歴史の扉⑤ 雑草の世界史
「キリストの足跡」と呼ばれた雑草
オオバコという雑草がある。
葉が大きく、そこに茎が立ち上がり、緑色の花を咲かせる。
踏まれても、ちょっとやそっとではへこたれない。代表的な踏み跡植物だ。
英語はラテン語のplantaに由来する。これは足の裏という意味だ。
「キリストの足跡」という異名を持つほど、踏まれてもへこたれない特性は、昔から理解されていた。
日本には自生種のほかに、江戸末期から明治末にかけてヨーロッパや北アメリカより渡来し帰化した種も混在しているそうだ。
生態系そのものが移植され、インディアンが脅かされた
16世紀以降、オオバコが急速に進出し、定着した場所として、南北アメリカ大陸が挙げられる。
アメリカのクロスビーという歴史学者は、オオバコなどの動植物による南北アメリカ大陸(ほかにオーストラリアやニュージーランドなど、従来ユーラシア大陸との交流のなかった地域も含む)への “侵略” を「生態学的帝国主義」とネーミングした。
欧米諸国が難なく植民地進出をすすめることができたのは、人間の手によるものだけでなく、動植物や細菌などの「生態学的な進出」のおかげであるという興味深い説だ。
(アルフレッド・W・クロスビー『ヨーロッパの帝国主義—生態学的視点から歴史を見る』筑摩書房、2017年)
もともと新大陸には、焼畑農業を営むインディアンがいくつものエスニック・グループに分かれて暮らしていた。
しかし1492年にコロンブスがカリブ海に到達して以降、ヨーロッパ人によるアメリカ進出が始まった。
インディアンたちは、ヨーロッパ人のもちこんだ感染症でたおれてしまう。猛威をふるったのは天然痘だ。
かくして、焼畑農業を営むインディアンの人口は激減。
ウィリアム・ラディマンという気候学者は、大気中の二酸化炭素濃度は、ヨーロッパ人がアメリカにやってくる前後で激減したと見積もっている。
インディアンたちは、オオバコのことを「白人の足跡に生える草」と呼んだ。
多年生であるオオバコは、大地に根を張りめぐらす。
これが、北米の土壌をヨーロッパのようにつくりかえることになった。
オオバコをはじめとするヨーロッパ原産の雑草は、家畜を放牧するための広大な草地を形成していく。
インディアンのなかには馬に乗る人びとも現れるようになった。もともと馬の生息していなかったアメリカ大陸で馬の飼育が普及したのは、雑草による「生態学的帝国主義」の賜物だったのだ。
除草の必要なアジア、不要なヨーロッパ
だが、ヨーロッパにしても北米にしても、「雑草」に対するイメージは、日本をふくむ東アジアのイメージとは違ったものだ。
東アジアの農業は、ひとことでいえば、雑草との戦いだ。
季節風の影響を受け、湿潤な気候であるため、少し気を抜けば雑草も生え放題。
人手を投入し、汗水垂らして除草をしなければ、栄養分が吸い取られてしまう。
いっぽう、ヨーロッパや北米では、雑草など気にする必要はない。
むしろ家畜の飼育と組み合わせ、牧草として食べさせればよい。
家畜を飼育するのは、そもそも土壌が肥沃ではないところが多いためで、冬を迎える前には、豚を森に連れて行き、ドングリの実を食べさせ、太らせた。
まるまる太った豚は、冬に備えてソーセージにするのである。
ソーセージの臭みを消すために、ヨーロッパでは伝統的にハーブの利用が発達した。
オレガノやセージ、タイムといった香草が代表的だが、オオバコもハーブとして利用されることがあった。
だが、「もっと刺激的な香料はないか?」
ヨーロッパの人びとが地中海の向こう側から来るアラブ商人を介して出会ったもの、それこそが香辛料(スパイス)だった。
スパイスを求め、大航海時代がはじまった
しかし、この価格はとても高い。
インド原産のコショウは、ピーク時には同量の銀と取引されていたほどだ。
そこでヨーロッパの商人や支配層は、アジアにあるとされた香辛料の直接取引に乗り出すのだ。
これが世にいう大航海時代である。
15世紀中頃から、ポルトガル、そしてスペインが、イタリアの都市国家の投資を受けつつ、競い合ってアジア(当時は「インド」と呼ばれていた)を目指した。
このうち、スペインの雇ったジェノヴァ生まれの船乗りコロンブスが、大西洋を突っ切って西に舵を取れば、アジアに到達するはずだという賭けに出た。
彼は地球は球体であるとする、フィレンツェの地理学者トスカネリの説に依拠したのである。
果たしてコロンブスは1492年にカリブ海に到達。
通算4回の航海を通して、スペインが南北アメリカ大陸に進出する足掛かりをつくった。
彼と、彼に続くスペイン人は、南北アメリカ大陸にさまざまなものを持ち込み、そして逆に持ち帰った。
これを「コロンブスの交換」と命名したのも、冒頭で紹介したクロスビーだ。
このなかには、オオバコも含まれていただろう。
先ほどみたとおり、「交換」といっても、ヨーロッパ人と先住民インディアンの間の関係は、決してwin-winなものとは言えなかったのだ。
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