも熱心で、諸説がごちゃごちゃになっていた仏教の教えを統一しようと、仏教のえらいお坊さんを集めて教義を統一させてもいる。
しかし、官僚機構が大きくなりすぎて軍隊を維持することが財政的に難しくなったことや、仏教を保護するあまりバラモン階層からの反発を招いたこともあって、アショーカ王が亡くなると、マウリヤ朝は衰退に向かうこととなった。
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